子ども建築塾 後期第2回
この日は久しぶりに神谷町スタジオでの授業を行いました。村松伸先生からの宿題である2つの絵を壁に張り出し、それぞれが5分程度で説明し、太田先生、村松先生からの講評をうけました。
一つは「それぞれに与えられた指令の建築提案」。以前の授業でそれぞれに与えられた指令(例えばラジオ局や動物園など)にそって麻布十番の街にこんな建物があったらいいと思うものを描いてきます。前期でも子ども達は「自分の住みたい家」というテーマで絵を描いてきましたが、全ての子がそのときよりも格段の進歩を遂げていました。なによりも、絵をしっかり描ききることを覚え、そして色鮮やかに表現することへのためらいが消え、さらにもっと自由に建築を作って良いんだということに自覚的になったような気がします。
二つ目の宿題は「みんなの住みたい街」を描いてくるというもの。街の全体像を自分のイメージのみで描かなければなりません。街の絵を描くというのは実はとても難しいことだと思います。私たちがこの課題をあたえられたときにとりえる方法は、上から俯瞰して見た街の様子か、あるいはアイレベルから都市を見上げた様子か、そのどちらかにしぼられると思います。しかし、そうはわかっていても、それらの絵を実際に表現するのは、それなりの描写力がなければかなり難しい。このテーマでは完全なる空想の世界を紙におこすという作業をしなければならないわけですから、写真のトレースもできなければ、何かを参考にすることもできない。そんなものを多少なりともパースをかけて、街という巨大な構築物全体を表現するのは、途方もなく大変でしょう。
ほとんどの作家は上記のどちらかの構図で街の絵を描きます。コルビジェ、エミリオ・アンバース、ポール・ルドルフ、わざわざ個人名をあげなくてもほぼ全ての建築家が該当します。
子ども達の多くはその課題に対して、平面と立面を組み合わせたような絵、街の中の様々な建物を一枚の絵に描くのですが全て立面が描かれており、正面をこちらに向けている、ような絵を描いてきます。そこでは奥行きや空間的な広がりといった概念が消失しており、世界そのものを一つの物質として均質に描いています。街の中の様々な建物一つ一つを全て網羅したい場合には、現実的な見え方としてはありえませんが、非常に有効な手段です。私たちは成長するに従い、技術が伴いパースの掛け方を覚え、そして現実的なものになびきやすくなる為か、このような実際にはあり得ない構図を描こうとはしません。しかしカラフルに彩られた様々な建物がこちらを向いて列挙している光景はなかなかに魅力的で、このような表現方法の意外な奥深さに驚きます。
上で建築家はパースをかけて絵を描くのがあたりまえのように記しましたが、実はそうではない建築家もいます。アルド・ロッシという有名な建築家の描く絵は、まるで子ども達の描く絵のようです。彼は魅力的なスケッチを沢山描いている人で、見事にパースがかかった忠実なものもあるのですが、中には子ども達が得意とする手法、平面と立面を組み合わせたような絵も数枚あります。アルド・ロッシの実際の建築はどれもキリコ等のsurrealismの世界から抜け出してきたような違和感を持ちます。まるで平面的にベターと横たわるような建築は、どこか子ども達の絵を思わせるものがあり、実はロッシはそんなところからヒントを得ていたんじゃないかと空想させます。他にもより過激な例としてはフンデルトヴァッサーという芸術家兼建築家?があげられます。彼は建築のファサードデザインもしますが、その本職は芸術家です。建築のファサードのデザインだけを考えているからこそ、彼が描く都市は、ファサードの集積のように表されます。
この手法は全ての建築の立面を並べることで、一つ一つの建築の異なりをより鮮明にします。子ども達は街の中における一つ一つの建築が全く異なる顔を持っていることにどうやら自覚的な気がします。それに比べコルビジェ等のモダニズム都市計画はどれも同じような建築の羅列で、非常に単調です。別にコルビジェと子ども達を比べてどちらがいいと論じる気はありませんが、やはり子ども達の絵のほうが魅力的に見えるのには、その絵の構図によって示されている都市にたいする意識の違いがあるのかもしれません。
しかし何もその手法ばかりが偉い訳ではありません。子ども達の中には、パースがきき、建物も詳細に描かれ、前後の建物の関係性が明確な、素晴らしいスケッチを描いてくる子もいます。中でも一番驚かされたのは、空から俯瞰で見た建築の絵を描いてきた子がいるのですが、絵の中に空を舞う鳥を描き込んでいます。しっかりと遠近法が用いられているため、鳥は画面の半分を覆うほどに大きく表現されている。まるで鳥の目から都市を見下ろしているかのような構図です。また、アイレベルから都市を眺めたような絵は普段見慣れている光景なのにも関わらず子どもにとってはほとんど馴染みがないようでした。しかし一人だけ二つの建物の間から、向こうに広がる都市をアイレベルで描いている子おり、その絵は建物同士が都市の中でどのように関係しあっているかを気にしていたようです。
こういったこともまた、その子が都市をどのように捉えているかの一つの表徴なのかもしれません。
子ども達はこれから街の中に一つの建築を作ります。そのときに彼等の建築が全てこちらを向いている建築群の中の一つだということにどこまで自覚的になれるか。その隣には全く別の立面を持った建築が存在していることを忘却せずにいられるか。そんなことが、今後のテーマの一つになるかもしれません。
授業の後半は村松伸研究室の博士過程に在籍されている田口純子さんが「麻布の地形と歴史」というレクチャーを行ってくださいました。東京湾の縄文時代のころの地図と現在の地図を交互に見比べて、その相似点を調べると、川の位置が全く一緒だったり、当時の地形が現在もそのまま残っていたりと、当たり前だけれどもハッとさせられるような内容で、とても面白かったです。
子ども達の絵、そして田口さんのレクチャーと、今回の授業は建築家にとどまらず、その場にいらした多くの人にとって実のあるものとなったのではないでしょうか。