会員公開講座 平野彰秀さん「自然エネルギーが開く未来」

2018年10月15日

9月15日、2011年に岐阜県郡上市白鳥町石徹白(いとしろ)に移住され、地域内での持続可能なエネルギー生産をはじめとする活動をされている平野彰秀さんをお招きして、公開講座が行われました。

平野さんは、石徹白に移住された後に持続可能な地域の暮らしを目指す一環として「小水力発電」を実現されました。また、2018年2月に公開された映画『おだやかな革命』では、石徹白の服飾文化を生かした洋服づくりをなさっている奥様の馨生里さんと共に、平野さんご夫婦の地域づくりの活動が取り上げられました。

講演では、「自然エネルギーが開く未来」と題して、現在日本中から注目を浴びている平野さんご夫婦の地域づくりの活動内容とその理念について、お話をしてくださいました。

自然・環境と都市化のあり方に興味を抱いた青年期

平野さんは、岐阜市の田園風景の中で少年時代を過ごされました。あるとき、平野さんの故郷に突如建設された環状道路をきっかけとして、平野さんの原風景であった田園風景から郊外型店舗が立ち並ぶ風景へと変貌を遂げます。さらに、花火大会などで親しんできた長良川には、巨大で人工的な河口堰が建設されました。これらの経験をきっかけとして、平野さんの中に「都市化とは何か?田園風景と共生する都市化とはありえないのか?」という問題意識が生まれます。

そんな中での、田村明著『都市ヨコハマをつくる―実験的まちづくり手法』(中公新書)という本との出会いで抱いた「たった一人の都市計画構想で町が変わる」という発見に後押しされ、大学の学部時代には歴史的街並み保全や都市デザインをテーマとしていた研究室へ所属し、大学院では建築デザインを学びました。

さらには、まちや商業的な見方を学ぶ目的で、北山創造研究所に就職し商業建築を手がけたり、モノづくりという手法に限定されない解法を模索するために経営コンサルタントの仕事に就いたりしました。このような経歴の中で、「ひとつのまちに生涯携わっていきたい」という思いや、「真に取り組むべき課題をいかに模索するか」という姿勢を身につけていったそうです。

若い力がまちに対して働きかけるという活動の開始

平野さんが、会社勤めと並行して、大学院を卒業した2001年から行っていた活動が、「NPO法人G-net」です。この活動は、「岐阜は何もない、面白くないまち」という考えに支配されていた岐阜出身の学生たちとの出会いをきっかけとして、若者の力で岐阜を盛り上げていきたいという思いから始まりました。このNPOで知り合った仲間たちが行った活動の一つが、「水うちわの復活プロジェクト」です。

水うちわはニスを塗られた透明な和紙で出来ている地域独特のうちわで、夏には水に浸して扇ぐことで涼を生みます。当時、10年ほど作られなくなっていたこのうちわを復活させるべく、20代前半のメンバーがうちわ職人の方々に働きかけ、共に活動しました。結果的に、無事に水うちわは復活し、現在も販売されています。

さらに、このプロジェクトによる収穫は、水うちわの復活だけにとどまりませんでした。平野さんたちは、水うちわの復活を通じて、「長良川がもたらすつながり」に気がつきます。長良川の上流で生産される和紙や竹が、下流に来てうちわ・和傘などになります。長良川の上流から下流へといかだによって流れる物流のおかげで、それぞれのまちが特徴付けられ、生活が成り立っていたのです。この気づきをきっかけとして、平野さんと仲間たちは、長良川上流の「郡上」へ通い始めることになります。

郡上で見えた持続可能なエネルギー生産の可能性

郡上で出会った人々の中には、子どもたちの自然体験学校など地域に根ざして活動しながら、自然環境のバランスの崩壊を憂慮し、その調整を図りつつ自然とともに生きるには何ができるか、ということを考え実践している人々がいました。この出会いで、平野さんは大きな衝撃を受けます。それまで平野さんが東京でともに働いてきた人々の中には、郡上の彼らのように真っ当で説得力のある言葉をぶつけてくる人々が皆無だったからです。この出会いを通して、次第に郡上の人々のように地に足のついた活動をしたいと思うようになっていったそうです。

さらに、郡上に通う中で平野さんが抱いた疑問は「人も土地もこんなにいいところなのに、なぜ郡上はどんどん衰退しているのか」ということです。その答えの一つをお金の流れから考えたところ、「エネルギーを外部に依存することで、郡上の資金が外に流出している」という解を得ました。これが、地域から流出するお金を減らすために持続可能な「小水力発電」を行う、という次の活動へと結びついていったのです。

このプロジェクトを受け入れてくれた自治体が、過疎化で悩む「郡上市白鳥町石徹白」でした。

まず、2007年頃にアジアの未電化地域でよく使われていた水車を輸入し、地元の農業水路と技術を活用した水力発電を計画しましたが、電気制御の難しさ・メンテナンスの難しさ・水利権の問題に直面しました。さらに、平野さんの活動を怪訝に思う地元の多数の方々の協力を得る困難や、地域内の世代間の対立構造に巻き込まれる困難もありました。そのような中、地域の人々がしたいことをサポートするという姿勢の大切さに気がついた平野さんは、2011年には、休止していた農産物加工所と水車を組み合わせて地元のシンボルを作り出すことに成功します。さらに、地元の女性グループのカフェ立ち上げにも携わり、次第に、水車目当てに石徹白にやってきた観光客のカフェでのおもてなしや、水車を用いた特産品の生産・販売といった様々な活動が、互いにリンクするようになりました。

そして、これらの活動や人々のつながりをきっかけとして子育て世代の移住が増え、2008年〜2017年の10年間で14世帯43人が増加したのです。

昔から行われてきたはずの地域づくりと、そこから見えた石徹白の服飾文化

小水力発電を起点として地域づくりを行い人口減少を緩めることに成功した石徹白ですが、実は自分たちの手で暮らしをつくるという「地域づくり」の活動は昔から行われてきました。水力発電に利用した農業用水は、明治時代に石徹白の人々が協力して建設したものであり、エネルギーも昭和30年代まで石徹白で自給されていました。

さらに、家は「石場建て」という方法で雪で曲がった木や古材を活用しながら皆で協力して建てたり、田植えの時は衣装を新調し皆でそれぞれの家庭の田植えを済ませたりしました。

これらの話を石徹白のお年寄りから聞く中で、野良着を作る服飾文化「たつけ」「はかま」に着目したのが、文化人類学を学ぶ中でカンボジアの伝統的服飾文化を現地の村で体感した、平野さんの奥様である馨生里さんでした。

「たつけ」「はかま」は、全て直線断ちで端切れが出ない効率的な方法でつくられます。このつくり方を、石徹白の人々から教わり、「土から生まれる服作り」をモットーに掲げ、藍染・養蚕なども行って「石徹白洋品店」で販売しています。

このように、身の回りのものを効率的に使ったり、人々が力を合わせて地域をつくるといったことは、かつては当たり前でした。しかし、この考え方は、近代過程で経済性がないことを理由に淘汰されていきました。平野さんご夫婦は、偶然出会ったこれらの技術に、便利な世の中だからこそかけがえのない価値を感じ、現代の文脈の中で蘇らせることを試みています。

そして、ついに、2016年には、地域のほぼ全世帯が出資した組合による、小水力発電所が実現したのです。

まちづくりにおいて、大切にしたいと思っていること

最後に、石徹白での活動を通して、平野さんが地域づくりにおいて大切にしたいと感じた4つのポイントをお話ししてくださいました。

1.かつてから受け継いだ価値を、現代によみがえらせる

2.多様なチャレンジを受入れ、生み出せる環境づくり

3.仲間とともに夢を見て、プロジェクトを実現していく

4.潜在的な自治の力/甲斐性 によって、ゆるがぬ地域・ゆるがぬ暮らしが実現される

「先人たちが連綿と続けてきたように、自分たちで地域をつくることで、食べ物・エネルギーはどこからやってきて、自分たちの命がどこにつながっているのかを実感し、自然や地域とのつながりを体感できる」という力強い言葉で、今回の講演は締めくくられました。

岩永 薫