会員公開講座 畠山直哉さん「写真って何だろう」

2023年03月17日

11月19日、日本を代表する現代美術のアーティストである写真家の畠山直哉さんをお招きして、第4回目の公開講座が開催されました。畠山さんは、東京を拠点に自然・都市・写真をテーマに作品を制作されています。畠山さんは、伊東建築作品の撮影も多数手がけてこられました。特に、初対面の際に伊東から言われた「すべての建築は完成後も変動していく。未完の建築も完成後の建築も含む大きな流れを断面のように切り取り、全てを現在として撮ってほしい」という言葉が印象に残っているのだそうです。こうして書籍の制作など伊東と幾度もコラボレーションされてきた畠山さんは、2012年には、伊東がコミッショナーを務めたヴェニス国際建築展の日本館展示にも参加されています。

今回の講座では、「写真」の多義性、「写真」という言葉が持つニュアンスやその歴史についてご説明頂いたのちに、畠山さんご自身の作品を通して見えてくる「写真」の特質について、会場の皆さんと共に考えました。

「写真」の性質を考える
まずはじめに畠山さんがスライドで示したのは、子どもが写る1枚のモノクロ写真です。「この写真を見て、皆さんはどんなことを思いますか?」と会場に問いかけます。これは誰だろう?これはどこだろう?これはいつだろう?という問いが浮かんできますが、いくら考えても写真からは何も伝わってきません。このように、見えているけれどもよくわからないものが目の前にあるという非日常性を「写真」は孕んでいます。そして、このために、「写真」に対峙した私たちは、あれこれと考えさせられます。このように、写真の不思議さについて考察を重ねる文学や芸術論は、19世紀後半から出現し、特に20世紀半ばに多く書かれました。

ここで、冒頭の写真のネタバラシです。写真に写る人物は、幼少期の畠山さん。昭和34-35年頃に、畠山さんの故郷・岩手県陸前高田市気仙町で撮影された写真です。2011年東日本大震災の津波で畠山さんの故郷にある写真が全て消失してしまい、ご自身の子供時代を写す写真は、普段手帳に挟んであるこの写真だけなのだそうです。「こういう話をするだけで、写真の見え方が変わったでしょう。写真の意味がわかると同時に、それはご自身の心の中に位置を占めて記憶として整理されていくのです」と畠山さんは説明を加えます。このようなプロセスを短時間のうちに私たちに与えるのもまた、写真の面白みなのです。

さらに、畠山さんは、『1001 Photographs you must see before you die』(Cassell Illustrated, 2017)という書籍を取り出しました。この書籍内で、石灰石鉱山で岩石を発破する瞬間を収めた畠山さんの代表的な作品《ブラスト》が紹介されています。その写真のジャンル分けは、アート。そのほか、1000枚の写真も、風景、生物、ドキュメンタリー、ストリートなど、それぞれ33個ものジャンルに分かれています。加えて、「写真」がさすものの幅広さを示すエピソードとして、日本写真協会の授賞式で、同席した異なる被写体を扱う写真家たちと共通の話題を見つけるのに苦労したエピソードを面白おかしく披露くださいました。

「写真」という言葉を考える
1839年フランス科学アカデミーで写真技術が正式に発表されたのち、日本に「写真」というものが伝わります。一方で、「写真」という言葉は、それ以前にも、“生き写し”・“真に迫るリアリズム”を表すものとして中国や日本で使われてきました。例えば、葛飾北斎の富嶽百景(1834~)には、“二つとない”富士山と松を絵師が写生する様子が描かれた《写真の不二》という作品があります。さらに、江戸時代の絵師・蘭学者の司馬江漢(1747-1818)は、カメラ・オブスキュラの原理を用いて像を写す道具「写真鏡」を用いて作品制作をしていたことが知られています。

このように「写真」という言葉の歴史を振り返ると、日本に写真技術が伝来した際、その技術が持つ迫真性やリアリズムに対して、驚きの感情を込めて「写真」と呼び始めた当時の様子が目に浮かんできます。

「カメラ」の移り変わりを考える
日本でとられた最初期の写真として、畠山さんは、1854年《田中光儀像》(エリファレット・ブラウン・ジュニア撮影)を紹介されました。当時のダゲレオタイプと呼ばれる写真は、カメラの中に入れた金属板の上に、銀粒子の濃淡で像を描くものでしたから、いつも左右が反転していました。

一方、現代のカメラとして、iPhoneに内蔵されている極小のカメラ部品が挙げられます。その小ささ・精密さもさることながら、撮ると同時に見たり、瞬時に人と共有したりできるという特徴があります。

このように、写真を撮影するカメラの変容と同時に、「写真」の特質もまた大きく変容してきたといえます。

「写真」ってなんだろう?:畠山さんの作品から紐解く
最後に、「写真」って何だろう?という問いに対して、畠山さんの作品を通して応答するという試みを示してくださいました。

まず、2016-2017年にせんだいメディアテークで開催された「畠山直哉写真展 まっぷたつの風景」をご紹介くださいました。この展覧会では、会場にそびえる“チューブ”を境に、会場が二つのテーマに分割されています。片方のエリアでは、《等高線》シリーズ・《アンダーグラウンド》シリーズ・《アトモス》シリーズなど、畠山さんの代表的な作品群が展示されています。展示の様子と展示されていた写真を示しつつ「形・色・配置など写真のグラフィックに魅力を感じる」と畠山さんは説明を加えます。そして、もう一方のエリアには、2011年東日本大震災以降、畠山さんの故郷である陸前高田を記録した何千枚もの写真が長いテーブルの上にずらりと並んでいます。「写真を並べることで、震災以降の時間がまるで地層の重なりのように見えた。あの時からの時間の流れ、心の変化を含めて、震災のことを想起する」展示の試みだったのだそうです。

さらに、2021年に恵比寿の東京都写真美術館で開催された「リバーシブルな未来 日本・オーストラリアの現代写真」展では、被災地で撮り溜めた写真を、現在から過去へ時間を巻き戻す配置で展示しました。この展覧会には展示されませんでしたが、《津波の木》シリーズは北は八戸周辺から南は茨城の北周辺まで、東北沿岸を車でまわりながら、津波で傷んだ木・枯れながらも未だ立つ木などを撮影したそうです。「残された木の枯れ方・残され方に注目すると、あの時の波の動きが目にみえる」と畠山さんは感慨深げにおっしゃいました。

東日本大震災に関連するエピソードとして、伊東がコミッショナーを務めたヴェニス国際建築展に写真家として参加した際の出来事を紹介してくださいました。畠山さんは、「当時、伊東さんが『《みんなの家》を陸前高田につくったらどうかな』と僕の顔を見ながら言ってくださったのが心に残っている」のだそう。さらに、それから1年後、金獅子賞獲得時には、「この喜びを被災者と分かち合いたい」と、壇上で伊東が話すシーンを今でもはっきり覚えているのだそうです。

今回の講座では、写真のグラフィックな側面の魅力を最大限に引き出しつつ、場の空気感・時間の流れを「写真」で切り取る畠山さんの作品制作を垣間見ることができました。それだけでなく、「写真家」としてチームに加わることで得られた温かな人間同士の繋がりを大切にしながら活動されている点がとても印象的でした。

岩永 薫