釜石ワークショップ

2011年06月27日

前回のブログをアップしてからだいぶ間があいてしまいました。
今回は6月11日から13日にかけて、私たちが養成講座の受講者たちと一緒に釜石で行ったワークショップの話をしようと思います。

6月11日から13日にかけて、工学院大学の遠藤新さんの企画で、釜石市民と建築、都市計画の専門家たちがともにアイデアを出し合いながら、釜石の街をこれからどのように復興させていくかを話いました。鵜住処地区、東地区と二つの地区にわけ、それぞれをさらに「防災」「地域性」「産業」「居住」という4つのグループに分類しました。
他に関東学院大学や東北大学の小野田先生の研究室の学生たちなど、沢山の方々が集まり刺激的な体験ができました。ワークショップの合間をぬって実際に津波の被害が酷かった釜石の市街まで行ってきたのですが、いざ目の当たりにすると写真で受けた印象とは全く異なり、想定よりも絶望を煽るような光景でした。紋切り型の表現ですが、文字通り、自然の脅威を実感いたしました。
釜石にはNHKの取材陣もきており、そのとき知り合った藤島さんというまだ若い記者の方の話が大変印象深かったです。記者というだけあって、莫大な情報が見事に整理されていたのには驚きました。
ワークショップは、初日は調査、二日目は議論、最終日は提案、といった案配に進み、毎回終わりには各班の発表がありました。少ない時間の中で提示された案はどの班も魅力的なものばかりでした。
ここでは語り尽くせないくらい色々なことがありすぎて、最終日に釜石線というワンマン運転車両の座席に腰をおろしたときは、正直に言うと安堵の気持ちでいっぱいでした。

ここからは私が自らの班で体験したことをもとに、簡単な感想を記させていただきます。
私は計8つのチームのうち養成講座の吉岡さん、阿久根さん、山田さん等と同じ「東地区地域性」に割り当てられました。塾生含め、市民の方々も、私たちの班は非常に熱意溢れる人たちが多く、白熱した話し合いになりました。
地元の方々と話をしていくうちに気がついたのは、果たして「地域性」とはどのようなものなのか、誰も明確な答えをもっていないとうことです。釜石はラグビーが強い。釜石は海鮮が美味しい。そういった小さな事柄は地域性と呼ぶに足りるのか。結局一般的に言われている地域性というのは、そういった細かな事柄の集積をさすわけであり、それは多くの人にとって立派な地域性となり得るわけです。
しかし地域性というものを、そのような細かな要素を集積した結果できあがる大きなものと捉えた場合、それがなんなのかがはっきりしません。小さなものが集約するイメージを抱けないのです。
私が思うに、それは本来都市が担うべき役割だったのではないでしょうか。都市という一つの構成物が様々な小さな要素を吸収し、一つの形態として出来上がる。それは文字通り「形態」であり、それが都市独自の形を作り上げるわけです。しかし現代の都市はどこも東京化しているようで、果たしてその都市独自の形態があるかと言われると、何とも言えません。

作家の松山巖さんが「住み家殺人事件-建築論ノート-」という本の中で、高層ビルというのはその周辺の環境を吸い上げるシステムと称しています。本来は土地面積を何倍にも増大させるならば、それに比例して地価も安くなってしかるべきなのに、同じどころか頂上に近づくにつれ地価は高くなってゆく。それはつまり、高層ビルそのものというよりも、その内側にコアとして宿る昇降機が環境を吸い上げるシステムとして働いているのであり、それすなわち移動手段=インフラをさすのだと私は勝手に考えています。インフラストラクチャーが周辺環境を吸い上げるのならば、1960年代に都市のインフラが整備され、そのインフラを伝わって、地方都市はどこも東京化していきます。それは正確に言えば資本主義の都市計画に従うということですから、東京化するわけではありませんが、東京とインフラにより接続され、その市場の働きに生活パターンをあわせる必要が生じているわけですから、東京化と呼んでも差し支えないでしょう。
そうなってくるともはや地域性を通して、都市の形を論じることはできなくなってしまいます。地元の人たちが求めているものすら、東京人がイメージする観光地(リゾート地)となんの変わりもないのですから。

だったら私たちはいっそのことユートピアと貶されてもいいから、夢のような世界を描いてみるべきなのではないでしょうか。ArchigramやSuperstudioの時代のようなアンビルドな提案をする人はもはやいません。それは社会主義の崩壊や資本主義のあまりの強大さを前にして、その追求が全く無意義であるかのように語られるようになってしまったからでしょう。同時に、そのあまりにも破壊的な規模の提案は、もともとそこにあった「地域性」を破壊するということにポストモダン以降、懐疑的になったことも影響しています。
しかし地域性を語ることそのものが困難な現状、そういったゼロ(必ずしもゼロである必要性はないのですが)から、巨大なユートピアを提案することも必要ではないでしょうか。結局個人が都市を考えるとき、その先に個人が描く大きなユートピアは必ず存在しているはずですし、それが無ければわざわざ釜石まで行ってワークショップに参加する意味もありません。
そういった個人的なものを無駄だと思わずに、積極的に表出し、それを叩き台として市民の人たちと話し合うほうが、今ある手札から使えそうなものだけをかいつまんでいくような作業よりも、よっぽど未来に対しての可能性を秘めているのではないでしょうか。個人個人のユートピアが混ざり合い、一つの提案となったとき、本質的な釜石の地域性が見えてくると思います。