会員公開講座 赤坂憲雄「境界のゆらぎ―潟化する世界のほとりで―」
7月27日、今年度2回目の会員公開講座が開催されました。今回より公開講座も、6月下旬にお披露目となった恵比寿スタジオでの開催となります。新スタジオでの初めての公開講座には、民俗学者で学習院大学の教授でもある赤坂憲雄先生にお越しいただき、「境界のゆらぎ―潟化する世界のほとりで―」と題したレクチャーを行っていただきました。
もう20年以上も東北をフィールドに歩いているという赤坂先生ですが、東日本大震災には東京で遭遇されたそうです。その後4月の始めから、全く姿の変わってしまった東北を、ただひたすら黙々と歩き始めたといいます。赤坂先生はその1年間を振り返って、“巡礼”のようだったと表現されました。そしてまた、被災地には宗教的なものが剥き出しに転がっていたと語られました。
記憶のメモのように写真を撮っているという赤坂先生。いくつか写真を見せながら、被災地でのその“剥き出しの宗教的なもの”について語ってくださいました。瓦礫の中にポツンと残された鳥居、海に花を手向け、海を背景に記念写真を撮る人々、色々な物を持ち寄り、いたるところに再建される小さな霊場、家が流されても尚、そこに残る屋敷神…。そこには、ある土地に住まうということ、或いは家を建てるということがどういうことなのか、それを考えさせられる風景が散りばめられていました。
しかし東北にはそもそも、生きる、住まうということについて、なにか固有の考え方が流れているように思われます。
「海山の間に生きる」という言葉が三陸にはあるそうです。今回津波の被害にあった場所に暮らす人々は、一見すると海の民のように思われます。それは確かにそうなのですが、しかしよくよく話を聞いてみると、例えば海の傍らの村に暮らす人々が、昭和30年代までは炭焼きをしていたりするそうです。その話に赤坂先生は驚かれたそうですが、そこには海にも山にも生かされ、ひとつのものに依存しないという三陸の暮らしの知恵が込められていました。百の仕事をして暮らす、まさに“百姓”の多様性が、その言葉には表現されているのです。
また三陸の被災地では、民俗芸能が一斉に復興を遂げていたそうです。それはそのテーマが専ら死者供養、鎮魂であると聞けば得心が行くかと思います。しかし東北では、それらは人間だけではなく、生きとし生ける全ての命に捧げられているといいます。赤坂先生は、東北には人も自然も含めた命を巡る独特の観念が息づいているのかもしれないとおっしゃいました。人と自然、或いは文化と野生の間の境界をどのように考えているのか。東北においてはその距離が近いと赤坂先生は感じてきたそうです。
レクチャーの最後は、その境界というものについて話をしてくださいました。我々が思っている境界は、決して自明なものではありません。例えば海岸線です。被災地を歩いて、「ここはかつて海だった。」という話をよく聞いたそうですが、それは即ち海岸線という境界が変化し続けていることに他なりません。
しかし現在、震災復興と称して巨大防潮堤を建設する計画が動いています。復旧=元に戻すということに全力を注ぎ、目の前の海岸線をコンクリートで固めようとする。しかしその海岸線は、刻々と移り変っていく境界の一時の姿に過ぎません。しかも小さな町にそんなものを造れば、平地がほとんどなくなってしまいます。それで一体何を守ろうとしているのか、と赤坂先生は疑問を投げ掛けます。少し想像力が貧しいのではないか、とも。
南相馬市の小高というところで、津波によって水田が泥の海と化し、潟のようになったそうです。しかし更に調べてみると、その水田も実は明治30年以降に造られたものであり、その前は浦や潟であったことが分かりました。赤坂先生はそこから、“潟化する世界”というイメージを思い描かれたそうです。それは、人工的に囲い込まれ造られた世界に対して、潟に戻ろうとする自然の動きです。いっそ潟に戻してやればいい、という赤坂先生の考えは、いささか過激すぎて受け入れられなかったそうですが、変化していく人と自然の関係の中で、同じ境界を維持し続けることの不可解さを問われます。
潟は生物多様性の宝庫です。潟化する世界のほとりで、新たな人と自然との境界を巡る、様々な試みをしていくべき時代にさしかかったのかもしれない。そう語られて、レクチャーの方を締めくくられました。
レクチャーの後、今度は伊東塾長との対談形式で、様々なお話を聞かせてくださいました。
伊東塾長も赤坂先生の話に大変感動しておられ、色々と言葉を交わされつつ、ものをなんらかのかたちで再生する立場にいる者としてどうすればいいか、という戸惑いも打ち明けられていました。
赤坂先生は人口減少の問題を始め、謙虚な自然との対話や住まう人の等身大の知恵の必要性、野生と人間の緩衝帯としての里山の崩壊等々、考えるべき沢山の問題を提示してくださいました。そしてその解決策として反文明的な選択をするのではなく、最先端の技術と小さな風土が出逢うところに新しい風景が生まれるはずだとおっしゃっていたのは印象的でした。
最後に参加者からの質問にも答えてくださり、批判ばかりでも仕方がないので、草の根の活動から始めていこうという言葉を残して、この日の公開講座は終了しました。
赤坂先生のお話は、伊東塾長が「ずっと聞いていたい」とおっしゃったように、聴いた人々の心にじわりと染み込んでいくようなお話だったように思います。なにかすぐには言葉にしづらいような、しかしなにかがとても込み上げてくるような、そんな複雑な想いを各々抱いていたのではないでしょうか。
お暑い中足を運んでいただき貴重なお話を聴かせてくださった赤坂先生、並びにご清聴くださった参加者の皆様に心より御礼申し上げます。
石坂 康朗 (文責:伊東建築塾)