伊東塾について

2011年05月12日

みなさま、こんにちは。伊東建築塾の山本至です。
まだ建築塾自体は始動していないのですが、着々と準備は進んでおります。これからどのような活動が行われて行くのか、恐らくそれはやりながら様々な要素が付加され、様々な方向へ進歩していくものだと思います。本塾のスタッフとして、伊東さんが行われるこれからの講座が楽しみです。
伊東塾では実践的な建築の講義に加え、受講者と共に建築の原初的なあり方を探り出すという試みを行います。「建築の原初」とは何なのか。それは言語的な側面だけを捉えれば、原始時代に人々がすんでいた洞穴のようなものなのかもしれません。しかし、それが果たして現代社会における建築にどのように合致し、どのようにその重要性を獲得していくのか。それはなかなか簡単に答えの出るものではありません。今回の震災は人災だとたびたび耳にします。原発の問題だけを捉えると、そうかもしれませんが、仮に現在の文明がなかったとしても、被害の規模は変わらないどころかもっと酷くなっていたでしょう。

ヘーゲルがフランス革命について以下のような文を記しています。
『思想、正義の概念が忽ちにして優勢となり、旧来の不正義の足場はこれに対して何の抵抗をもなしえなかった。アナクサゴラスはかつてはじめてこういった、理性が支配すると、だが、思想が精神的な現実世界を支配せねばならなぬということを認めるように、人間がなったのはやっとこのごろである。(エンゲルス「空想より科学へ」より抜粋)』
ヘーゲルの進化論は今にして思えばひどく単純なのかもしれません。
しかし思想や論理が世界を構築していることは疑い用のない事実であり、当時から既にそれを明確に理解していたヘーゲルの見方には驚かされるものがあります。
原初を見据えるというのは単純に過去へ戻るのではなく、ヘーゲルの言う「思想から現実世界を構築する作業」の一つだと思います。ヘーゲルのように文明の歴史を一本の線で辿ってしまうことが間違いなのだとしたら、それこそ「原初」をヘーゲルがいう「このごろ」以前に戻ることとはき違えるのもまた間違いと言えるでしょう。

私達が「建築の原初」をいかに現代文明と併合させながら考えて行けるか、そこにこの塾の重要な意義があるような気がします。
これから私の感想や、伊東塾での活動の様子を随時ブログに綴っていきますので、ご笑覧いただければと思います。

山本至