会員公開講座 NPO法人がんばッと!!玉浦「新しい農業をめざして」

2013年10月14日

9月21日、今年度第3回目の会員公開講座が恵比寿スタジオにて開催されました。今回は宮城県岩沼市の「みんなの家」にて農業支援活動を行うNPO法人がんばッと!!玉浦の理事長・武田英之さんと副理事長・氏家義明さんにお越しいただき、これまでの活動を中心に様々なお話を伺いました。

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蔵王山を背にして水田の広がる岩沼市は玉浦。かつては玉浦という地名があったそうですが、合併によって地図上からは無くなり、現在は公民館と小中学校にその名が残っているそうです。お話はまず、玉浦地域が被災したところから始まります。

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2011年3月11日午後2時46分。ここから一つの物語は幕を開けました。三陸沖で発生した巨大地震は大津波をまとって東北地方沿岸部に次々と牙を剥き、岩沼市も66.7%の農地が被害を受けました。特に玉浦地域においてはほぼ全域が津波に飲み込まれ、その浸水域は海岸線から5kmにまで及んだといいます。逃げ延びた人々は玉浦小学校や中学校に避難しました。しかし避難所となった玉浦小学校も水没しており、約3日間完全に孤立してしまったそうです。その間、小学校は修羅場と化していました。泥だらけの上、食べる物もない、子どもたちはお腹を空かせている。中でも高齢者が下を向いてどんよりしているのは耐えられなかったといいます。それでこの状況をなんとかしなければと動き出し、走り回った。それが「がんばッと!!玉浦」の原形です。

そうこうしているうちに避難所は内陸の方に移動することができたそうですが、しかし当然それで終わりではありません。その後もなんとかして町を再生しようと、色々な所に出向いては様々な活動を行ったそうです。そのスタートとなったのは、なんとか使えるようになった武田理事長の自宅の一室での「がんばッと!!玉浦」ステッカーづくり。最終的に8000枚も制作されたそのステッカーは全部自費だったそうですが、そこから「がんばッと!!玉浦」が始まったのだといいます。

「がんばッと!!玉浦」の活動を行っていく上で決めたのは、「やる前からダメだ、無理だとは言わない」ということだったそうです。何にもなくなってしまって、また一からつくっていかないといけない。しかし、だからこそ力強く歩んでいけるということもあるのかもしれません。何にもない、だから何だってできる。とにかくやってみないと分からない。当時はまだ夢物語のように話していたことを、少しずつ少しずつ実行に移していく道中は、笑ったり泣いたりの繰返しだったといいます。

武田さんは当時こうおっしゃっていたそうです。「俺らは2週間経ったら被災者じゃない。これから新しい町つくんだ俺らは。頑張らないといけないんだ。」

岩沼の場合は避難所を出るのが非常に早かったそうで、5月の連休前に第1陣が仮設住宅に移り、お盆前には避難所が閉鎖されました。その頃には「がんばッと!!玉浦」の行動範囲も大分広がっており、南三陸への水支援や子どもたちを連れた神奈川ツアー(ただ途中でバスが壊れて大変だったそうです…)など、より広範囲な地域での活動を紹介してくださいました。

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12月頃になると、「がんばッと!!玉浦」は仮設住宅への物的支援を終了させました。次第に玉浦地域でお店を再開する人も増えてきて、単なる物的な支援よりも、再び地域全体を循環させていく必要性を感じての決断でした。仮設住宅の人たちも、大部分はいずれ玉浦地域に戻ってきます。それに向けて玉浦を盛り上げていこう、玉浦地域で頑張っている人を応援しよう、その為に玉浦という地域で何をしようか。そのような方向へとシフトしていきました。「がんばッと!!玉浦」の活動は、また次の段階へと進んだのです。そうして思い至ったのが、やはり中心産業である農業でした。

翌年になり、この頃から当時東京大学で都市工学を教えていた石川幹子先生(現在は中央大学理工学部教授)とのお付き合いが始まったそうです。最初こそ「住んだこともない人が勝手に人のまちづくりをするな」と反抗心剥き出しだったと裏話を語ってくださいましたが、ほどなくしてその溝は埋まり、以後石川先生のアドバイスも受けながら活動は進められていきます。今回「みんなの家」と共にできた「記憶の庭」はそれが一つ実を結んだものでしょう。

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伊東塾長と初めて対面したのは、2012年9月「みんなの家」の打ち合わせの時だったそうです。その紹介をしてくださったのは元・サッカー日本代表で現在「TAKE ACTION FOUNDATION」代表を務める中田英寿さん。打ち合わせを重ねつつ、そこからはトントン拍子に計画が進んだそうですが、伊東塾長がどんな要望にも首を縦に振るので、当初は本当なのかと心配だったそうです。そうして始まった「みんなの家」づくりは、家族や知り合いも巻き込みながら、本当にみんなでつくったという実感があったそうで、なんとか今年7月9日の竣工式にこぎつけた時はとても嬉しかったと話してくださいました。

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そんな岩沼の「みんなの家」は現在、朝採り野菜の直売など着々と使われ始めているそうです。玉浦の中心は農業、稲作です。大部分は兼業農家ですが、やはり玉浦は農業を交えてまちづくりをしないといけないだろうということで考えたのが、“農業アミューズメント”による地域づくり。農業を楽しむ、親しんでもらうと同時に、地域の差別化を図ります。その参考にしようと視察に訪れた千葉県で、「みんなの家」の出資者であるインフォコム株式会社とも知り合ったそうです。そこから発展していって、今回晴れてかたちとなった岩沼の「みんなの家」は、きっと今後の復興の拠点となることでしょう。

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レクチャーが終了した後の質疑応答でも、農業の実情、その抱えている問題などについて詳しく教えて下さいました。実は、震災前からちょっと変えれば農業は面白くなると思っていたそうです。けれど農家の人たちは頑固な所があって、震災前はまとめられる気がしなかったといいます。しかし、それが震災で変わったのです。やれるかもしれない、と。震災はある意味チャンスでもあったという話は考えさせられるものがありました。

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“被災者”であったことを感じさせないほど、武田さんと氏家さんは、この日誰よりも前を向いて、そして明るかったように思われました。しっかりと歩を進めている彼らは、特に私たちに何かして欲しいということはないといいます。けれどただ一つ、「震災があったことを忘れないでいて欲しい。」

また、沢山のボランティアの人が来てくれたことには感謝していて、「今度なにかあった時は俺らが行かなくちゃなんないなという想いが強いです。」と言ってくださいました。

今後も農業をからめた様々な活動を考え中だという「がんばッと!!玉浦」。まだまだ未知のことだらけで、課題も沢山あるのだと思います。けれども挑戦をやめません。例えば来年度は氏家さんが借りる60haの農地を使って、ITを農業にどう活かしていけるか等、新たな農業のかたちを実験していくそうです。岩沼の「みんなの家」も、これからどう展開していったらいいのか、日々ビール片手に頭をひねっている最中だといいます。とにかく「何事もやる前から、ダメ、無理は言わない。」これからの「がんばッと!!玉浦」の展開が楽しみです。

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ここにはとても書き切れないほど、この日は様々な活動のお話を聞かせてくださいました。最後に伊東塾長が参加者に「先ずはお米を買ってくださいね。」と呼びかけて、この日の公開講座は幕を閉じました。玉浦産「がんばッと米」是非とも食べてみたいです。

息の合った掛け合いで、長時間にもかかわらず終始笑いの絶えないお話を聴かせてくださった「がんばッと!!玉浦」の武田さん、氏家さん、並びに参加者の皆様に厚く御礼申し上げます。

石坂 康朗