会員公開講座 福岡伸一さん「生命って何だろう」

2021年07月27日

6月12日、生物学者の福岡伸一さんをお招きし、本年度第2回目の公開講座が開催されました。福岡さんは、分子生物学者としての研究活動の傍ら、多数の名著(生物学はもちろん画家フェルメールに関するご著書も!)や多様なメディアでのご発言を通して、サイエンスの魅力をわかりやすく世間に発信されてきました。

今回の講座のテーマは「『生命』って何だろう?」。台湾やガラパゴス諸島での実地調査で福岡さんが体験されたこと・考えられたことを起点に、これまで「生命」の本質を探求してきた科学者たちの営みも踏まえつつ、「生命」とは何か、という問に対する福岡さんのお考えをわかりやすくご説明いただきました。

何が私を研究へと駆り立てるのか

現在の福岡さんのキャリアを支える原体験は、福岡さんの少年時代にあります。それは、デザイン・機能・構造の見事なバランスを備えた昆虫の素晴らしさに魅了されたことです。特に思い入れがあるのは蝶。もこもことした幼虫がすっとしたサナギになり最後には優雅に羽を伸ばして飛んでいくという劇的な成長と変化、さらには、ご両親から買ってもらった顕微鏡が映し出した羽の構造美を目の当たりにして、「『生命』はなんと不思議で美しいんだろう!」と感激したのが、生物学者へ歩みを進めた原点となりました。

そんな福岡さんは、一昨年の夏、長年憧れてきた蝶「コウトウキシタアゲハ」を見に台湾の蘭嶼という島を訪れました。この蝶は、このエリアにしか生息しない大変珍しい蝶で、見る角度によって真珠のように色が変化する黄色い羽が特徴です。福岡さんのコウトウキシタアゲハ探し冒険談からは、船酔いやスコールといった困難、なかなか見つからない蝶に思い焦がれる心情、発見した時の興奮などが臨場感を持って伝わってきます。会場全体が福岡さんの生き物への愛を共有し、そのライフワークの一端を垣間見ることができた瞬間でした。

「『生命』とは何か?」に答えようとしてきた先人たちの話

生き生きとした蝶の動画を踏まえ、福岡さんは「生きているとはどういうことなのだろう」と改めて問います。福岡さんによると、欧米では、「生命」の特徴を説明するものとして、”ミセス・グレン(Mrs. GREN)”という言葉を教わります。また、ワトソンとクリックによるDNAの二重らせん構造の発見(1953年)は、その構造が可能とする遺伝子の設計図の”自己複製能力”を「生命」の本質として定義づけ得る成果でした。しかしながら、福岡さんは「生きていることの本質を説明する上で、その特徴の列記だけでは不十分。自己複製能力も、非生物(氷の結晶やコンピュータウイルス)にも見られることがあり、生命の本質を説明しきれていないのではないか」と問題提起をします。

M…Movement  運動

R…Respiration  呼吸 

S…Sensitivity  感度

G…Growth  成長

R…Reproduction  生殖

E…Excretion  排泄

N…Nutrition  栄養

「生命」の本質を見定める鍵として、福岡さんは2人の科学者を紹介しました。一人目は、物理学者のエルヴィン・シュレーディンガー(1887-1961)です。彼の著作『生命とは何か:物理的にみた生細胞』(1951年、岩波書店)では、「生命は『エントロピー増大則』に抗している」という点が述べられます。つまり、生命あるものは、”物事は乱雑な方向へ/かたちあるものはかたちのないものへと向かっていく”という宇宙の大原則に瞬間的に抗おうとし、老廃物を排出したり古い細胞を新しいものに修復したりすることで、自身を成立させる秩序を保とうとする不断の営みを備えているというわけです。

では、「生命」がエントロピー増大則に抗うときに、具体的に何が起きているのでしょうか。この問いの答えを導くヒントとして、生化学者のルドルフ・シェーンハイマー(1898-1941)が紹介されました。彼は、「生命」を「食べること」から解き明かそうとした人物で、「私たちはなぜ食べ続けなければならないのか?食べたものはどこにいくのか?」という問いに対して、消えないマーカー(同位体元素)で印をつけた食物の分子の動向を追跡する方法で答えようとしました。実験の結果、食べた物質の分子が体の隅々に入り込んで一体化すること、新しい分子が入り込む前に存在していた古い分子は分解・排出されること、このため食べても体重が変化しないこと、が分かったのです。つまり、「食べる」とは「体の細胞を入れ替える」ことであり、体内で分子の分解・再構成が緩く繰り返されていくことこそが「生命」の本質だと明らかにしたわけです。

大きく変わらないために小さく変わり続けるのが「生命」

私たちは「生命」を維持する上で、常に自分自身を壊しながら作り替えています。いずれは老化・死を迎えるという意味ではエントロピー増大則を完全に克服することは適いませんが、少しずつ抗い、”負ける時”までの時間を稼いでいるのが「生命」です。福岡さんは、哲学者アンリ・ベルクソン(1859-1941)が言った「生命には物質のくだる坂をさかのぼろうとする努力がある」という言葉を引用しつつ、「自身を壊しつつ作り替える流れの中にある状態『動的平衡』と、それを実現する『自己破壊』能力こそが、『生命』の最も重要な特質である」とおっしゃいます。

「動的平衡」のもとでは、体を作っている物質そのものはどんどん変わっていきますが、細胞と細胞の関係性や細胞中のタンパク質同士の関係性は変化しません。ジグソーパズルのように、その場所にはめ込まれるべきピースの記憶が周囲のピースに残っているという”相補性”によって、私たちというアイデンティティを保ちつつ変わり続けることができるのです。

数ある「生命」体と人間とを隔てるものとは

福岡さんは、2020年に「生命」に溢れたガラパゴス諸島へ行く機会に恵まれました。「進化の最前線、まさに『生命』が謳歌されている」というガラパゴス諸島の環境に身を置くことで、福岡さんは「『人間』を他の生物と隔てるものは何なのか」という問いを改めて考えざるを得なかったそうです。その問いへの結論は、「人間はロゴスの獲得によって『種の保存』よりも『個体』が大切だと思えた唯一の生命ではないか」というものでした。ピュシスの一部として生きる他の生物のように、「種の保存」=子孫を残すことを目的として生かされているわけではなく、人間は、生まれた瞬間に一個体として尊重され一人一人の自由意志に価値が置かれます。そうして、ピュシスを相対化することが可能となりました。

Logos    ロゴス     理性

Physis   ピュシス  自然 

しかし、人間はあくまでも、ロゴスとピュシスとの間を行き来して生きています。例えば、ピュシス的に自己複製をして拡大している新型コロナウイルスも、人間のロゴス的行為(人口が密集する都市、交通機関の発展と移動…)の帰結としてパンデミックを引き起こしてしまったといえるかもしれません。「短絡的・短期的にピュシス的問題を解決しようとしたところで、例えば耐性菌のように、網目をすり抜けてより強いピュシス的問題にぶつかってしまう」「長い時間をかけてピュシスとロゴスとの間に均衡関係を作っていくべき」という大変力強い言葉で、福岡さんの講座は締めくくられました。

岩永 薫