伊東子ども建築塾 福岡 第1回『オノマトペのいえ』座談会編
今回は、第1回授業後に行われた、TA(建築を学ぶ学生)と伊東先生、講師陣による質疑応答形式の座談会の様子をお伝えします。
TAの真摯な質問をきっかけに、自然との調和やアジア的価値観が、これからの建築にもたらす可能性についての対話が繰り広げられました。

近代建築の限界が見えてきた今、未来の建築はどうあるべきか——。建築の象徴性や、ヨーロッパとアジアの文化的背景にまで議論は深まりました。
また一方で、「子どもから学ぶこと」にも話題が及び、子ども建築塾に取り組む意義をあらためて見つめ直す機会となりました。
ここでは、座談会での主な話題の中から、特に伊東先生の発言を中心にご紹介します。
◆座談会の主なトピック
– 行き過ぎた近代化と、自然と人間の共生を再考する必要性
– アジア的価値観がもつ可能性
– 建築の象徴性とその不在
– 子どもたちから学べること

行き過ぎた近代化と、自然と人間との共生を再考する必要性
「文明と文化は、本来まったく異なるものです。ある人がこう表現していました。
“文明:土地から離れていくこと 文化:土地に接していくこと”
つまり、文化とは土に近づくことであり、文明とは土から離れていくことなんです。」(伊東先生)
明治以降、日本は西洋の価値観を急速に取り入れ、それが「文明開化」と呼ばれ理想とされてきました。伊東先生もかつては、近代建築の巨匠ル・コルビュジエが描いた理想の都市像に未来を見ていたと言います。
しかし、タワーマンションのような均質な空間が生み出す人間関係の希薄さや、極端な資本が必要とされる現実、そこから生まれる格差や分断に、近代建築の限界が見え始めているのではないか。本来、日本人は自然と共に生きる感覚を持っており、心地よさは「土に近い暮らし」の中にある——。伊東さんは、もう一度「自然に開かれた建築」のあり方を模索すべき時期に来ていると語りました。
アジア的価値観がもつ可能性
続いて話題となったのが、今年9月の日本建築学会大会のテーマにも関連する「アジア的価値観」について。
近代主義の根底には“個の確立”という思想がありますが、アジア圏ではもともと、家族や共同体を単位とした価値観が主流でした。伊東さんは、そこから解き放たれた「個」が都市を築いた近代の功績を認めつつも、「自然をコントロール可能なもの」とする西洋的思想に対し、アジア的価値観は「自然は親しく、かつ畏れるべきもの」とする立場をとってきたと指摘します。
「近代主義が素晴らしいという価値観に、実は多くの人が潜在的な違和感を抱いている。その違和感を顕在化することが、これからの私たちの重要なテーマだと思っています」(伊東先生)
さらに、篠原一男さんの「日本独自の文化として象徴性を建築に取り入れる」という考え方にふれ、自然を象徴化し建築に取り込むことが、アジア的な建築の在り方とつながるのではないか、という議論に発展しました。

建築の象徴性とその不在
伊東先生は若い頃、篠原一男さんの象徴性を厳しく批判していたそうです。しかし、実際に手がける建物の規模が大きくなってくる中で、自然との関係を内部空間に持ち込もうとした結果、「チューブ(仙台メディアテーク)」や「グローブ(岐阜のメディアコスモス)」といった、象徴的な要素が生まれたと言います。
一方で、直近のプロジェクト「茨木市文化・子育て複合施設 おにクル」では、あえて象徴性のない建築を試みており、その在り方に対する手応えや迷いも語られました。
「近代建築が飽和状態にある今、誰もまだ新しい在り方を見つけていない。若い人たちが卒業制作等でランドスケープ的な提案に向かうのは、まだ建築そのもので新しさを打ち出せないからかもしれない」(伊東先生)
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子どもたちから学べること
ここで話題は「子ども建築塾」の原点とも言えるテーマへ。
坂口先生が紹介した「七つ前は神のうち」という言葉をきっかけに、子どもたちの感性が大人に気づきを与えること、また建築における理性と感性のバランスについて話が及びました。
「理性だけでつくられた建築は、図面を見ればそれで十分。実際に訪れてもつまらないんです。そこに本能的な感覚が込められている建築こそ、見る人の感覚を揺さぶる。そしてより本能的な感性を持っているのは、子どもや女性。女性がもっと感覚的に建築をつくるようになったら、正直、男は敵わないかもしれない 笑」(伊東先生)
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編集後記
私自身、初めての子育てに不安を抱えていた頃、「七つ前は神のうち」のような伝承が、育児書よりもずっと本質を突いていると身に染みたことがあります。情報過多の時代にあり、また学問が細分化され、根本が見えにくくなっているのもまた、近代化の弊害のひとつではないでしょうか。
伊東先生は「違和感を顕在化することが建築家の役割」と語りました。その言葉は、建築という領域を超えた、社会への問いかけのようにも聞こえます。
そしてよく目を凝らして社会を見渡してみると、伊東先生のように違和感に気づいた人たちが、その言動や生き方によって違和感を「かたち」にしており、その積み重ねが、社会を少しずつ動かしていくのだと強く感じました。
なんだか今回は少し硬めの内容になりましたが、次回は一転、子どもたちと一緒にフィールドワークへ!「オノマトペ」を探して、頭と身体を柔らかくする時間をお届けします。
どうぞお楽しみに。
古野 尚美 (ブログ取材担当)