会議in神谷町スタジオ

2011年05月16日

 

今日は伊東さんと東京大学の太田浩史さんが神谷町スタジオにおこしになられ、スタッフ一同とこれから「伊東塾」でどのように活動していくかの会議を行いました。毎度このような著名な方々と席を共にしていると、なんだか自分のおかれている環境の贅沢さにも麻痺してきます。ただ必要以上に気張らず相手と接することができるようになったのは、自らにスタッフとしての自覚が明瞭に現れてきたからなのかもしれません。

前回に続きミーハーな人選ですが、ハンナ・アレントは「人間の条件」の中で、人間の行為を「労働」「仕事」「活動」という3つの要素に区分しています。「労働」とはマルクスのいうプロレタリアート。消費され、この世から一瞬で消え去るものを大量に生み出す行為です。「仕事」とはこの世にいつまでも存在し、世界の一部となるものを生み出す行為。建築家も彼女曰くこれに分類されます。

そして彼女が最も重要だとするのが「活動」。これはギリシャ時代のポリスによる政治のあり方からきています。これは簡略的に言ってしまえば公の場で人々が議論することでした。もちろん当時は人間に階級があり、「活動」に参加できるものはごくわずか。奴隷に市民権はありませんでした。しかし、現代は階級制度が消滅し、誰もが公の「活動」に参加できます。にもかかわらず人々はプライベートばかりを求めるように、そんな状況とは真逆の道を歩み始めました。もともとプライベートという言葉には「公が欠如している」という意味が込められています。プライベートになるということは、今の言葉でいえば社会性の欠如と見なされるわけです。
アレントは本著により、現代で失われてしまった「活動」を取り戻そうとしています。
しかし、考えてみると建築家は「仕事人」であると同時に、「活動家」でもあるのです。建築家に限らず、ものを創造する人ならば誰もが仕事と同時に活動を行うでしょうし、そうでなければなりません。しかしそのことに自覚的である人がどれだけいるか、いかに多くの建築家が「仕事人」であることに徹し、「活動家」であることを忘却しようとしているか。

伊東塾で行われる「活動」的議論が、今後はもっと様々な人を巻き込み、よりギリシャ的な議論の場となれば、建築家はその意義を取り戻し、今の阻害された状況から少しは脱却できるのではないでしょうか。

 

山本至