会員公開講座 陣内秀信さん「都市って何だろう」
11月6日、都市史がご専門の建築史家・陣内秀信さんをお招きし、本年度第3回目の公開講座が開催されました。陣内さんは、長年イタリア都市について研究をされてきました。学生の時に3年間(1973-1976年)、法政大学に勤め始めてから1年間(1991年)、イタリアに滞在して調査研究をなさったほか、パンデミック以前は毎年3回ほど現地を訪問してこられたそうです。さらに、その経験を踏まえた視点で、東京を中心に日本の都市についても研究し思索を重ねてこられました。
今回の講座では、陣内さんがご自身の活動を通して感じ取ってきた、イタリア都市の変化のプロセス、イタリア都市と比較することで明確化される東京の特徴、都市文明の今後の展望について、お話を伺いました。
都市の定義を考える
都市とは一般的にどのように捉えられてきたのかを考えるために、陣内さんは、中世都市の象徴であるシエナを描いた14世紀前半の壁画を提示しました。そこには、市壁の内側に広がる都市とその周辺の田園地帯が画面に収めており、陣内さんは「市民が良い代表者を選べば都市は繁栄することを示した寓意画(ぐういが)であり、農村と都市が互いに繁栄して支え合う関係性を描いたもの」であると説明を加えます。
しかしながら、「このような、農村・都市・小さな町の有機的な繋がりと、それがもたらしてきたテリトーリオ(注1)の豊かさが、近代化で忘れ去られてきたのではないか」という問題意識を陣内さんは常々抱いてこられたそうです。その背景には、高度経済成長に伴い、①自然との対話、②歴史との対話、③人との関係、という3点を犠牲に急速に進んだ近代化、そして、それに対する疑問が噴出する時代の動向を目の当たりにしてきたという、ご自身の経験があります。この経験と問題意識に突き動かされて、陣内さんのライフワークはイタリアへと展開していくのです。
ヴェネツィアへの留学と調査
近代都市を乗り越える視点を学ぶために陣内さんが選んだのは、古くからの都市の良さを生かしつつ時代に合わせて変化をしてきたヴェネツィアでした。陣内さんは、ヴェネツィア建築大学で学び、『ヴェネツィアの小建築(Venezia Minore)』(1948年、E.Trincanato)を嚆矢(こうし)にムラトーリが確立した、都市形成の歴史を読み解く理論を会得されます。
さらに、サンタ・マルゲリータ地区ではマーケットやカフェ・バーの利用調査を行い、地区が持つ機能が複合化して暮らしを支える様子や、人々の交流ネットワークについて可視化しました。また、南イタリア・プーリア地方の町チステルニーノのフィールドワークは、いつでも小綺麗な装いで家に招き入れてくれる住民の皆さんの住み方を体感し、都市空間の社会性を改めて考えるきっかけとなりました。
日本人にとって都市とは何か
一方、「このような都市の概念を日本にそのまま当てはめることは難しい」と、陣内さんはおっしゃいます。日本の歴史を考えてみると、”都市”という言葉の一般的な利用が広まったのは大正期の都市計画法以後であり、”都市”は日本社会に歴史的に根付いてきた概念とは言い難いのです。さらに、イタリアで学んだ都市を読み解く手法を日本の都市に当てはめようとしても、坂道・崖・寺社・庭園・樹木など、イタリアの手法では説明ができない要素が多く困難が伴います。
日本人にとっての都市空間を理解する手がかりとして、陣内さんは「江戸名所図屏風」(17世紀)を提示しました。立派な街並みに加えて微細に書き込まれた人々の活動の様子から、”営みの空間”として都市が捉えられていたことがわかります。加えて、「洛中洛外図」(1574年)では、当時の京都で重要であった場所に加えて農村部で働く農民の様子が生き生きと描かれており、イタリアの都市の概念と同様、日本でも都市と田園との繋がりが意味のあるものとして捉えられていたことが窺えます。
東京を解読する
それでは、西洋近代都市の形成論理とは異なる東京を読み解くにはどうしたら良いのでしょうか。陣内さんは、地形を読むことが有効ではないか、と気が付きます。東京では、地区同士のつながりや道路ネットワークが地形と密接に結びついており、それが東京の個性を演出しているのです。さらに、「尾張屋版江戸切絵図」(1849-1862年)を現代の1/25000の地図に重ねると、このような特徴は江戸から継承されてきたことが一目瞭然です。このように、東京のアーバンデザインの基本が自然の要素含むインタンジブルな要素で歴史的に形成されてきた点を、陣内さんは『東京の空間人類学』(1985年、陣内秀信)で示しました。
加えて、陣内さんは、東京の”水のテリトーリオ”としての側面にも注目されています。歴史に根付いた「水循環都市東京」を実現するために多分野の専門家と共に活動されているほか、『水都東京: 地形と歴史で読みとく下町・山の手・郊外』(2020年、陣内秀信)では水と共に歩んできた東京の歴史を詳らかにしました。
都市文明の大転換:ポストモダン都市、田園の再発見
産業革命後、資本主義のもとで都市が急速な発展を遂げ、1960年代に近代化を見直す動きが高まったのち、1970年代にポストモダンに突入します。この時代が、西洋都市のあり方の転換点となりました。イタリア・ボローニャでは、「資本から市民に都市を取り戻す」を合言葉に、歴史的街区の保存・再生・活用の動きが盛り上がりました。イタリア・ローマのナヴォナ広場では、車を締め出すことで、開放感あふれるコモンズとしての広場を取り戻すことに成功しました。イタリア・コモは、テリトーリオのネットワークと古い建物群を生かすことで、中小企業の分散エリアから文化の発信地へと華麗な変貌を遂げました。さらに、1980年代のイタリアでは、地方分散がさらに押し進められ、1985年に制定された景観法・アグリツリズモ法をはじめ、田園の価値が再発見されていきます。
日本でも、1980年代は、1984年『谷根千』の創刊、芝浦・品川のウォーターフロント開発、舞台性を備えた街としての渋谷・原宿の発展など、東京が失いつつあった歴史性・自然・舞台性が蘇る動きが見られました。しかしながら、1980年代後半にバブル時代となり、再び顕著な都市化が進むこととなります。
このような状況の中で、陣内さんは、東京周辺の田園に光を当てる研究に精力的に取り組んで来られました。日野市では、地形との関係性から定義される農村のタイポロジーを分析し、用水路等水を取り巻く地域の文脈を体系的に捉え直しました。国立市では、豊かな水資源を歴史的に利用する中で形成されてきた景観を保全するために、谷保をはじめとする農村風景の価値を発信してきました。
今後の潮流:究極まで突き進んだ都市文明からの脱却とは
全世界がパンデミックに席巻されてから2年が経過しました。「コロナ禍にある都市住民たちは、都市の近代化で何を失ったのか、どのようにそれらを取り戻し良い変化を生み出せるか、意識しはじめている」と陣内さんはおっしゃいます。ヴェネツィアでは、観光客の波が落ち着いたことで、都市には生活感が、水には透明度と魚が戻ってきました。水のテリトーリオとして形成され、環境共生を実践してきたヴェネツィアの本来の姿が現れてきたのです。
昨今の世情の中で、近代都市が切り捨ててきた物事に対して、人々は改めて関心を寄せています。「今後もなお一層、①自然との対話、②歴史との対話、③人との関係を取り戻そうとする動きが諸都市で活発化するはず」という陣内さんの力強い言葉で講演は締めくくられました。
(注1). 「テリトーリオ(territorio)」(伊)。土地・土壌・水循環などの自然条件を下部構造、人間の営みが育んだ景観を上部構造として、地域を一体的に捉える概念のこと。
岩永 薫