公開講座 伊東豊雄/伊東史子さん/川上純子さん/柳澤潤さん「オンライン座談会」

2020年07月01日

2020年5月16日、新型コロナウイルス蔓延に伴う家ごもり生活が世界中で続く中、本年度第1回目の公開講座が行われました。今回は、時世を反映して、伊東建築塾初のオンラインウェビナーを活用した講座となりました。
今年度の公開講座の年間テーマは「私達は現代社会をどう生きるか」。初回となる今回は、コロナ禍におかれる現代社会に対する伊東塾長の問題提起に対する、伊東史子さん(デザインマネジメント・ジュエリー職人)、川上純子さん(翻訳者・編集者)、 柳澤潤さん(建築家)の応答と、ウェビナー参加者も交えたディスカッションが行われました。

伊東塾長による問題提起: “コロナウイルス収束後の社会は変わるか

新型コロナウイルス感染症蔓延を食い止めるための方策として、人間同士の距離を保つこと、できるだけ自宅にとどまることが推奨され、「集まらない」ことの重要性が声高に叫ばれています。
他方で、伊東塾長が考える建築家の仕事とは、「人の集まる場所をつくること」。これまでのプロジェクトでは、「いかに人々が楽しく居心地􏰝よく集まることができるかを日々考えていた」そうです。例えば、日々多くの人でにぎわってきた「せんだいメディアテーク」や「みんなの森 ぎふメディアコスモス」。これらの公共建築は􏰡、用途別􏰛に壁で部屋を区切るのではなく、利用者が自分の好きな場所を自由に選べるように配慮されています。ここに集う人たちは、「読書や調べ物のためではなく、人がいるから図書館に来る。屋外や自然の中にいるような開放的な気分になるから集まってくる」と伊東塾長は言います。

さらに、伊東塾長は「人は自然の部分である」という考えを、今回のパンデミックでさらに確信したそうです。「今回のコロナ禍は、グローバリズムによってもたらされた地球規模􏰳の過剰な生産、過剰な建設、過剰な交通が引き起こしたと言えるように思われる」という問題提起に合わせて、新型コロナウイルスのパンデミック収束後に、私たちの社会が変化する可能性について、次の3つのテーマを共有しました。

①オンラインミーティングは􏰔普及するか

②在宅時間は長くなり、都市の産業形態は変わるか

③􏱪 脱モダニズムの建築は芽生えるか

それぞれのテーマに関して伊東塾長自身の意見として、①紙に書く・相手の反応や場の空気感が直接わかるといったオフラインでのコミュニケーションの方をより好ましく思っている点、②実際に居酒屋や本屋に行きその場の多くの要素によって経験がつくられるという、家にはない機能を外部で多様に選択できるという都市で暮らす楽しさを大切にしたいと思っている点、③均質な人工環境の増産を憂慮し、自然に開いた建築や都市空間を取り戻していきたいとする点、を説明します。そして、これらを通じて、「居心地の良い暮らしの実現、地球環境の改善に貢献すべき時代にきているのではないか」と問題提起をしました。

 

伊東史子さん: 近代と現代、自然、「居る」場所

伊東史子さん(以下、史子さん)からは、”近代”や”現代”の特質について「過剰」「オンライン・オフライン」などの観点を交えつつ考察したこと、空間や場所の経験に関して「自然と外部」「居る」という点で考えていることを、見田宗介(2018)『現代社会はどこに向かうか: 高原の見晴らしを切り開くこと 』(岩波新書)を引用しつつ共有されました。

<自由>と<平等>が近代の根本理念であったはずなのに、あらゆるところに生産主義的、未来主義的、手段主義的な合理性が浸透してしまった(見田 2018:38)点に代表されるように、近代化によって人間が得た利を踏まえつつも、その問題を抽出する時期に差し掛かっているというのが、史子さんの考えです。さらに、社会の様々な領域––自然の開発や建設、富・教育格差、生産量増大など––に見られる「過剰」に対する反応として、特に現代の若者を中心として、今この時を深く生きる方向への価値転換(見田 2018)が起きていることにも注視すべきだと言います。

このような時代に特筆すべき、人々の空間や場所の論点として、2点を挙げられました。ひとつは、人々の自然・外部とつながりたいとする欲求の内実を問うもの、もうひとつは、一人一人の存在を支えてくれるような建築のあり方の問い直しです。

以上のお話を通して、社会とヒトの関わり・変化をそれぞれの時期に提起してきたという、伊東塾長と当建築塾の意義について、改めて言語化されました。

 

川上純子さん: 「集まる」こと、建築、自然、環境

川上純子さんは、冒頭でご紹介した伊東塾長による3つの問題提起に対する応答として、「都市に人が集まること」と建築との関わりについての考えを共有しました。

まず、渋谷駅前の再開発工事と、再開発による往来人口増加に伴う大混雑状態を例に、建築の周辺環境としての都市環境や、利用者に苦痛を与えない再開発・建設計画への配慮はどのくらいあったのだろうかと問いかけました。そして、「現代社会が保持してきた『モダニズム建築』の価値観に転換が起こりうるのか」という点に関して、コロナ禍による人々の活動低下による思いがけない環境浄化の報道を紹介し、「新人世(アントロポセン)」やレヴィ=ストロースの主張に触れながら、地球と人間社会との関係性について再考する必要性に迫られているという視点を提示しました。

これらの問題意識を踏まえて、今後は①環境に強い負荷がかかる構築物の改築や積極的解体について議論すること、②自然と人間との連関を見つめ直すこと、③懐古主義・近代否定に陥らずにグローバリゼーションを再考する視点を得ること(例えば、ラトゥール『地球に降り立つ』(2019)にある「プラスのグローバリゼーションとマイナスのグローバリゼーション」という考え方を手がかりに)、④都市開発の際にその場の有機的ネットワークを形成する「みんな」の幸せを考慮すること、などを検討してもよいのではないか指摘しました。

 

柳澤潤さん: 新しい公共のあり方

柳澤潤さんは、東京工業大学の坂本一成研究室を経て、伊東豊雄建築設計事務所に1992年に入所後、2000年に設計事務所コンテンポラリーズを設立されたという経歴です。そのような経験を踏まえ、公共空間の研究者・建築設計の実務に携わる建築家としての視点から、新しい公共のあり方や建築と自然との関係性について、お話をされました。

柳澤さんは、近年、公共性について人々が議論する稀有な時代にあることを指摘した上で、自身が携わった3つの公共建築を例に挙げ、自然の新たな解釈とその設計表現について実例を提示します。
長野県塩尻市の「えんぱーく(塩尻市市民交流センター)」(2010年)では、建築のかたちとプログラムとの関係性に対する異議申し立てを行ったといえる、「せんだいメディアテーク」(2000年)を踏まえ、薄い板上の様々な幅を持った壁「壁柱」を林立させることで、自然と建築の新しい関係やランドスケープの新たな定義を目指されています。
福島県南相馬市の「南相馬みんなの遊び場」(2011年)では、新しい自然観を子どもたちにどのように提供するかということに焦点を当て、インドアの砂場を設計しました。
そして、神奈川県横浜市の「日野こもれび納骨堂」(2018年)では、内部の至るところから外部の豊かな自然環境が感じられる空間づくりを目指しています。

3名の登壇者の応答を踏まえて、伊東塾長は「自然と人間との近しい距離感、人間も自然の一部と考えてきた日本文化の側面を見直し、評価していくことが必要」と強調されます。そして、現在世界が直面している新型コロナウイルスに伴う社会の変化を経て、資本主義やグローバリゼーションの行く末を議論していきたい、徐々に失われてきた地域の違いの面白みを大切にしてきたい、とするご自身の考えを提示されました。今回は、ウェビナー形式ということもあり、普段にもまして聴講者の皆様も含めた活発な議論をすることができました。

まだまだ緊張を強いられる日々が続きますが、皆様におかれましては、どうかくれぐれもご自愛ください。伊東建築塾スタッフ一同、一刻も早く平穏な日常が戻ってくることを心から願っています。

岩永 薫