会員公開講座・特別講座 アンドレア・ボッコさん・多木陽介さん「『石造りのように柔軟な』をめぐって」

2016年05月19日

2016年4月3日、昨年4月に鹿島出版会より出版された『石造りのように柔軟な―北イタリア山岳地帯の建築技術と生活の戦略』の著者であるトリノ工科大学准教授アンドレア・ボッコさんと、訳者である多木陽介さんをお招きし、特別講座が催されました。

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今回の講座では、イタリアピエモンテ州の山村における石などの素材や建築技術、生活の技術に関する詳細な分析がなされたボッコさんの著作の紹介を通して、ローテクの建築技術をはじめとした、サスティナブルな生活づくりの思想と原理についてお話しいただき、多木さんが琢次通訳して下さいました。

アルプスの山村を研究する意味
ピエモンテ州のアルプスの山村が対象とされているのには、単に研究範囲を限定するためだけではなく、山が未来を入れる器、持続性のある暮らしを含んだ場所であるというより深い理由があります。そこには近代産業による土壌汚染などの平野の破壊という背景があります。機械化が困難で産業的に評価されずに残ってきた山間地域は自然に溢れていますが、野生の場ではなく自然を生かしながら暮らしてきた過去の人々の痕跡が刻まれています。

そうした人々のつくり出したヴァナキュラーな建築は土地と深く関わり、大地に根付き、物質やエネルギーが調和しており、これからの暮らしや設計を考える上で非常に重要です。またそうした人々が使う「やさしい技術」は、建設行為の環境へのインパクトをいかに小さくするかを考える上でも重要です。

アルプスの山村から学ぼうとしていることは、伝統的なフォルムではなく、その「場所」をつくり出しているさまざまな原則であると言えます。厳しい気象条件、入手できる材料などの制限の中で設計することは、なんでも手に入るという考えを持って設計することとは全く異なる経験を与えるでしょう。

山道から学び取れること
山の中を走る小道は丁寧な石造りで相当な労力をかけてつくられ、山の人々にとって重要なものであったことが分かります。山の尾根は、一般にはコミュニティを分ける「エッジ」であると考えられがちですが、コミュニティ同士が密接に「つながる」場所でもあります。山道は交易の場や巡礼路、もしくは婚姻の場であり、山は異なるコミュニティを含んだ領域(伊:territorio;テリトリオ)を形成していたのです。

近代の交通システムの変容によって山は「エッジ」としての側面が強調され、社会から疎外されるようになってしまった一方で、上り路/下り路の造り方に配慮された工夫の違いなど、山道には今でも山を生きる人々の知恵が詰まっていると言えます。山の南面の中腹に段々に建つ住宅も、互いの家に陰をつくらない並びや村が全焼しないような工夫がなされているのであり、決して無作為なものではないのです。

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「村」と「暮らし」の在り方
山村は谷間、中腹、高原の3つの部分に分かれています。これは冬の寒冷な時期を麓の谷で過ごし、春から秋にかけての温暖な時期は中腹で耕作、夏の特に暖かい時期は高原で放牧をするためで、季節と農畜産業に合わせて山に暮らす人々は、標高差を利用して移動しているのです。

また、山村には敷地境界を持たずに住居が集まった場所がありますが、それらの住居は街路を形成し、共有/セミプライベート/プライベートの場が明確に分かれています。このことが教えてくれるのは、居住形態がそのまま村の人々の社会的関係性を表すものになっているということです。

山村における自給自足的な暮らしは、村の自給自足的な経済に基づいていると言えます。パンを焼くための窯は薪を倹約するために共同窯になっており、洗濯場や水汲み場のような個人では管理維持できないようなインフラもまた、全員で所有することで成り立っています。

「家」というものも私たちが考えているものとはだいぶ異なります。山に暮らす人々にとって家とは、居住の(単に寝る)場所というよりむしろ、人間と家畜が生き延びるために必要なものを生産する場所なのです。このことは山村の典型的な3階建ての家で、3階が穀物の貯蔵庫、2階が居住と貯蔵の場、1階が家畜と時に居住の場、そして半屋外の作業場から構成されていることからも見て取ることができます。

材料、構法の多様性と領域
山村という言葉でくくられる一方で、中腹に建つ家と谷に建つ家にはかなり違いがあり、異なる谷の家々の間にも違いがあります。土地によって建物の建て方、スペースの取り方が異なっており、これらの分布と方言の分布は一致しています。

同じ建物の中にも異なる建設技術を見ることができ、下部は石材による組積造、中層は木枠に石と石膏を充填した構造、上部は木材の架構など多様な構法が用いられています。それらの建物に使われているさまざまな材料の産出地をマッピングしたとき、人々が材料のために領域の中をあちこち探し回ったことが分かります。そうした過程で、人々は単に目的の素材を探すだけではなく、自然の中でかたちがつくられ、そのまま部材として使うことができるような材料も見つけることができました。例えば、傾斜地に自生する雪の重みで曲がったカラマツの根元は、樋を支える部材としてそのまま使われています。このように、人々は自分たちに必要なものを適材適所で見つけてくることによって建物をつくっていたということがよく分かります。

アルプスの建物はイタリア全土と同様、基本的には石造りのものが多い一方で、基礎を除いて躯体から釘、屋根材に至るまで全てカラマツでつくられた木造のものもあります。また、石造りの基礎などにもつくった人の手の知恵を見ることができます。石にも種類があり、ピエモンテ州の中だけでも16種類の異なる石が存在します。これらの石は大きさ、色、強度にも違いがあり、石造りといっても単にひとくくりにすることはできないのです。

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石造の家と現代の法規
4階まで石積みの家のようにつくるのが非常に難しかっただろうという家も存在しますが、それは現代のように1世代のためではなく、未来永劫に残すためにつくられているからで、子々孫々に受け継がれる資産とするために大変な技術と労力が払われているのです。

しかしながら、これらの家をつくる伝統的な技術は、平野を基準とした現代の法規から理不尽な扱いを受けていると言えます。山岳地につくられる石造の建物の開口部は小さくならざるを得ない分、効果的な採光のために非常に工夫がされているのですが、現代の法規では開口面積しか考慮されないため、新たな開口部を設ける必要があり、本来の建物の性質が損なわれてしまいます。また耐震基準に関しても、これまで壊れずに残っており経験的に壊れないことがはっきりと分かっているにも関わらず、現代の建築家が手を加える場合には法規を満たすように構造補強することが求められるのです。

形ではなく、「原則」を引き継ぐこと
他方で、伝統的な建て方やヴァナキュラーな建物とは不変的なものではなく、ゆっくりと少しずつ変化していくものです。伝統的な素材を使ったほうが耐久年数は長いのですが、屋根材の一部がトタンに置き換えられていることなどもその例の一つと言えるでしょう。これらの年を経て修復がなされた建物は経済的に価値を認められつつあり、パラドックスなことにトタン葺きのように外観が変化し、つくり替えられていくものが残り、修復や改築のなされないものは放置されて地に帰っていくのです。

ここで重要なのは、ソーラーパネルを配置するとか外見を維持するとかということではなく、昔からの「原則」を引き継いでいくということなのです。悪い増築の例として、外見は石造りのように見えて実際は鉄筋コンクリート造であり、さらに悪いことに壁面のタイルは地元ではなく遠隔地からわざわざ運ばれてきた石というものです。これは原則的にも美的にも大きく誤ったものだと言えます。

エネルギーに関して言えば、自分たちが暮らす領域のどこでどれだけの木を伐り出すことで持続的にエネルギーを得られるかという知恵を山の人々は持っていました。山の人々の重要な知恵の一つに、夏のうちに薪だけでなく、食料も含めた冬のためのエネルギーを加工しておくというものがあり、そうした意味で家は生きていくためのあらゆるエネルギーの貯蔵庫であったと言えます。また、西アルプスにおいて最も大きな熱源は家畜であり、冬は家畜を暖房の代わりとして人々は納屋で暮らし、家畜の足元は板が張られていました。立派なしつらえがなされた納屋は、近所の人々と語らう暖かな場所でもあったのです。

栗を植えることと山の将来
アルプスの山村では栗林を見ることができますが、栗を植樹するということはとても重要な意味を持っています。なぜならば、生産性を持つようになるまでに30年かかる栗の木は次世代のために植えられたものであって、現代の経済活動が今のためのものであるのに対して栗の植樹は未来のために行われた活動であるからです。

山村が消滅しつつあることには文明の問題があります。私たちを含め、人々は近代文明によってある種の洗脳を受けてきたと言えるでしょう。学校で教えられる科学などの教科は山に生きる人々の知恵とは無縁のものであり、未来に活かされるべきはずの知恵を持つ人々のことは、歴史からこぼれ落ちています。

これからの山の将来を考えるとき、二つの選択肢があると言えるでしょう。一つには、放置し自然に還るにまかせ、時折都市の人々が瞑想に来るだけの場所にすることです。そしてもう一つには、願うべき可能性として、山に人が帰ってきて再び生産をすることです。そのためには、経済的に生きていけるように山の経済活動を立て直し、環境と調和して生きていけるよう新たなモデルを模索していかなければならないでしょう。

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山村に生きる人々の建物やライフスタイルの表層ではなく、その深層にある領域という気候や風土、経済活動の広がりを詳細に分析することで、山村に暮らす人々の生きた「知恵」とその人々の暮らしに通底する「原則」を丁寧に描き出し、その現代における重要性を説明されたすばらしい講演でした。領域(テリトリオ)は日本ではまだあまり聞きなれない言葉ですが、これからの日本の地域、まちづくりに大きな示唆を与えるものになるような印象を覚えました。

貴重なお話をして下さったボッコさん、多木さんに、心からお礼申し上げます。

泉勇佑