講座B 第7・8回「建築はどのようにつくられるか|ヤオコー川越美術館」report#3
先日行われた講座B 第7・8回「建築はどのようにつくられるか|ヤオコー川越美術館」のレポートを 塾生の藤井田仁さんからお送りいただきましたので、下記にご紹介させていただきます。
私は東京理科大学大学院で建築の意匠と都市について勉強中の学生です。私は背伸びをして専門的なことをレポートし、客観的に講義を総評するというよりは、これから社会へでていく学生としての目線で、純粋に講義や空間から感じたこと、展望などをレポートしていきたいと思います。といいますのも伊東塾は建築業界のみならず、様々な業界で現在活躍されている方々が多く所属しています。そういった方々の中で専門性が低い学生としてレポートをするとなると、専門性を活かした視点ではなく、建築を学び始めて数年という自分の良くも悪くも新鮮な感覚に依ったレポートが適切かと思ったからです。稚拙な文章かもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
まず、ヤオコー美術館の見学の数日前に伊東豊雄建築設計事務所の古林さんと井上さんから美術館建設の経緯やスタディの変遷、そして実施設計についての講義がありました。その中で特に私はスタディの変遷の中で、展示作家の三栖右嗣氏の作品からイメージされる花や水や土や桜など具体的な自然を用いながら内と外を交互に体験するような案から、最終的に光の差異によって自然の差異を体感できるような案へと至ったという点が印象に残っていました。
そして当日美術館を訪れ、私は展示室1の空間に特に魅せられました。この展示室は美術館の最初の展示室として計画され、部屋の中央に存在する大きな柱の根元からの照明が大地から沸き上がる光のような印象を与えることを意図した展示室となっています。そして生命力や大地といったテーマを扱っている三栖右嗣氏の作品が展示されています。ここには講義でいわれていた光の差異による土のような洞窟のような空間が確かに存在していました。
この空間で私が初めに感じたこととしては「途方もなさ」と「安心感」でした。天井が連続したまま柱となって展示室の中心へと沈み込み、床と連続している。この天井と床が一体となった壁とも柱とも天井ともいえない何かを見上げながら歩いていると無限に回遊できるのではないのかという錯覚を覚え、空間に吸い込まれていき自分自身と空間が忽然一体となっていくように感じました。同時に、それが手で触れることができるし、寄りかかることもできるということへの安心さも感じました。そして最初の展示室ということもあり、エントランスからの光が時間によって様々な差し込みかたをしているため、天井と柱の連続部分が光になめらかになぞられ、自然の温もりと移ろいも感じることができました。
このように、「途方もなさ」と「安心感」という一見矛盾しているような空間体験が共存することで、人と建築のとても親密な関係性がうまれていると感じ、とても魅力的で快適に感じました。ただ、この建築は美術館であり展示物ありきということで、僕が感じたことは深読みなのかもしれません。
今回の見学を通して、建築が本来持っている「人をまもるということ」という役割をもう少し踏み込んで丁寧に考えなおしてみようと思いました。人と建築の距離感というものでしょうか。
とても偏ったレポートになりましたが今回の講義と見学を通して、建築の本来の意図を超えて思考することができてとても刺激になりました。また様々な建築を見学することで、想像もしていなかった新たな興味や思考へと繋がっていければと思います。