会員公開講座 山内道雄さん(島根県海士町長)「ないものはない〜離島からの挑戦」

2018年01月26日

昨年11月11日、島根県隠岐郡海士町の山内道雄町長をお招きして、今年度第5回目の会員公開講座が行われました。海士町のキーワードは「ないものはない」。人と自然が輝き続ける島を目指し、「なくてよい。大切なものはすべてここにある」という信念の元、2002年の町長就任以来、地域経営と地方創生に立ち向かう山内町長が、これまでなさってきた取り組みとその結実についてお話を伺いました。

生き残りを懸けた「自立促進プラン」の始まり
まずは「住民総合サービス株式会社」からお話が始まりました。これは、山内町長が役場職員の意識改革を始めるために掲げた役場の新しい立ち位置です。「自立・挑戦・交流〜人と自然が輝き続ける島に」を経営方針として職務に取り組み、毎週木曜日には「経営会議」も行います。さらに、評価制度を導入し、熱意と誠意のある職員がますますやる気を持って働ける環境をつくったり、2005年からは未来への投資として町長を含む役員の給与40-50%カットを行ったりしました。「トップ自ら身を切らない改革は住民に支持されない。トップが自ら変われば地域は変わる」と、山内町長は強調されます。このように始まった改革によって、役場の本気度が少しずつ地域へ伝わり、やがて住民の意識まで変わり始めました。これが、危機脱出を図るのに不可欠である危機意識が海士町のみんなで共有され、「島を自分たちで守り、自分たちで未来を築く」という自治の意識が芽生えた瞬間でした。


経営会議の様子

地域独自の商品を開発し、市場を開拓する
行政改革・住民意識の統合・地域一体で取り組む姿勢を培うことが「守りの戦略」なら、次に山内町長が目をつけたのは、「攻めの戦略」としての「外貨獲得」です。「ないものはない」の精神を武器に、あるものを最大限に生かす産業振興を開始しました。キーワードは「海・潮風・塩〜島まるごとブランド化構想」。首都圏の消費者をターゲットとして、島の大きな魅力の一つである「海産物」を武器に、商品開発と市場開拓を着実に行っていきました。「儲ける一次産業でないといけない」、そう語る山内町長は、漁師さんの収入が市場価格によって左右されてしまう不安定な状況を打開すべく、当初の反対を押し切って高価な「CAS凍結システム」を導入しました。先見の明のあったこの決断が、結果的に海士町の海産物を海外にまで進出させることになります。これまでの行政に欠けていた「儲けなければならない」という発想・状況を打開するために、山内町長によってもたらされたリスクを承知で挑戦し続ける姿勢が、海士町の産業と経済状況を少しずつ変えていきました。


CAS凍結センター

「モノ」から「ヒト」を育てていくフェーズへ進展する
産業の基盤を固めていった山内町長が次の重点施策として掲げたのは、「人材育成」でした。2007年に、「人づくり宣言」を発令。2008年には、島外へ流出する高校生の姿を目に留め、島内の高校の存続は島の存続へつながると強調し、「県立隠岐島前高校魅力化プロジェクト」を立ち上げました。生徒数の減少から存続が危ぶまれた高校も、2012年には募集定員80名に復活、2017年には全生徒数180名を超える高校へと進化を遂げました。現在では、24都道府県から生徒が集まってきている有数の“島留学”地となっています。さらに、島外からの留学生には、一人ずつに「島親」がつき、お互いに交流をすることで、海士町での生活に潤いを与えてくれます。「地元の子たちも刺激を受けて、頑張ろうという意気込みが高まっている」と、山内町長は晴れやかにおっしゃいました。さらには、現代版寺子屋としての公営塾を設立・ICTを活用した遠隔授業の開始・島のあちこちに本が並べてありいつでも本が読める環境を実現した「島まるごと図書館」といった教育のインフラ整備から、中学生が勉強の成果を東京や京都の大学生に向けてプレゼンする企画・小学校6年生の授業で行われる「子ども議会」の企画といった教育のソフト面の充実まで、意欲的な活動が数多く実現されてきています。これらの活動によって、子ども時代から地域に根ざし地域に目覚めた「海士人」を排出し、「いつか必ず島に帰って恩返ししたい」と考える子どもたちが増えていったのです。


隠岐島前高等学校による「まちづくり甲子園」

「勝ち組」の若者が海士町へ移住をする
今、意欲的な若者が海士町へ多く移住をしているという画期的な現状に大きな注目が集まっています。海士町へのIターンの特徴は、「40歳以下の高学歴でキャリアとスキルを持ち合わせ、何よりも『高い志』を持った『よそ者の若者たち』が『縁』という『絆』で集まってくる」ということです。彼らは、自分の活躍のステージを求めて仕事づくりのためにやってきます。

2004~2016年の13年間で577人もの移住者が集まり、過疎指定町村で30代女性の増加率が47.4%と全国第5位の結果を出しました。さらに、このIターンは大きな相乗効果を発揮しています。移住者と島民とが連携をして「離島型ビジネス」を喚起し、閉鎖的だった島の雰囲気もホスピタリティに溢れる開放的なものへと変わっていきました。

このような、地域に大きな利益をもたらす移住が、海士町でなぜ活発化しているのでしょうか。その疑問に、山内町長は「本気で頑張る人には、行政も本気でステージを用意し支援する」と明言されます。具体的な施策として、若者の必要資金を都市市民から集める「海士町ファン・バンク」の実施・子育て支援条例の制定などが挙げられます。これらは、受け入れる側の明確な意思と移住を希望する側のマインドを大切にした戦略であるそうです。このように、若者が集まってくる背景には、明確な支援の姿勢と若者の視点に立った行政の努力があるのです。


移住者による干しなまこのビジネス

地方創生に立ち向かう流儀
最後に、山内町長が地方創生に立ち向かう姿勢、その流儀についてお話をしてくださいました。地方創生に立ち向かうためには、「自分たちの地域は自分たちで守り、地域の未来は自ら築くという気概と覚悟と故郷愛」・「戦略型の稼ぐ行政への脱皮」・「モノづくりと人づくりによって持続可能な地域を実現すること」が必須だそうです。さらに、山内町長自身の流儀として、企業経営として地域経営を捉えトップの本気度をしっかり職員や住民に伝えること、トップの人間として挑戦を恐れず、確固たる意思・決断力・迅速な実行力を兼ね備えることが挙げられるそうです。このようにして、変革を常に求めていき、住民や職員と近い距離感の中で任務をこなすことで、山内町長は、海士町を大きく変えた、最も注目を集める首長の一人になられたのですね。

地方創生やまちづくりなど、地方を元気にする取り組みが注目を集める昨今。パワフルで活気に溢れた山内町長のお話をお伺いして、しっかりと地域の未来を見つめ、根本から改革をしていくことの難しさと大切さを改めて感じると同時に、町長の厳しくも温かいお人柄と海士町で培われた人望の厚さも改革成功の礎となっているように感じられました。

岩永 薫