会員公開講座 中沢新一「野生の思考を求めて」

2015年01月08日

2014年10月11日、恵比寿スタジオにて会員公開講座が行われました。今回、講師としてお招きしたのは思想家・人類学者の中沢新一さんです。テーマは「野生の思考を求めて」。この「野生の思考」というフレーズは、今年度の会員公開講座全体のテーマとしても掲げられています。

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はじめに、明治神宮創建の経緯についてのお話になりました。明治神宮は大正9年、明治天皇と昭憲皇太后を祀るため現在の場所に創建されました。その設計に際し、林学や造園の専門家が参考にしたのが古墳だったといいます。その様は土地のほとんどが木々に覆われていることや、その中の小道を進んでいく様子などに見て取ることができます。古墳というのは今でこそ木々に覆われたものを想像しますが、出来上がった頃はスレートで覆われており、現在の姿とは異なっていたようです。このスレートが、長い年月のなかで盗掘にあったり、はがれ落ちたり、別の場所に使用されたりして、現在のこんもりとした森ができたがったのです。
さて、明治神宮は古墳をモデルにし、森林をつくることが決まりましたが、そこに植える木を全国から募ったところ、一万本も集まったといいます。更に驚くべきは、この木の募集は輸送から植樹まで完全なボランティアでまかなわれていたということです。明治神宮の創建には当時の日本国民全体が関わっていたということになります。森林は日本において、それそのものが古来より信仰の対象となってきました。そのため、社殿がなかったり、背景となる山が重要な意味を持っていたりします。内苑はこの、聖地の構造を古墳のうっそうとした森と、そこに幽かにあるなにものかとして表現されています。
同時に、明治神宮には外苑も必要だということが当初から言われておりました。中沢さんは、この内苑と外苑に「隠」と「顕」の関係があり、これらがセットとなることで初めて神社として機能すると言います。外苑の絵画館、陸上競技場、神宮球場など、どれも人間のエネルギーを目の当たりにするような施設ばかりです。内苑では森林に隠されていた力が外苑において現れでる。中沢さんは、この過程こそが神なのだと指摘します。この構造を「アラハレ」「ミアレ」と呼びます。
この「ミアレ」の構造は世界のいたるところに見られます。例えば日本においても、伊勢神宮が「ミアレ」の構造を持つとされます。伊勢神宮の高床の下には、心御柱というものが地面から突き出しており、まわりを瓦で幾重にもおおわれているそうです。伊勢神宮ではこの柱と巫女による儀式が行われ、生まれた力が千木と鰹木を通して開かれる。神明造の独特な屋根の形態は秘密の儀式によって生まれた、隠された力を顕現させるアンテナの役割を示しているということです。

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「ミアレ」は神話にも見て取ることができます。神話の世界は全てが分離されず、つながっている世界です。そのため、男と女の区別がなかったり、人と動物が同じような存在とされたりします。これは「カオス」の世界です。一方、現実の世界では男と女は違うものとされます。人と動物の区別がつかない人はほとんどいないでしょう。このように全てが分離された現実世界は「コスモス」です。顕れていない神々の世界(=カオス)から、現実の顕れた世界(=コスモス)へとミアレの構造が働いているわけです。神話というのは「むかしむかし・・・」と始まりますがこれは「今ではない、いつでもない時空」を指している言葉ということになります。私たちは「アラハレ」た世界に住んでいますが、実はその奥に、目に見えない「カオス」が内包されているといえるでしょう。
さらに、内と外が一体となって作用するということを延長すれば、内と外には区別がないということになります。「クラインの壺」を例に挙げ、「野生の思考」はこの構造をとると中沢さんは指摘します。「野生の思考」はレヴィ=ストロースの著作のタイトルでもあります。伊東塾長によると、建築も本来は中と外が一体であったはず。中沢さんはそれに応え、ボロブドゥール遺跡のストゥーパに外が中のようになった構造を見て取れると言います。ストゥーパは本来、仏舎利を中に収めた塚を指します。中と外はわかれています。ところが、ボロブドゥールの場合は事情が異なります。外側に仏様がずらりと並んでいます。これは本来、塚の中にいるべきもので、花が咲くように内側のモノが外側にめくり返って飛び出してきています。このストゥーパは立体曼荼羅と呼ばれることもあります。曼荼羅は「世界の内臓」を描いたようなものです。それがそとに飛び出してきているわけです。
明治神宮、国立競技場から神社の構造に至まで、「ミアレ」の思想はいたるところに構造として見いだされます。それは日本人の深いとことへつながっている問題なのです。だからこそ、国立競技場の建て替えはデリケートな事象だということです。競技場の建て替えは周囲の絵画館や野球場、あるいは明治神宮全体を巻き込む問題です。

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質疑の時間では都市問題にも話がおよびました。都市の老朽化をどう考えるかという質問に対し中沢さんは、都市空間は基本的に不滅のものを目指してつくられていると答えます。しかし不滅なものは、現実的には汚れが蓄積されていきます。一方、自然界は循環再生産の世界です。常に更新が続くこの世界では、汚れは蓄積されません。こういったものを構造に取り入れる必要があるというのが中沢さんの考えのようです。
建築の内と外の問題について、伊東塾長もかねてから非常に興味をもっており、一度内側からのみ建築を考えていくという試みをしたそうです。外がある建築というのは本来、好ましくないとのことですが、結局はどこかの時点でひっくり返さないと進まなくなってしまった。建築をつくる難しさがそこにあるような気がします。

野生の思考、あるいは「ミアレ」の構造を軸に、明治神宮、都市、建築、人間と様々なテーマにわたってお話をされた今回の講座でした。中沢さんの話力も相まって、宇宙を旅するかのような、非常に引き込まれた二時間でした。
最後に、お忙しい中、講座にお越しいただいた中沢さん、およびご清聴くださった皆様に心よりお礼を申し上げます。

川副祐太