講座B「隅田川の川下りを通して江戸から明治のまちを学ぶ」
5月19日、建築史家の陣内秀信氏を講師にお招きして、2012年度講座Bの締めくくりとなる講座、「隅田川の川下りを通して江戸から明治のまちを学ぶ」が開催されました。
午後2時、一行を乗せたクルージング船は、彫刻と橋が一体となって美しい表情をつくる日本橋をくぐり、日本橋川へと漕ぎ出しました。
徳川家康が江戸に入府して、都市づくりで最初に整備した日本橋川は、行徳の塩など重要な物資を江戸に運ぶための幹線水路として、人工的に造られた河川です。
かつては江戸の物流の中心だった日本橋は、関東大震災後、魚河岸が築地に移り、企業のオフィスが増え、賑わいの中心は銀座へと移りましたが、近頃、日本橋を綺麗にする会等が、美しい水辺を再生する試みを続けています。江戸時代、多くの船が往来した水路の上には、東京オリンピックを前に高速道路が築造され、江戸から繋がる都市のストラクチャーは高速道路の影に没しましたが、近年、高速道を撤去し水際の景観を取り戻そうという議論もなされているそうです。
船上から眺めると、水際にファサードを向けた建築の数々に加え、肥後の石工が御門に使われていた玄武岩で造った、円弧を描く旧常盤橋や、石が張られた鉄筋コンクリートの一石橋など、震災復興で架けられた数々の橋が、多様な表情を見せます。
一橋をくぐり、後楽園や水道橋を経て、船は神田川へ。神田川の中でも深い谷をなすお茶の水は、伊達藩の手で開削された谷で、形態の異なるお茶の水橋、聖橋という2つの橋と駅が交錯し、独特な都市景観を築いています。
そして、神田川の河口に近い柳橋近辺には、江戸時代以降、浅草や吉原、猿若の芝居町等に遊びに行くための基地となった船宿が、今も軒を連ねていました。
船が神田川から隅田川へと入ると、視界が急速に開け、眼前にはそびえ立つスカイツリーが。スカイツリーの展望台から見る東京の西側の風景は、幕末に度々作成された鳥瞰図と同じ構図だそうです。江戸時代から数百年のときを経て、技術力で江戸っ子と同じ視界を獲得した私たち、江戸の人々の想像力はとても豊かだったのだなと感服しました。
隅田川のほとりには、昭和初期まで料亭街が立ち並び、日本人の遊びの文化を育みました。他方で、江戸は水害からたくましく治水を学び、川の流れを付け替えるバイパスや、隅田川の浅草の上流にはY字型の堤が設けられ、町を洪水から守りながら、多様な水の役割と機能が生まれました。徳川家康が隅田川から東へ真っ直ぐ通した小名木川は、千葉方面から塩や醤油、酒などの醸造食品を船で輸送し、隅田川、日本橋川を経て江戸まで運ぶ役割を果たしました。
明治以前までは、佃島の沖合に帆船が停泊し、小さな艀に乗り換えて日本橋周辺の河岸まで物品を運搬していましたが、明治以降、徐々に大きな船が停泊できるようになり、佃島のまわりの大川端に財閥の倉庫が並び、クレーンで荷揚げを行うようになりました。
こうした倉庫は80年代前半、ロフト文化の基地として人気を集めましたが、バブル時代には、次々壊されて高層オフィスに置き換わりました。また80年代前半には、夜間人口を回復しようという試みから、水辺に住宅地が造られるようになりました。三井不動産が中心となり、UR、東京都が一体となってできたのが、リバーシティ21です。
明石町には、明治期に外国人居留地が設けられ、洋館や築地協会が建ち、ここあら立教大学や慶應義塾大学、明治学院等、数々の大学が産声を上げました。
船は、両国橋、清洲橋、永代橋、かちどき橋等をくぐりながら、浜離宮方面へと進路を進めます。
かつて、将軍の御狩り場だった浜離宮。高層ビルが建ち並ぶ汐留の隣の新橋には、明治5年に、新橋・横浜間を結ぶ、東京で最初の駅ができました。大火で焼けた銀座には、文明開化の象徴として、復興により皇居へと続く銀座の目抜き通りが形成されました。中央区で工事を行うと、今でも江戸の遺構が出て来るそうです。
東京湾の発祥地である日の出から芝浦へ抜けると、三井不動産やURが建築した巨大な芝浦アイランドが水辺に迫り、水上には浜松町から伸びるモノレールが走ります。
品川を経ると、大型クレーンが林立するコンテナ埠頭、お台場と、近代的な都市景観が広がっていました。
江戸から明治、近代へと都市の諸相を横断した約3時間の船旅は、晴海の船着き場で終わりました。
水際の風景を前に、次々と多様なエピソードを披露下さった陣内先生、楽しい船旅を演出してくださった株式会社東京湾クルージングの船員の皆様、本当にありがとうございました。
クルージングの後は、伊東豊雄塾長と、2012年度の塾生の面々が一同に介し、1年の講座を締めくくりました。
原初的な価値観を揺さぶられるような数々の体験を経た1年を振り返り、感極まった塾生が涙を浮かべる一幕もありましたが、大三島プロジェクト等を通じて、塾生の活動はまだまだ続きます。
1年間、本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い致します。
辻 美和