講座B 江戸東京たてもの園 見学会

2012年05月22日

5/13(日)は講座Bの第2回目の授業「江戸から昭和にかけての東京を知る」が江戸東京たてもの園にて行われました。

江戸東京たてもの園は、現地保存が難しくなった江戸・東京の建物が移築し、一般公開している施設で、小金井公園の中にあります。
講師は、園の創設に携わり、移築される建物の選定にも関わってきた、藤森照信先生です。今回の見学会では、「日本の建築家が、どのようにして西洋でうまれたモダニズム建築に日本の伝統建築を取り込んできたのか」が見所となりました。

最初に見学したのは、前川國男邸です。

前川國男(1905〜1986)は、ル・コルビュジェやアントニン・レーモンドに学び、戦後日本の建築界を牽引した建築家として知られています。
この住宅は、昭和17年に前川氏によって設計され、戦前は自邸として、戦後は前川國男建築設計事務所として使用されました。
藤森先生によると、前川氏は戦前に設計した自邸をあまり好まず、世間に公表することなく取り壊そうとしていたのですが、それを大高正人氏といった弟子たちが「先生の最高傑作なのに勿体ない」と言って説得し、解体して軽井沢の別荘に保管されることになりました。
その後、部材の存在は忘れさられていたのですが、それを藤森先生が約20年ぶりに探し出し、たてもの園への移築が実現したとのことで、なかなか波瀾万丈な建物のようです。

まずは、じっくり外観を眺めました。

切妻屋根の木造建築で一見すると民家のような佇まいですが、庭にむかって大きな窓があり、その外側で屋根を支える柱がとても印象的です。
これは材料不足のために電信柱を削って転用したもので、実は伊勢神宮の棟持ち柱が意識されています。
また、当時は戦時体制下で建築規制があったために建坪は約30坪で住宅としてはだいぶ狭いのですが、藤森先生によると「モダニズムはマゾだから、小さければ小さい程ほど頑張って良い作品になる」とおっしゃったので、みな期待してさっそく中に入りました。

内部は、居間を中心としてその両側に寝室や書斎、水回りが配置されており、いたってシンプルで合理的な構成です。
たしかに床面積は小さいのですが、居間の天井が高く、庭にむかって開かれていることもあり、非常に広々と感じられ、
それでいてとても寛げる空間です。
また、階段や窓周りにおける木材の組み方や形状などに目を向けると、細部まで気を配って設計されていることが分かります。

 

藤森先生によると、実はこうした前川邸の繊細なディティールは、レーモンドの影響が大きいそうです。
コルビジェが提案したコンクリートの打ち放しでは細部が荒々しいのですが、レーモンドは日本の木造技術を用いることによって、
その問題を解決しました。モダニズム建築と日本の伝統技術の融合を、外国人であるレーモンドが一早く試みたというのは、非常に興味深いです。

全体を見終わって、藤森先生のおっしゃった通り、戦時体制下で金属が思うように使えず、限られた面積だったからこそ、木造のモダニズムが威力を発揮したのだと感じました。

続いて、堀口捨己設計の小出邸に訪れました。
堀口捨己(1895〜1984)は、ヨーロッパのセセッションやアムステルダム派の動向をいち早く紹介し、日本の先駆的なモダビズム建築家であるとともに、庭園や茶室の歴史研究においても優れた業績を残した、多彩な人物です。
この小出邸は、ヨーロッパ留学から帰国して間もない大正13年に堀口氏が設計したもので、彼の処女作にあたります。

先程同様、まずは外から眺めると、大屋根はアムステルダム派、窓の部分はデ・スティルの影響を受けており、それでいて縁側など和風の要素も見られます。さらに、今庭に置かれている宝珠のような飾り、本来は宝形屋根の上に載せるはずだったそうで、設計当初の姿は一層特徴的な外ものであったようです。

 

内部に入り、とくに1階応接室の内装には驚かされました。
天井と壁に走る立体格子を木材はまさにデ・スティルの様式で、まるでモンドリアンの絵の中に入ったような気分になります。
さらに、金と銀の壁はセセッション、格天井や吊り戸棚は日本の伝統様式、といったように和洋が折衷した、非常に斬新な空間が拡がっています。

2階に登ると和室があり、一見よくある和室のようですが、セセッションの影響かと思われる薄緑色の壁を採用したり、床の脇に襖を配置したりと、若き日の堀口捨己が、新しい和室の在り方を模索していたであろうことが伺えます。

 

大正期に建てられた小出邸は華やかで、様々な様式の融合が実験的に試みられており、非常に冒険心に富んだ建築だと感じました。

見学会の最後に質疑応答があり、藤森先生から「日本はモダニズムと木造建築が結びついた、世界的に見て極めて特殊な国」であり、「日本の建築家は、西洋で生み出されたモダニズムに日本の伝統様式を取り込むという応用問題に取り組んできた」というお話がありました。
今回見学した前川邸と小出邸では、前川國男と堀口捨己という二人のモダニストの、それぞれ違った解法を見ることができたように思います。
現在日本建築が世界的に評価されるようになった背景には、モダニズム建築と日本伝統建築の融合に取り組んだ、多くのモダニストらの奮闘があったのだと、改めて感じました。そして、藤森先生の説明の中で何度か名前のあがった、藤井厚二や吉村順三、清家清、そして丹下健三らによる建築も、そういった目線で改めてじっくり見学したくなりました。

それにしても、建築家の秘話やお弟子達の話、解体移築の苦労話など、藤森先生しか知らない裏話をたくさん伺うことができ、本当に充実した見学会となりました。藤森先生、どうもありがとうございました。