会員公開講座 伊東豊雄「都市を向いた建築の時代は終わった」

2015年12月21日

5月9日、恵比寿スタジオにて今年度初回の会員公開講座が開かれました。今回は伊東豊雄塾長による講義で、開講式を兼ねています。近代主義思想を諦め、心の豊かさを求める思想へ転換していくことの必要性を訴えました。
伊東塾長にとって、今までずっと東京という都市が、自身の建築のイメージの源泉となってきました。ところが、21世紀の東京は急速に魅力を失っていると感じています。それは一体なぜか、という話から講義が始まりました。
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東京の前身となった江戸は、江戸城を中心として緑と水がスパイラルを描く庭園都市でした。自然に対して開かれていたので、住宅もまちに向かって開かれており、建築の内部と外部が親密な関係に結ばれていました。また、江戸は快楽を楽しむ享楽的なまちで、消費の都市でもありました。
伊東塾長は、1980年代、バブル期の東京が最も好きだったと話します。例えばAAスクールの教師であったNigelCortsのレストランへ行くと、それだけで気分が高揚したと言います。酔っぱらいながら新宿のネオンの中を歩くと夢の中にいるような感じがする、享楽的で少し退廃的な東京が好きだったのですが、バブルが弾けると急に真面目で静かなまちになってしまいました。それでも開発だけはどんどん進められていく様子を見て、伊東塾長は東京の魅力が失われていると改めて感じていました。
東京は世界でも「最も安全・安心なまち」「精度が高いまち」「均質なまち」であると言われていますが、「世界で最も安全なまち」とは、言い換えればコントロールされきったまちであり、それだけ人間がおとなしくしているということです。自然と切り離した人工のまちをつくることによって、安心安全がつくられる。技術によって自然を克服するという思想に陥ってしまっています。江戸が自然と調和した美しいまちを築いたのに、それを人工的なまちに置き換えているのです。
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伊東塾長は、自身の東京のイメージをドローイングにしました。均質なグリッドで全てが埋められていく東京。どこに住んでいても同じ。そんな人工環境は、言ってみれば鶏が同じ小屋に並び、毎日卵を産む状況と同じじゃないか、と指摘します。建築だけでなく、人間までもが均質化されてしまいます。
それは近代主義思想を徹底した結果、引き起こされました。他から独立した自分という個人の思想があり、共同体から独立し、新しい市民社会を確立する。その市民社会は経済的には資本主義の社会であり、政治的には国民国家という社会でした。共同体の中の人間は自然の一部であることを知っており、自然を恐れていましたが、近代になると技術によって自然を征服できると考え始めました。それが近代主義思想です。工業技術を利用し、機械論的世界観に基いて都市を均質にしたため、北京なのか東京なのか、あるいはヨーロッパなのか、写真を見ただけでは見分けがつかないような均質な都市になってしまいました。そうして自然を排除する過程で、場所の違い、歴史や文化まで排除されてしまいました。
一方で、経済学の分野からも資本主義の限界が指摘されています。イギリスの社会学者アンソニー・ギデンスは、変動の早さ、広がり、合理性こそが近代の基本的な特徴だと言います。GDPは販売数量と利益率を掛けあわせた面積で表されますが、その枠組みで利潤が上がらなくなったときにアメリカが考えだしたのは、バーチャルな電子金融空間をZ軸として設定することでした。ところが、立て続けに起きた9.11のテロリズム、リーマンショックのような金融危機、そして原発の事故は、そのXYZ空間の軸を伸ばし、限界まで儲けようとした結果、反作用で起きたことなのではないか、と指摘されます。
そこで、限界を迎えた経済の豊かさは諦め、むしろ心の豊かさを求めるというパラダイムシフト、つまり「より速く、より遠くへ、より合理的に」から「よりゆっくり、より近くへ、より寛容に」へのパラダイムシフトが求められているのではないでしょうか。それは自然との関係や場所の違い、土地に固有の文化や歴史を回復するということをもう一度考えることに他なりません。
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自然に開かれた建築の可能性として、伊東塾長は「みんなの森 ぎふメディアコスモス」を紹介しました。JR岐阜駅から長良川に向かって数百メートルのところにある、県立岐阜大学医学部と岐阜県庁が移転した跡地に、図書館を中心とした施設をつくる計画です。緑豊かな建築として、緑とできる限り近い関係にある建築にしようという意図がありました。
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この建築は、「大きな家」と「小さな家」という言葉から始まったと、伊東塾長は語ります。工場のような「大きな家」の中に緑があり、その空間の中に「小さな家」が入り込むことで、気候に若干のグラデーションをつくり、消費エネルギーを減らそうという考え方があります。設計段階での様々なスタディがありましたが、直径約8mから約11mのクラゲのようなグローブを吊るし、大きな空間の中に快適な環境のエリアをつくる計画となりました。
また、自然エネルギーを最大限活用して、従来の消費エネルギーの2分の1まで減らそうというテーマがありました。まず微気候エリアをつくり出すことで、16%の削減。また周辺の自然光を柔らかく拡散することで、19%の削減。太陽光発電により、5%の削減。屋根や壁面の断熱性能を高めることで、2%ほどの削減。そして機器類の技術の進歩により、17%の削減。このような積み重ねから、消費エネルギーを55.1%まで削減することができました。
もうひとつの特徴は、県産材のヒノキを使って屋根を組み上げたことです。とても薄い板材を三方向に互い違いに積層させ、シェル構造の屋根を組みます。そのために全国から大工さんが集められました。

ここで「都市生活から地方の暮らしへ」と話が戻り、消費エネルギーを減らしたいのであれば、自然の中に身を晒すようなライフスタイルに切り替える必要があると説明しました。おのずから、都市での生活から地方での暮らしへの転換が必要になるでしょう。
都市における近代主義の魅力が失われつつあるいま、地方で持続されてきた日本の伝統文化を見つめ直し、継承、復活することは極めてタイムリーであると言えます。地方での暮らしは、地域住民とIターン、Uターンの人々との新しい人間関係が不可欠となり、そうしたコミュニケーションが停滞していた地方にとっては、新しい刺激となるでしょう。
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Photo:Yusuke Nishibe

伊東建築塾では、「大三島を日本でいちばん住みたい島にするために」というプロジェクトを進めています。愛媛県今治市にある大三島は、しまなみ海道で繋がれた島の中で、最も大きな島であり、島中央の山を13の小さな集落が囲うように、海に面して点在しています。かつての人口12,000人から半減し、高齢化が進んでいますが、降水量も少なく、非常に気候に恵まれた島です。大きな開発がされてこなかったため、今でも島の農業の主流となっている柑橘の畑が広がり、風景がとてもきれいです。最近では、サイクリストが訪れるようになりましたが、滞留する場所がないため大三島を通りすぎ、他の地へ行ってしまう問題を変えられないかと伊東塾長は考えています。
しまなみ海道が開通する以前は、大山祇神社の参拝客は、島内の宮浦港から神社へ続く参道を通っていました。しかし、今では神社近くにバスが停まるため、参道が廃れています。もう一度、地域の方や、参拝客で賑わっていた参道を復活できないかと考え、参道中央部の旧法務局を伊東建築塾で借り受け、参道を訪れた人が集まれる、大三島の「みんなの家」として活用しようとしています。今後はここを拠点として、大三島の島づくりを考えていきたいと伊東塾長は語ります。
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大三島で住むにあたり、どのようなライフスタイルが考えられるのでしょうか。3つのライフスタイルの例が提示されました。
まずは、定住。大三島に定住している方の例として、林豊さんを紹介しました。林さんは、大阪でIT業をしていましたが、12年前に大三島に移り住み、農業に従事しながら宗方地区のお祭を復活させるなど、地域の方と様々な活動をしています。
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次に、半定住の手段として、伊東塾長が、既に大三島に敷地を決め、島内に住むための小屋のスケッチを何枚か描いているエピソードが紹介されました。
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Photo:Manami Takahashi

そして最後に、短期滞在。廃校となった旧宗方小学校の校舎を民宿として運営している「大三島ふるさと憩の家」はサイクリストに人気があります。しかし、老朽化による雨漏りや湿気の問題から、所有者の今治市としては壊すことも検討しているそうですが、大変趣のある校舎を保存し、敷地内に宿泊室を増築することで、海の見える滞在空間をつくりたいと伊東塾長は考えています。
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Photo:Manami Takahashi

また、農作物の販売促進のため、農業をいかに組織化するかという課題があります。Iターンで地域おこし協力隊として活動していた松本佳奈さんは、地域の方が生産したみかんジュースなどを販売する移動カフェ「ロコバス」を運営しています。松本さんは東京に住んでいたことがあり、年に数回自由が丘に戻り、大三島の柑橘を販売しています。伊東塾長は、松本さんを中心として柑橘をはじめとする、大三島の農産物を販売するネットワークを拡張していけるのではないか、と可能性を考えています。
もう一点、課題として大三島島内の交通、トランスポーテーションが挙げられます。島外への交通手段として、しまなみ海道を通る高速バスがありますが、島内の交通手段がとても限られています。タクシーは島に2台しかなく、バスは一日に数本しかない。他の島では、二人乗り程度の電気自動車を実験的に走らせている例もありますが、むしろ自転車に近い感覚の乗り物を開発できないかということも考えているそうです。

今まで私たちは、当然のように都市での生活がベストだと考えてきました。しかし、経済の豊かさよりも心の豊かさを求め、私たちは地域に目を向けて、自然に開かれた生活を考える時期を迎えたはずです。地域の方々と語りあい、一緒に考え、新しいライフスタイルをつくることこそが、今求められているのではないでしょうか、という結びで講義は締めくくられました。
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質疑では、伊東塾長のお話は、30年程先までを射程にいれた問題でしたが、70年後や100年後は、むしろ東京が田舎化する可能性もあるのではないか、と今後の東京の可能性について質問されました。その質問に対し、近代主義に対する反省やアンチテーゼが挙がり始めているので、それが少しずつ思想として定着していけば、もう一度東京が変わることは可能だと伊東塾長は答えました。均質な空間に身を置くことに違和感を感じ始めることが必要で、そうすることで昔のように緑と調和した東京をつくることはできると考えています。

近代主義思想に染まった都市に疑問を持ち、自分の生活を問い直すきっかけとなる講義でした。伊東塾長自ら、大三島での活動を実践されているということが、大きな説得力につながっているように感じられました。ご清聴いただいた参加者の皆様に心より御礼申し上げます。

生沼幸司