第8回 子ども建築塾

2011年10月11日

10月8日土曜日、第8回目の子ども塾が行われました。
その日は前期をかけて作成した、模型と図面、スケッチを用いて、子ども達による発表会を行いました。

みんなの成果物を一堂に集め、一人一人が順番に発表を行います。いくら高学年とはいえ、小学生が人前で発表することは、私たちには想像もつかないほどのプレッシャーだと思います。
私事ですが、小学生のときに、清掃委員の委員長を担当しており、巨大なホールで全校生徒にむけて発表をさせられたことがあります。そのときは緊張のあまり下ばかりを向いてしゃべっていたので、設置されていたマイクが音を全く検知できないということがありました。後々になって聞いたのですがみんな私の口の動きから、何を言っているか推測しながら見ていたそうです。
今の話は余談でしたが、そんな経験を持つ私からすれば、あれだけの数の大人を前に堂々としゃべっている子ども達には驚かされました。基本的にはとなりにボランティアの学生がつき、順に質問をしていくのですが、人によってはプレゼンターさながら、一人で延々としゃべり続ける子もいます。やはり臆せずにしゃべれるのは、自分が何を考えてその作品を造ったか、子どもにとっても明確であったということの表れなのかもしれません。

みんな魅力的な作品を作り上げていましたが、特に印象的な作品を造った子達に共通していたのは、最初の曖昧とした模型の形が、最終的に予想もつかないような形体へと変貌していたことでしょう。一部の子達は、最初から最後まで一貫してある明確な形があり、それが紆余曲折はあったものの、あまり大きな変貌を遂げずに貫徹しました。しかし、最終的にちょっと人目を引くような形を生んだ模型群はどれも、模型を造っていく過程で多量の変化を経験していたものたちでした。
それは恐らく模型造りのプロセスの途上で、彼等の最終像が変化していったことにあります。当日の発表会で批評役をしたくださった西沢立衛さんも、一つの建築を造るときにスタディ模型をいくつも造るということで知られています。初めにどれだけいいと思った形でも、それを具現化していく過程のなかで新たな発見をし、より良いものへと変貌していきます。
そのプロセスを実際にたどっていた子ども達の作品には、わずかな差ではありますが人目を惹くようなものが宿っているのだと思います。

後期のテーマである「まち」でも、子ども達は自分自身の作品を造ることになります。そのときに少しでも意識的に発展過程をたどれるように誘導してあげることができれば、子ども達も予想しえなかった魅力的な風景を獲得することができるのではないでしょうか。