子ども建築塾 2017年度公開発表会「みんなでまちなみをつくろう!」(後編)

2018年07月06日

大変盛り上がった、2018年3月10日に行われた子ども建築塾の公開発表会。

本ブログでは後半の様子をお伝えします。

休憩を挟み、後半は「休む・くつろぐ」グループからの発表となりました。

「休む・くつろぐ」グループ

坂のふもとにあり、傾斜地のまちなみを仰ぎ見ることができる場所に位置しています。「休む・くつろぐ」というテーマに適した、敷地の中で唯一平坦なエリアです。

●「船つき場レストラン」  木曽野 友寛くん
坂の上を源流とする水路はまちなみを下り、やがてこのグループの地に辿りつきます。水はその勢いを弱め静かにせせらぎ、緩やかに蛇行しながら巡っています。このレストランの中央にも水路が通り、小船の発着場となっています。上にあがると見晴らしの良い広く開放的なレストラン。ここには平戸にこちゃんや小室壮介くんの場所へと続くブリッジが架かり、空中散歩へと誘います。道を挟んだ隣のグループ、松田響くんのスロープともつながり、水陸を兼ねたターミナルの役割を果たしています。

●「はひふへほカフェ -笑顔と一息があふれだす-」  平戸 にこちゃん
水の音が心地良い水路の脇に、「ほっ」と一息つくことができる安らぎのコーナーが生まれました。船のような寝椅子のあるところ。大きくてふわふわなクッションのあるところ。緩やかにカーブする背の低いスクリーンに囲まれ、ちょうど1人、2人が落ち着いてたたずめるようなヒューマンスペースになっています。力が抜けたときにふともれる吐息「は・ひ・ふ・へ・ほ」の音の名がつけられたカフェ。
一息つく感じがすごく伝わってくる、その気持ちがとてもよくデザインに出ている、と笑みがこぼれる伊東先生、村松先生もこの作品から安らぎをもらったようです。

●「くねうね道」  久枝 ミアンちゃん
幅約3m弱という細く薄いリボンのような道が、上下左右に波打っています。あるところでは頭上を覆う軒となり、下はこもりたくなるような落ち着いたプライベートスペース。あるところでは思わず駆け出したくなるような起伏のある道となり、遊び心もくすぐられます。静と動、明と暗。表裏一体に高次なシーンが展開します。
くねくね、でも、うねうね、でもなく「くねうね」というネーミングも特徴的。伊東先生も村松先生も個性的なイマジネーションに興味をそそられました。

● 「みんなをつなぐあざやかトンネル」  小室 壮介くん
鮮やかな赤色のトンネルが地上を横断します。トンネルの下は水路が通り船での移動、上はお散歩コースとして楽しめます。隣り合う久枝ミアンちゃんの「くねうね道」と同程度の幅で構成され、互いに並走したり上下交差し、一人では生み出すことの出来ない多様な空間が周辺に展開されています。
計画当初に「こういう場所をつくりたい、ああいう場所をつくりたい」とバラバラなシーンをイメージしていたのがとても面白かったと伊東先生は評価しました。
「最初から大きい囲いから考えてしまうとそこからはみ出せなくなる。特にチームでやるときは、部分部分で『ここでは○○、ここでは△△』と場所から考えていくと、みなでものを考えていくことができる。それはとても大切なことだと思う」とTAの学生にも我々にも響く経験談を語ってくれました。

「Eグループはみなで一つの作品をつくり上げた。自分もこのような仕事をしたい」と太田先生もこぼすほどの一体感。
伊東先生も村松先生も、「4人全然違う人たちが集まって混沌としているところもあるけど面白い」と異色な魅力について言及しました。

カリキュラムの半ばに、それまでの過程をみなで確認し合う中間発表会がありました。課題の大切なテーマは、タイトルの通り「みんなで」。
伊東先生は、
「○○ちゃんと○○君の案は、一つのものになれそうだ」
「○グループは、グループ全体で一つのものになりそうだ」と幾度となく強調しました。
それまで個々の案としてまとめていた子どもたちに少しずつ不安の表情が見え、木曽野くんもそうした言葉を掛けられた一人です。
そこから子どもたちにとってもTAにとっても新たな挑戦が始まりましたが、「面白かったけど前期より疲れた」と木曽野くんはこの発表の場で素直に伝えてくれました。

伊東先生は「初めに考えていたことがみんなの中にばらまかれてしまって、自分自身がやり遂げてない感じ?」と問い掛けます。そしてこう続けました。
「もう少し自分の中で『建築ってどういうことなんだろうな』って考えてみようよ。人間一人でもだめだし、みんなで一緒に解けちゃうことも、どうも違うんじゃないか。
そこから次へ考えることは、すばらしいことだと思う。」
子どもたちだけでなく大人まで、それぞれの「次」への旅が始まります。

「知らせる」グループ

坂の一番上に位置し、まちなみの入り口にあたる場所です。
テーマは「知らせる」。まちの情報を発信し、より多くの人々を引き寄せます。

●「空の庭」  手塚 士惟くん
大胆かつ軽快に、人々が行き交うブリッジをグループの敷地いっぱいに架けめぐらせてくれました。所どころに設けられたグループ共通のモチーフであるサークル状の休憩スペースは、中央がふっくらと膨らみ、寝転がると空が近い。まちなみを一望しながらご近所同士の会話も弾みます。
ブリッジはジェットコースターのようにみなの作品の間をくぐり抜け、その実験的な手法は面白く、ここでの発見が次に生かせるとさらに良いと太田先生。
建築としてメインとなるブリッジの下の部分が、もう少し他の子たちとうまくつなげられると良い、と伊東先生も今後を期待します。

●「あそびにいこうよ」  井上 賢仁くん
このまちなみのさまざまな情報を発信し、にぎわいを呼び込む屋外ホール。みんなに見えやすいように見上げた先にある天井面をスクリーンに見立て、坂の中腹にあるハチミツ工場や、カフェの今の状況などの動画が投影されます。なるべくスクリーンが軽やかに掛けられるように素材の吟味をかさね、東京ドームで使用されるテントに至ったとのこと。ビタミンカラーのオレンジ色で明るさを強調します。
論理的な発表がとても良かった、と講師陣。太田先生は、布がふわ〜っと掛けられるイメージはまちの入口にとても良いので、その光景も詩のように説明してほしかった、とリクエストしました。

●「縁、園、円」  伊藤 美波ちゃん
みなのまちでつくられたものを売ったり、お知らせをする円筒形の屋台。水紋のようにいくつも点在し、周辺を回遊しながら出会える毎日の発見が楽しみです。屋上のスペースは福田時子ちゃんが担当し、共同の作品。「円」のかたちは、まちの人々の「縁」が育まれることを願ったモチーフで、同じく円形の手塚士惟くんのブリッジの休憩スペースとも、リズミカルにシンクロしています。

●「時の源」  福田 時子ちゃん
仕事に行く人が時間を確かめたり、子どもが遊ぶときに頼りにしたり、今の時間をみんなに知らせる日時計です。このまちを流れる憩いの水路の水源でもあります。伊藤美波ちゃんの屋台の上に、季節の野菜を育てる菜園や庭も提案。採れた野菜は下の屋台でその場で調理され、美味しさの原点である、新鮮さが味わえます。
伊東先生も太田先生も、本人の名前「時子」をテーマとした案に、個性が表れていると微笑みました。待合せ場所にもなりそうな、時の変化を慈しむ新名所になることでしょう。

円盤のようなものが、浮いていたり庭になったり日時計になったり。全体に共通する「円」のかたちは、グループのムードを決めるのに良いモチーフ。水の波紋のように広がりつながっていけそう、と講師陣のイマジネーションを膨らませます。

全ての発表が終わり、最後に伊東賞が発表されました。
「『まちは楽しくなくちゃいけない、建築は楽しくなくちゃいけない』とアストリッド先生が常に言っていたが、全てここにある。感激した」とまず全体を称えました。
そして「つくる」をテーマとしたCグループに、伊東賞が授与されました。
みんなをまとめてくれた新井琉月ちゃん。共同制作に奮闘した翁涼太くん。
静かな感じがそのままデザインに表れていた坂本知優ちゃん。「緊張したけど、みんなのおかげで自分もうまく発表できた」と受賞のコメントを話す姿は、これまでより堂々と立派に見えました。
朗らかな人柄でみなをまとめくれていた中井惇晴くんも、「自分が言いたいことが言えて良かった」と、大切な一歩を踏み出せたようです。
4人には、昨年出版された、伊東先生が子どものために書いたという書籍「冒険する建築」が贈呈されました。

個性を持ちながらまちをつくる、というとても難しいことをやっている、と村松先生。
みんなが合わさり、より個性が輝いた。20人の子どもたちが自分たちの場所を見つけ、表現を見つけ、「まち」となった。と太田先生は一言一言噛みしめながら話しました。

講評の途中で、塾に2年間通った新井琉月ちゃんが塾の良かったことを尋ねられると、
「学校でずっと志していたものがあって、それまでは『家は家』『四角は四角』と思っていたけど、ここに来てそんなものは捨てて新しい自分の世界に入って、自分のやりたいことをスケッチにして、模型にして、発表して、建築は自分の殻の中に閉じこもってちゃだめだと思った」と話してくれました。

子どもたちは、ふとしたときに本当の気持ちをきちんと伝え、私たちに大切なことを教えてくれます。
「今の気持ちを大人になっても忘れないでね」と掛けた村松先生の言葉は、教育者でもあり、子どもの将来を思う一人の大人の言葉でもあり、そのような言葉が生まれるこの塾に参加でき幸せを感じた瞬間でした。

会場には、海外からこの塾の活動を聞きつけた自治体の視察団もいました。
たくさんの卒業生のなつかしい顔もありました。
いつも子どもたちの傍らでともに悩んだTAたちも、いつも同様、真っすぐな目で見守っていました。
彼らの何人かからは、自分たちの学生生活の傍らには、常に子ども建築塾があったと、会の後に話してくれました。

多くのたくさんの人たちに支えられながら、これからも子ども建築塾は進化し続けます。

今後もみなさまのご支援、どうぞよろしくお願いします。

助手 柴田 淑子

写真:高橋マナミ