新・港村レクチャー
10月31日に横浜赤煉瓦倉庫近くの新港ピアで伊東建築塾のレクチャーがありました。新港ピアで行われている「新・港村展」はヨコハマトリエンナーレ2011の特別連携プログラムです。その会場をおかりして、レクチャーは開催されました。大空間に講演者を取り巻くように大きなソファがランダムに配置された光景は、堅苦しい講釈とは違い、穏やかなものでした。
講演は「伊東建築塾の5ヶ月」と題して、伊東建築塾がどのような活動をしているのか紹介し、その理念を伊東さんが語り、それに対する聴講からの質問に応えていくという形式で行われました。講演者は伊東豊雄(塾長)、太田浩史(伊東塾講師)、鈴木明(伊東塾講師)、吉岡寛之(塾生)の4名です。はじめに鈴木さんが「子ども建築塾」について、続いて養成講座塾生の吉岡さんが「養成講座」について話をしてくださいました。
講演の内容をこと細かに書いていては、キリがありませんので、私が話を聞いていて個人的に特に興味深かったことだけを簡単に記します。
伊東豊雄「いろんな人に『みんなの家』と題して、被災地にみんなで使えるこんな家があったらいいんじゃないかという情景を絵に描いてもらった。すると小学生の描く絵のほうが、大人のものよりも感動的。建築家の建築はデザインはいいけど機能性が悪いとよく言われる。でも僕は機能なんてどうでもいいと思ってる。子どもの描く絵には人間がいるけど、子ども達は機能のことなんか一切考えてない。大人の描く絵には機能はあるかもしれないが、本来人間のための機能なのに、肝心の人間がどこにもいない。それはどうしてなのか。」
太田浩史「どんな小さな街に行ってもお料理教室や音楽教室は一つくらいはあるものだ。小学校のころから音楽という科目はあるし、家庭科という科目もある。だが建築だけは大学にはいってからという謎の決まりのようなものがある。小学生のころには意識的かと思わせるほどに建築的な素養に触れさせない。でも不思議なことに音楽系の学科がある大学よりも、建築学科のある大学のほうが多いんじゃないか。」
吉岡寛之「建築の設計をやっていると、知らずのうちに、深く考えずに設計ができるようになっていく。すると自分でも無意識に設計をやっているような瞬間に出会う。しかし、最近では、自分自身の仕事をしているときに、ふと訪れた釜石の情景がよぎる。そのときにそれが仮に被災地での設計ではなくても、自分はいったいこの建築を何の為に設計しているんだということを、改めて考えるようになった。」
私の言葉に置き換えているので、正確に彼等の伝えたかったことを伝えきれているか自信はないのですが、おおよそ以上のようなことが議題の中で特に興味を惹きました。中でも伊東さん、太田さんの共通の関心は、建築教育は何故大学からやるのが当たり前となっているのかというところにありそうです。
イギリスにはA-Levelという国家試験があり、高校を卒業することの証として、もしくは大学受験の代わりとして、高校に入学している全ての子ども達がこの試験を受けます。イギリスの大学には入学試験というものがなく、このA-Levelの試験結果で判決がなされます。A-Levelには全部で100以上の科目があり、自主的に科目を4〜5つ選択して、高校時代の2年間、その科目だけを勉強します。それらの科目の中には、デザイン系のものだけでも20近い選択肢があり、事細かに内容がわかれています。A-Levelはこれらの科目が全て等価なので、数学のほうが音楽よりも価値が高いなどという日本の高校教育に見られる変な偏りはありません。純粋に大学でどのような学部に進みたいかで、選択科目が選ばれます。(実際には科目にもそれなりに難易度の違いがあり、Oxford Universityなどに入学するためには、特定の科目のほうが優遇されることは珍しくないようです)
長々とイギリス教育について語ってしまいましたが、何を言いたいかというと、これだけ沢山の科目があり、デザイン系列の科目も豊富なのにも関わらず、建築という科目は一切ありませんし、それに近しいものも全くありません。デザインのほうは、Textiles、Graphic Design、Photography、3D Design、Product Designなどなど。他にも沢山あるにもかかわらず。
このように建築教育が大学生からというのは、日本に限ったことではありません。古代から建築とは総合芸術と呼ばれ、その理念はデザイン教育で名高いバウハウスにも応用されています。バウハウスでは建築教育は最後の到達点として用意され、イッテンやカンディンスキーのいかにも小難しそうな授業を修了しないと建築の授業は受けられなかったそうです。バウハウスは入学してから建築までにさらに遠い道のりがあったわけです。
私は建築を総合芸術として捉える考え方は嫌いではありませんし、それは事実だと思います。しかし、それは事実であると同時に、ほぼ全ての事柄は実は総合芸術なのです。何も建築に限ったことではない。だから彫刻が建築の先にくるわけでもなければ、グラフィックが建築の後にくるわけでもありません。
現に小学生の子ども達の作品を見ていると、大学生との相似は技術力の違いぐらいのものです。それは大きな違いのようでいて実は些細な違いでもあります。伊東さんが言うように、まず建築とは何のためにあり、自分はどのような思想を持ってしてそれを都市の一部としたいのか。その理念を模索するのに、大学生も小学生も、ましてや玄人も素人もありません。
これから伊東建築塾が建築という科目の裾野をより多くの人に広げていければと思います。
会場には思いがけないゲストが沢山来てくれました。建築史家の五十嵐太郎さん、プロダクトデザイナーの藤江和子さん、建築家の曽我部昌史さん、東京理科大学の伊藤香織さん、子ども建築塾塾生のタクトくん、他にも沢山の方々にお越し頂きました。
講演にお越し下さったみなさま、遠いところ足を運んでいただきありがとうございました。今後も、土曜講座など、定期的に開催していきますので、ウェブをチェックいただければ幸いです。