会員公開講座 古市徹雄「ブータン伝統住居から見る人々の暮らし GNH(国民総幸福)を目指す国」

2014年01月10日

11月9日、今年度第4回の会員公開講座が恵比寿スタジオにて開催されました。今回は建築家・都市計画家である古市徹雄先生を講師としてお招きし、古市先生が2009年から行っているブータンでの民家調査で得た知見を中心に、被災地をはじめ、これからの日本のまちをどうしていくべきか、その手がかりとなるお話をしていただきました。

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古市先生は早稲田大学大学院建設工学専攻を修了された後、丹下健三都市建築設計研究所に11年間在籍されます。丹下事務所では様々な場所で仕事をする機会があり、その頃にヴァナキュラーなものに惹かれ始めたといいます。ヴァナキュラーとは“方言”、建築にも様々な方言があるとおっしゃって、ヨーロッパよりも中近東やアフリカに興味があったという古市先生。今回お話ししてくださったブータンもその延長にあります。

ブータン王国は、面積は九州とほぼ同じ約38,394㎢、人口は島根県とほぼ同じ約72万人(ブータン政府資料2012年による)、緯度は沖縄県くらいでヒマラヤ山脈東端南麓に位置する急峻な山岳国家です。宗教はチベット仏教、地理的には中国とインドに隣接しており、中国の侵略に常に怯えてきた一方でインドとは非常に友好な関係を築いているそうです。17世紀にチベットから独立、少し前まで鎖国体制を保っていましたが、1971年国連に加盟するなど近年は門戸を開放しています。建築については全てブータン様式で統一されており、民家は厚さ約80㎝の土を固めた版築の上に木造が乗る混構造になっています。大体は3階建で、1階は家畜用で2階が穀物倉庫、3階が木造部で住居になっており、屋上は農作業スペースとして使われているそうです。

1撮影:古市徹雄

娯楽らしい物は特になく、現地の方々に聞いたところ、人と会ってお喋りしているのが一番楽しいそうです。ブータンの子どもたちは決して笑みを絶やさず、こざっぱりしていて、古市先生いわく昔の日本を彷彿とさせるものがあるようです。

2 撮影:古市徹雄

古市先生はブータンの原点にあるという4つの要素を紹介してくださいました。それは「足るを知る/人と交わる/利他性の思想/環境を守る」ということです。3.11の東日本大震災で人々を救ったのは、昔ながらの付き合いや地縁だったと古市先生はおっしゃいました。私たちが改めて気付かされた大切なものを、ブータンの暮らしに見出すことができるのではないか。ブータンではそれを独自の概念、GNH(国民総幸福量)によって表現しています。GNPに対置されるその概念は、「持続可能な社会経済」「伝統文化の継承」「自然環境の保護」「優れた統治」という4つの柱と9つの指標によって示されています。古市先生は、ブータンにおいてそれを支えているものとして、宗教から来る倫理観や農業という共同作業に由来する円満なコミュニティなどを挙げられました。

宗教的価値観は小さい頃から染み付いており、例えば世界の平和を祈るということはブータンの人にとっては当たり前のことなのだそうです。またブータンでは動物が非常に尊重されているそうで、それは人も動物も皆輪廻転生する兄弟であるという考えに基づいているといいます。他にも機械が人間を支配するのは良くないという仏教的価値観から、ブータンには信号が一つもないそうです。

3撮影:古市徹雄

ブータンで最も立派な建物はゾンといい、行政機関と僧院が合わさった施設で各地域のシンボルとなっています。これも版築と木造の混構造で、巨大な版築には要塞としての意味も込められているそうです。装飾が非常に豊かで、様々な文様には一つ一つ意味があり、仏教の教えが表現されているといいます。ゾンが特別な祈りの際に使われるのに対して、普段の祈りの場としてはラカンと呼ばれる寺院があります。主要な建物は白漆喰で塗られており、チベット仏教を象徴するえんじ色との対比が鮮やかです。

4撮影:古市徹雄

ブータンの主要産業は農業ですが、元々は山岳地帯でもあり、あまり食物の取れる豊かな土地ではありませんでした。最近はかなり食料事情が良くなったそうですが、実はそのかげに日本人の農業専門家の存在があったことはあまり知られていないかもしれません。「ブータン農業の父」と呼ばれるその立役者の名前は西岡京治。1964年にブータンに派遣され、米をはじめリンゴや梨、桃などの新しい作物を定着させたり、日本の耕運機を導入して生産性を向上させるなど、ブータンの農業改革に尽力しました。その功績により、西岡さんは外国人として唯一「ダショー」(ブータンの爵位)を与えられています。

5撮影:古市徹雄

ブータンの伝統衣装は女性用が“キラ”、男性用が“ゴ”といいます。布を折り込んで長さを調節する、非常に機能的な服だと古市先生は紹介してくださいました。これらの伝統衣装には、勿論民俗としての誇りを持つという意味もありますが、もう一つ、競争をさせないという意味も込められています。建築が全てブータン様式であるのも同様です。建築家としては商売上がったりだとおっしゃっていましたが、それも一つの考え方です。

6撮影:古市徹雄

しかし近年、ブータンにも近代化の影が着々と忍び寄っており、社会問題ともなっているそうです。特に顕著なのは首都のティンプーです。近代的な鉄筋コンクリートの建物や娯楽の店も大分増えており、まだ治安が悪くなったりはしていないといいますが、今後果してどのように展開していくのでしょうか。古市先生は宗教から来る倫理観がかなり利いているとおっしゃっていました。

7撮影:古市徹雄

レクチャーの最後は、古市先生が行っているブータン伝統住居実測調査について教えて下さいました。昨年(20013年)の9月にはブータン中部のチュバという村を調査したそうですが、それには伊東塾長も同行し、30名の大調査団だったそうです。調査では、GPSを使った測量やCTスキャナを用いたCGモデリングなど、機械を要所要所で用いながら、かなり正確なデータが得られたとおっしゃっていました。一方で現地住民に聞き取り調査も行い、女性が家督を継ぐというブータンの婚姻関係や、土地所有関係にもかなり面白いものを見出すことができると教えてくださいました。

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レクチャーを終えた後は質疑応答に移りました。先ずは伊東塾長から、膨大なエネルギーを費やすブータン調査を何故やるのかと問われ、“ブータン伝統住居の持つ建築的面白さ、自然との付きあい方”と“コミュニティの在り方”が、共に現代建築に活かせるのではないかと考えているからと答えられました。やはり古市先生の見据える先には現代建築への応用があります。この日の参加者の中にもブータンを訪れた経験のある方々がいらっしゃって、それぞれの印象を交わされつつ、ブータンのある種理想的な状態を踏まえて、では日本にどのように活かすことができるのか、またブータンの必ずしも楽観視できないような部分や、これからの展開にも話が及び、ブータンの良い面も悪い面も含めより広い議論が交わされました。

古市先生はブータンのライフスタイルの豊かさを問われ、「一番は時間がゆっくりしていること」と答えられました。日本の時間は随分速く流れるようになったかもしれません。日本がブータンになることはできないでしょう。しかしそのような暮らしに宿るものの価値について、一回立ち止まって考えるチャンスを、私たちは東日本大震災によって与えられました。一方で復興計画は明確な都市像を持たぬまま進行し、世間は2020年東京オリンピックに向けてまた加速をし始めています。ブータンの今後にも考えるべき課題は多いでしょうが、今私たちがブータンの暮らしから考えさせられるものは少なくないと思います。

お忙しい中、貴重なお話を聴かせてくださった古市先生、ならびに参加者の皆様に心より御礼申上げます。

石坂 康朗