後期子ども建築塾「まち」に向けて
先日、後期の子ども塾の下見ということで、半年間通してグループリーダーとして子ども達のサポートをしてくださるボランティアの方々、そして塾スタッフと、後期の講師をしてくださる東京大学の村松伸先生、太田浩史先生と麻布十番の街歩きに行ってきました。私たちは商店街の一本となりの通りにある「パティオ十番」というとても魅力的な広場に集合しました。その一帯はまるで日本の都市とは思えないほどに、独特な雰囲気を持っており、東京らしいせせこましさはあるものの、その開放感は古代ローマのフォルムにも近かったです。
太田先生によるとその広場は石川栄耀という都市計画家によるものだそうです。石川は歌舞伎町の生みの親とも言われ、あの著名な「コマ劇場前広場」も彼の手によるものです。この「パティオ十番」は「コマ劇場前広場」以外では石川が手がけた広場の中で唯一現存するものだそうです。「コマ劇場前広場」は飲屋街として騒々しく、開けているくせに圧迫感があるといいますか、私にとってはあまり居心地のよい空間ではありませんが、「パティオ十番」はそれとは対照的により人間の自然な身体感覚に近いものを持っている気がします。俗っぽく言ってしまえば、「外国人の街、麻布十番」を代表するような風格があるということでしょうか。
私たちは、集合したあと、そのパティオ十番から、大黒坂をのぼり、暗闇坂を下って、これ以上言葉では形容できないようなルートを通って再び商店街へと戻ってきました。その途上には様々な魅力的な建物や空間がありました。東京の街というのは、それが都市の景観的に甘美であるとか、居心地が良いとかいったことは度外視に、魅力的な空間が発生しているような気がします。つまり都市全体としてというよりも、その一部だけを切り取ったときに面白さが見いだせる。極まれに、東京の都市は汚いが、そこに面白さがあり、それこそが魅力なのだと開き直ったようなことを言う人がいます。その猥雑さの中には魅力的なことも多々ありますが、その魅力はやはり都市全体が持つものではなく、そのうちの一部分を切り取ったときに得られるものであり、あくまでも都市の中の特権階級(それは金銭的な格差のことではなく)だけが享受できるものなのだと思います。例えば、麻布十番にはブラタモリというNHKの番組でも特集された「がま池」という池があります。それは明治から残る古い池で、住宅街の中に忽然と現れる不思議な池です。しかし、現在はマンションに囲まれ、ごく一部の人しかその池を眺めることはできません。都市の魅力というのは切り出すという作業の果てにあるものだけでなく、都市そのものが持つべき必要もあるのではないかと、麻布十番の街を見ていて改めて思い知らされたような気がします。
ともかく来期から、子ども達と「麻布十番」の街を散策するわけですが、彼等がこの街をどのように切り取るのか、それが今から楽しみでなりません。