子ども建築塾 前期制作展覧会を終えて

2011年10月31日

10月29日、30日の二日間にかけて、神谷町スタジオで「子ども建築塾前期制作展覧会」が行われました。
週末ということもあってか、沢山の思いがけない人たちが訪れてくださいました。
それが仮に子どもの作品であったとしても、こうして公式に発表されたものは、それなりの力強さを持ちます。

近代の建築界では一種のアンビルドブームがおこりました。1700年代のルイ=ブレの「ニュートン記念堂」から始まり、ハワードの「田園都市」、ガルニエの「工業都市」、ロシア構成主義の面々、Archigramの「Walking City」、菊竹清訓の「海上都市」などなど。1970年頃まで、アンビルドの系譜は脈々と受け継がれます。ただなにも彼等はアンビルドであることを目指していたわけではなく、それの実現不可能性の前にアンビルドであることを余儀なくされただけなのですが。しかしそれらがアンビルドであるとはいえ、私たちに対して訴えかけてくるその慕情は激しく心に迫ってきます。

何故アンビルドは実現しないことがわかっているのに、魅力的なのか。私の憶測ですが、恐らくアンビルドがアンビルドとしての魅力を獲得できるのは、作者自身がそれをアンビルドだと捉えていない場合に限るのではないかと思うのです。ある作品を想像するのに、それが実現不可能であると思いながら、どこか諦め混じりに想像するのと、それをいずれ絶対に実現してやろうと願いながら想像するのとでは、その結果に多大な変化をもたらすのは明白です。
アンビルドの作品群は確かに空想的ですが、同時に細かなストーリーはとてもしっかりしており現実的です。少なくとも作者にとってはアンビルドではなく、実現への途上にすぎないのです。

この展示品を見ていると、子ども達もこれを現実のものと捉えているからこそ、これだけ魅力的な作品を生み出すことができたのではないかと思わされます。よく人は年をとるごとに、退屈でつまらなくなると言われます。それが真実かどうかは知りませんが、「年寄りは頭が固い」という表現からもわかるように、一般的な原則とされています。おそらく年齢を重ねるプロセスの中で、人はアンビルドを、本来の意味でアンビルドだと捉えるようになっていくからだと思います。
本当に魅力的な空想世界を描きたいのであれば、子ども達のように、不可能を不可能と捉えない前向きな精神が必要なのでしょう。もしかすると、それを繰り返された作品は、いずれ不可能の域を脱していることになるかもしれません。