会員公開講座 伊東豊雄「建築を建てるということ」
5月14日、2016年度最初の会員公開講座が開かれ、塾長の伊東豊雄が講演を行いました。「建築を建てるということ」をテーマに、伊東塾長の幼少期の原体験から、昨年行われた新国立競技場設計コンペまで、さまざまな内容を含んだ講演会でした。
桜の下で花見をする
桜の下で花見をする。このイメージが伊東塾長の建築に通底する根源的なものであるという話から講演は始まりました。1本の桜の木を中心に力が広がり、3本の木が集まることで場が生まれ、そこで花見をする。そうした桜の木々の間に巡らされた、取り除くだけで元の場所に戻っていく膜のようなものが最も素晴らしい建築であると述べます。
故郷
こうした伊東塾長の建築に対する考えは、故郷である長野の下諏訪での幼少期の経験から育まれました。「桜の下で花見をする」という建築観は、自然が豊かな下諏訪での家族との花見の経験にも基づいていると言います。「諏訪湖博物館」はそうした伊東塾長が慣れ親しんだ自然の中に建てられた建築です。
また、幼少期に自宅に隣接した諏訪湖から這い上がってくるヤゴがトンボに変態する過程を観察した経験が、かたちになる前の状態や変化の過程へと関心を持つきっかけになったと言います。
柱
伊東塾長の故郷の下諏訪にある諏訪大社は、本殿の代わりに御柱と呼ばれる一本の巨大な木から作られた柱が立つという珍しいお宮があります。7年に1度、この御柱を建て替えるために山から巨大な一本柱を運び出す壮大な「木落とし」は、辛抱強く時間を掛けて変態するトンボのようであり、それらの柱がつくり出す場は桜と共通していると述べます。
そうした木の柱の持つ意味に対する思いが、純木製の72本の柱でつくる「新国立競技場B案」にも込められていると言います。
柱に対する思いが込められた作品は他にもあります。「せんだいメディアテーク」では、チューブ状の柱の間にできる空間に、人々のさまざまな活動が生まれ、機能の組み合わせから考えるのとは異なる、自然の中にいるような建築が実現されています。地中から這い上がってくるようなうねった柱の造形もまた、そうした自然に対する思いが込められているそうです。
せんだいメディアテーク(Photo: Naoya Hatakeyama)
陸前高田の「みんなの家」は、津波をかぶり立ち枯れした杉の木を柱として再生させた建築です。しかしながら、この建物は整備計画のかさ上げにより、場所を移動させなければならなくなったということに対し、とても憤りを感じたと述べました。
水
諏訪湖の畔で育った伊東塾長にとって水のイメージは、鏡のようで静かな透き通ったものである一方で、タイの河畔を見て回った際に、人々が風呂、洗濯、水運に使う泥のような川の水に強い衝撃を覚えたと言います。ここで伊東塾長が非常に感動し、建築をつくる原理をうまく表現しているという、チベットの密教寺院について書かれた宗教人類学者・中沢新一氏の「建築のエチカ」(1983)というエッセイの話になります。
建築は自然に同化しきれないため、自然から祝福されたものでなければならず、自然が選び出した土地に建てられるものであるのに対し、被災地の復興活動がそれとは真逆に向かっていることに伊東塾長は疑問を投げかけます。
大地は抱擁力と気まぐれ、季節のようなサイクリックな時間の変化と、地震がもたらすような局所的なカオスを持っています。三陸の海に住む人々は津波や飢饉を避けられないものとして受け入れ、獅子舞を踊ることで人、動物、植物あらゆるものを供養し、豊かな暮らしを享受してきたと述べます。
また、伊東塾長は自然のプロセスへと還元できない建築の持つ異質性についても言及します。巻貝のように無限に展開する建築をつくろうとしても、開放系の巻貝の構造は静的に安定することはできず、そこには建築の持つ閉鎖系と完結性という特徴が立ち現われてきます。
しかし、チベットの仏教寺院に入るとき、人工物の外部であったはずの自然が内部と連続するような感覚を覚え、あらゆる感覚を巻き込んで母胎にいるような不思議な抱擁力に包み込まれます。大人になるにつれて人の精神は言語の秩序へと向かっていく一方で、寺院の内部ではそれとは逆方向に原初的な感覚、すなわち胎内へと回帰していく。伊東塾長はそうした建築空間の在りように共感を覚えたと言います。
胎内回帰
チベットの仏教寺院のようなゴージャスさはないですが、白い壁と横から差し込む光によって柔らかな光の空間のイメージと、地上にありながら地下にいるような印象を与える、初期の代表作である「White U」にもそうした母胎回帰的な空間性が含まれていると言います。
2000年以降、伊東塾長はそれまでの直線と円を用いた設計から、直交グリッドの変形や異なる幾何学を用いた設計へ移行していったと述べます。「台湾大学社会科学部棟」では、放射状の幾何学によって柱と屋根のかたちを決定することで、木の林立するイメージを表現し、依拠するものが幾何学でありながら自然のような空間に近づくことが実現しています。
それらの作品と比べて、幾何学的な厳密性は小さい一方で、「みんなの森 ぎふメディアコスモス」もまた、内部は大きな傘に覆われた空間となっており、空気の循環や光の差し込み方だけではなく、母胎回帰という一貫した考えによって説明されると言います。
「新国立競技場設計B案」では、閉じた杜としての内苑に対して、開いた杜としての外苑という場所性から、社会に対して新たに展開していくこと、スタジアムでありながら安心感や静けさを与える建築を設計しようとしたと述べます。特に設計要綱ではアスリートを第一としたスタジアムとすることが重視され、包み込むような屋根の曲線にはアスリートが大地から力をもらい、そして安らぎを与えられることが意図されていると言います。
「台中国立歌劇院」では、直交グリッドを変形させたエマージング・グリッドを用いた設計を試みており、中央ホールや練習室などの機能を組み合わせるのではなく、それらの機能を空間に組み込むような設計がなされています。
さらに、中沢氏の「仏教の教えは様々な欲望や怒りを鎮め、心の自然状態に導く」という引用を加え、静かに故人を悼む空間をつくろうとした「瞑想の森 市営斎場」は、伊東塾長の胎内回帰という考えを最も端的に表した作品だと述べました。
ネパール
最後に話題は、伊東塾長が訪れたネパールの道を等しく行き交う動物と人間のパラレルな関係へと移ります。ネパールでは、人と生き物の関係が建築の装飾にも表れています。また、川べりで荼毘に付し、遺灰が流される風景は穏やかさと静けさに満ちており、そうした人間と自然の関係に感慨を覚えたと言います。
現在、薬師寺の食堂の再建にあたって進められている伊東塾長による天井のデザインは、そうした穏やかで平和な空間性を表現するものになるとのことです。
歴史認識と自然との関係
講演後、伊東塾長に対し、会場の聴者からいくつかの質問がありました。
新国立競技場設計コンペに関して1次と2次の案を設計する過程で意識の変化があったかという質問に対し、伊東塾長は「1次案の時点では建物のボリュームを低く抑えること、スタジアムの稼働率を高くすること、公園機能を充実させること、省エネルギーであることを考えていたが、1次コンペの当選案の歴史性をあまりにも無視したデザインに憤りを感じ、2次案を設計するにあたって中沢氏と対話をする中で初めて歴史認識が生じた」と述べます。3.11後のこの二つのコンペを通して現代建築が変わっていくための大きなテーマ、近代より前の時代の暮らし方をいかに解釈するかという主題が明確化したと言います。
また、都市の居住において母胎回帰的な考えを実現していくことは可能かという質問に対し伊東塾長は「そもそもそうした考えに基づく建築は土地を選ぶことから始まっており、都市においては割り切って住み手がいかに快適に暮らせるようにするかを最優先し、設計している」と述べます。自然との関係の中で建築を探求する伊東塾長が、大三島で島づくりをする背景にはそうした都市の状況があり、大三島における活動は都市と地方という関係からではなく、地方において建築の本質を考えることを意味しているとのことです。
初回の会員公開講座は伊東塾長の建築に対する熱意のこもった大変興味深い講演でした。次回の公開講座もとても楽しみです。
泉 勇佑