伊東建築塾 特別講座  建築ツアー「丹下建築を中心に四国の名建築をめぐる」

2012年03月09日

3月の3日、4日と2日間をかけて香川県と愛媛県にある主要な丹下健三の建築をまわるツアーを行いました。講師には伊東豊雄、Y-GSAの小嶋一浩さん、九州大学の末廣香織さん、東京大学の太田浩史さん、神奈川大学の曽我部さん、という豪華な顔ぶれがそろい、ツアーの参加者は建築家や建築学生、そして県や市の職員など、様々な方々が参加してくださいました。

最初に高松で集合した私たちは、バスに乗り込みさっそく香川県庁舎へと向かいました。庁舎では香川県庁の職員の方が案内をしてくださいました。当初はこの建築は大手の組織設計に頼もうとしていたらしいのですが、その時代に民主主義という新しい時代を担う思想を必要としていた当時の長が、新たな時代を象徴するという意味で近代建築家に依頼をすることに決めたそうです。やはりその当時、コルビジェを頂点とするような近代建築というのは、現代と違い、ある明確な思想形態を象徴するものであったそうです。もちろんコルビジェからはどちらかと言えば共産主義的な要素を見いだせることからも、その中にも様々なふれ幅はあるのですが。
そのときに候補にあがっていたのが、前川国男と丹下健三だったそうです。その当時、前川はその近辺ですでにいくつか仕事をしていたということもあり、広島平和記念公園などで新進気鋭の建築家としてデビューしていた丹下健三に依頼をすることになりました。
丹下は期待された通りの仕事をします。

当日は生憎改修中で、ピロティ空間が布で塞がれており、本来の姿のままではありませんでしたが、それでも当時の人がこの建築を見たときの驚きは容易く想像できます。梁が表まで飛び出しており、規則的に並ぶ梁の側面が、本来はかなりシンプルな形態の建築なはずなのに、その表装に驚くほどの鮮やかさを演出しています。建物の奥庭は平面プランで見るとウネウネとした有機的な配置をしており、それがとなりの建築の堅さと、柔らかな対称を描いている。コンクリートという素材だからこそ生まれる迫力に圧倒されます。

出だしから丹下建築の傑作を見た後、私たちは香川県立体育館に向かいました。これは代々木体育館の試作品のようにいわれることが多いらしいのですが、実際には着工した年は同じで、同時進行的に計画されていたことがわかります。正直に言うと代々木体育館ほどの美しさはなく、外観からは頭でっかちな、なんだか不格好な印象をうけます。
 
しかし内部空間の広がりがもつ開放感は、窓がほとんど無いにも関わらず人を屋外にいるような感覚にさせます。
巨大なワイヤーが1.2m間隔でぶらさがり屋根を支えている。その迫力ある空間の真ん中でバドミントンをしている少年達がいたのですが、そんな場所で広々とスポーツをするのは、さぞかし気持ちがよいものでしょう。

体育館を見終えた後バスの中でお弁当を食べながら坂出人工土地へと向かいました。本当を言うとせっかく香川県にいるのですから、うどんが食べたくてしょうがなかったのですが、時間の都合上それは叶いませんでした。

坂出は今回のツアーで唯一、丹下建築ではないものです。設計は大高正人。メタボリズムグループの一人ですが、黒川紀章や菊竹清訓等と比べるとだいぶ装飾的でない作品を造ります。その彼の代表作が坂出人工土地なのですが、これが良い意味でも悪い意味でも予想以上でした。まず規模があまりにもでかい。敷地の北側には巨大な階段状の住戸がならんでおり、そこだけが異質な雰囲気を醸し出します。なるべく同じような個体の連続にならないように、建物の高さに変化をつけたり、ずらして配置したり、ところによっては地面にゆるやかな傾斜が設けられていたりと、ある意味で現代の「森山邸」に通じるものが見いだせます。しかし全体としてはやはり味気のない印象しかうけない。特にそれまで丹下建築を見ていたこともあってか、ただの箱が列挙しているだけに見えてしまう。
個々の住民は家の前の公共空間を効果的に利用しており、自分の領域をそこまで押し広げるように植物を育てたり、彫刻をおいたりしていました。
以前スペインのバルセロナを訪れたときにリカルド・ボフィルという建築家の「Walden7」という作品を見たことがあります。これは低所得者向けの住宅で、現代でこそ価値が高騰してきたものの、当時から貧しい人ばかりが住んでいました。ところがこの作品は40年以上も前のものにも関わらず非常に手入れが行き届いており、奇麗です。多くの人が自分のパーソナルなものを公共廊下まで溢れ出させているのですが、公共空間が乱れることはなく、むしろそれによって活き活きとしている。
坂出人工土地は1967年の作品。それに対してWalden7は1970年です。見た目も、計画も全く異なる二つの作品ですが、集合住宅における公共空間の使われ方の共通点は今後の建築においてもヒントになることが多そうです。
 
1層部分は商店スペースです。そこはそこで情緒のある雰囲気で、ふらっと飲みに行きたくなるような様相なのですが、上に住宅群があることを忘れてしまえば、ただのアーケード商店街とも言えます。このように商業と集合住宅を一緒にするという計画は今では新しいものではなくなりましたが、完全に商と住を分断してしまっては、もはや一緒の建築の中に挿入する意味を失います。様々な機能がより複雑な関係で絡み合っている状態のほうが、相互に刺戟しあうように感じました。

私たちが次に訪れたのは愛媛信用金庫今治支店。この建築は屋上と3層目に広く設けられたバルコニー空間が印象的です。建築中程を側面からがっぽりと削り取るような手法は、軽やかさと居心地の良さを生み出すのではないでしょうか。

初日最後の建築は今治市公会堂です。外からみると、ギザギザのかたちをした建築です。内部空間の側面もやはりギザギザに折り込まれており、そのくぼみに音響や設備の機能が隠されています。

この2つの建築はどちらもそれぞれ魅力的な作品なのですが、どことなくこぢんまりとしたところがあり、それまで見てきた建築の迫力に比べると大人しいものがあります。
コールハースの言う巨大な物のほうが良いという理論にのっとるわけではありませんが、やはり規模の大きな建築というのはそれだけ人を惹き付ける力も持っているものなのでしょうか。

大変なハードスケジュールで、建築巡りを終えた後は旧コンピューターカレッジという会場で、伊東、小嶋、末廣、太田、曽我部さん達によるセミナーが行われました。個々人が現在被災地で行っている活動についてのプレゼンテーションをおこなった後に、鼎談を行いました。
小嶋さんによるアーキエイドの話や、曽我部さんによるみんなの家の話など、建築家が被災地で行える取り組みの重要性を強く感じました。
鼎談の中で伊東さんは建築の利用者と建築家のあいだのずれについて語ります。現在、建築家は経済に依拠しながら生きている。場所がどこであろうが、経済的に活性しており、資本が新たな開発を求めている土地に赴く。言ってみれば建築家は経済資本に奉仕しながら、そういった要因に寄生し続けているわけです。だから社会のためといくら建築家が口にしたところで信用されない。経済に支配されない環境での建築づくりが必要だと。
実際は経済に影響をうけているのは建築家だけではなく、ほとんど全ての職種、全ての人々がその傘下にいるわけです。しかしとりわけ建築家の依存症はひどいものがある。経済を否定する必要はありませんが、その原理だけで建築ができあがってしまっては、ろくな都市は生まれません。
伊東さん含め、鼎談の参加者はみな、そのことを自覚しながら建築をつくっているからこそ、このような場で自信を持ってプレゼンテーションすることができるのでしょう。

長いセミナーも終わりバスは大三島にある宿へと向かいました。宿舎は古い小学校を改修したものだそうで、僕は昭和を一年しか経験していませんが、なんだか年号がさかのぼってしまったような錯覚に陥りました。食事を終えても宴会場をつかって、みんな夜中まで建築について語り合っていました。
 

翌朝からは大三島の伊東豊雄建築を巡ります。宿のすぐ脇にある岩田健母と子のミュージアムにて伊東さんが設計コンセプトを説明してくれたあと、すぐにバスで今治市伊東豊雄建築ミュージアムまで移動しました。

シルバーハット、スティールハットにて、再び伊東さんによる解説がありました。スティールハット内部におかれている円形の椅子は座面が床すれすれで、ほとんど寝ながら作品を見るように設計されています。そこで横になりながら宙に舞っている様々な文字を見ていると、とても穏やかな心持ちになりました。
もし今治にお越しの際は、是非大三島、そして伊東ミュージアムまでお越し下さい。

長いツアーもここで終わりを迎えます。
最後にみんなで集合写真をとり解散しました。様々な活動、仕事、勉強をされている方々が一堂に集まり、同じ物を共有する。そこで生まれた議論が建築家だけでなく、多くの人にとってのヒントとなっていればこれほど幸いなことはありません。

ツアーに参加された方々、急ぎ足で疲れたとは思いますが、大変おつかれさまでした。おかげさまで非常に魅力的なツアーになったと思います。
来年度も同様のツアーを企画できたらよいなと思っておりますので、また機会があれば参加いただけると嬉しいです。