俳句への道 建築への道

2012年03月02日

僕は一時期俳句にはまっていた時期があり、今でもたまに読みます。
最近たまたま本屋で手に取った高浜虚子の「俳句への道」という本を読んでいるのですが、この本の出だしの章におもしろいことが書いてあります。
俳句には季語というものがありそれを用いて四季折々の風景を描写するものだという認識が一般的ですが、何故風景を描写するのか、何故それなしでは俳句と呼べないか、という考察がなされているのです。
その理由として虚子はこう言います。

「風景を写すのに長い文章で写すことは退屈をするものであります。風景のみを書いた文章はどうも刺戟が少ないのであります。長い文章で風景のみを叙することは不適当であります。此処に十七字という極端に短い形の詩がありまして、それで風景を謳うことをします。」俳句への道 岩波文庫より抜粋

つまり長いと退屈になってしまう風景を端的に表すための詩、それが俳句だというわけです。それ以外のことは他の文学にまかせておけばいい。
だから虚子は、当時はやっていた思想俳句と呼ばれるたぐいの物、つまり個人の思想や感情を俳句の中に投影し、非常に主観的な立場で描かれた俳句をばっさりと切り捨てます。

「今日世間で評判されるものは主観の暴露されているものである。そうでないと一般にわからないのである。私は最もそれを忌む。なぜそのような人々は季語というものが付きまとうている俳句を選ぶのであろうか。」

虚子にとって俳句というのはどこまでも客観的に風景を描写するための手段にすぎないわけです。虚子いわく、客観描写を突き詰めれば、自ずと俳句の内側に個人の特殊性、つまりは主観的要素が組み込まれて行く。だから俳句においてまず行うべきは客観的な見地を磨くことである。

ところがそうは良いながらも、虚子はあまり季語を感じさせない句を詠んでいます。僕は彼の俳句で好きな作品がたくさんあるのですが、その一部を紹介すると

「人と蝶 美しくまた はかなけれ」
「虹を見て 思ひ思ひに 美しき」
「人生は 陳腐なるかな 走馬灯」

などがあげられます。
蝶や虹というのはもしかすると何かの季語にあたるのかもしれませんが、これらの句は純粋な風景描写にはとどまりません。

僕の一番好きな俳人である夏目漱石の俳句等には季語が一切登場しないものがあります。例えば漱石の句で僕が感銘を受けたのは、

「骸骨や 是も美人の なれの果て」

というものです。なんだか皮肉のような暗さの中に笑いがあるような、まるで彼の小説を17字に凝縮させたような素晴らしい句です。
また

「寝てくらす 人もありけり 夢の世に」

という句も素晴らしい。
世界をうがった目で見ている三四郎が、そのまんま言いそうなことです。たった17文字が小説を読んだときと同じ心持ちを読者にあたえるというのは信じがたいことです。
それまで小林一茶や蕪村など、もちろん美しい句を詠むのですが、やはり自然主義的というか風景描写をするということが俳句の第一義となっている人たちの俳句を読んでいると、急に漱石みたいな句に出くわしたときの衝撃は、それは強いものがあります。つまりメッセージや意味があまりにもダイレクトに伝わってくる。
虚子は嫌うかもしれませんが、そのような俳句の在り方は、それをただの風景描写ではない、さらなる次元へ高めたような気がします。

しかし虚子の言うように、客観的な作業を研磨した先にやっと主観が覗き見えてくるというのは、ある意味建築にも通じることのような気もします。建築家は家族構成にあわせ部屋数を決め、彼等のライフスタイルにあわせてプランをいじり、周辺環境の在り方にあわせて表装に手を加える。そういった細かな作業は一見、環境になびく作業の積み重ねのようでもあります。しかし、それだけで留まるのではなく、その総合体から建築家の思想というものがにじみ出ているような地点に到達してこそ、はじめて建築家は建築家たりえるのではないでしょうか。だからこそ、偉大な思想を語り続けるのも大事ですが、建築家として細かな作業の集積の果てにそこに辿り着くようでなければならない。
伊東さんは建築家養成講座で最初のころ、執拗に釜石の冬は寒い、だからいかに建築家が空想で屋外のにぎやかな風景を描いてみたところで、冬場に表で集まる人なんかいやしない、ということを執拗に言っていました。
それは一見当たり前のことですが、いざ現地にいかなければわからない。そんな単純な事実の前では、思想が敗れ去ってしまうわけです。
虚子は俳句がなぜ日本的な芸術であるかという理由を西洋と日本の住宅を比べて説明します。西洋の住宅は積石造がほとんどで、屋外の過酷な環境から室内を守るように閉鎖的に造られます。
しかし日本の場合はほとんどが木造の軸組で、しきりは障子くらい。また庭に面して縁側というものが設けられており、どこまでが外なのかがよくわからない。自然と住宅がより近いからこそ、風景描写をする俳句というものがより身近になったと言います。
それが俳句というものが日本から生成した理由かどうかはわかりませんが、虚子はここで建築の構成が文化的意味での人間生活を規定しているという指摘をしています。

伊東建築塾の活動、そして建築家養成講座が釜石で行っている活動は、建築家にとっては虚子の指摘するような客観的創作に近いものがあるかもしれません。しかしそれが出来上がった先に見えてくるものは、やがて個人個人の主観の集積となるでしょう。子ども建築塾の子ども達の作品がおもしろいのは、彼等が必ずしも主観的な創作だけを行っているからではありません。彼等なりに、そこにはなんらかしらの客観性が備わっており、それらが総括されて作品を形づくっている。どちらかに偏りすぎてはならないのです。
伊東建築塾で行っている活動も、漱石と虚子の俳句が混ざり合ったようなものであれば、より魅力的なものになっていくでしょう。