会員公開講座 伊東豊雄「アフターコロナ」

2020年10月29日

6月27日、前回の『オンライン座談会』の続編として、伊東豊雄塾長が講師を務める公開講座が開催されました。今回は、時世を反映して、ウェビナーとソーシャルディスタンシングによる会場での講座とを併用して行われました。前回の講座では、コロナ禍におかれる現代社会のあり方が議論されましたが、今回のテーマは「アフターコロナ」。現在の時勢を踏まえ、伊東塾長の建築家としての経験や多分野の論客の思索を絡めながら、2020年度の本塾公開講座及び塾生講座のパースペクティブについてお話ししました。

大三島と東京を舞台にしたこれまでの実践

伊東建築塾では、2011年以来、愛媛県今治市に位置する大三島で、地域の方々との様々な活動を行ってきました。この島は、しまなみ海道に位置しており素晴らしい景色が望める美しい場所であると同時に、極端な少子高齢化が進む地域でもあります。このような状況を打開し、島に再び活気を取り戻すための実践として、大山祇神社の参道にある空き家を島の核となる『大三島みんなの家(2016)』へと生まれ変わらせるプロジェクトを行いました。このプロジェクトでは、島民の皆さんのご協力を頂いて建物の改修を進めたほか、現在では昼はカフェ、夜はワインバルとして、地域の皆さんのたまり場となっています。さらに、旧小学校をリノベーションした民宿『大三島憩の家(2018)』、その敷地内には、増加する耕作放棄地を生かした新たな島の個性と仕事の創出を目指して、2015年から進めてきた「みんなのワイナリー」プロジェクトのためのワイン醸造所を設置しました。このような活動に加え、自邸として設計した『シルバーハット(1984)』を移設してオープンした『今治市伊東豊雄ミュージアム(2011)』では、展示だけでなく、ワークショップやコンサートなど多様な活動を行っています。



一方、大三島と対照的ともいえる東京での近年の実践として、『WITH HARAJUKU(2020)』の設計が挙げられます。ハイブランドが立ち並ぶ表参道とカラフルな若者がひしめき合う竹下通りという正反対の趣のある敷地に開業する商業施設です。ここでは、原宿駅の正面にエントランスを設け、表参道と竹下通りを結ぶ”道の建築”として施設を設計しました。この場所は明治神宮の森を見渡せる場所であるほか、以前は源氏山と呼ばれた丘陵地隊でした。このような特徴を生かし、できるだけ緑やテラスを取り入れ、外部空間との繋がりを満喫できる空間づくりが目指されています。

“コロナ”はなぜ発生したか
このような”地方”と”都市”という正反対とも思える場所を敷地とする実践を行ってきた伊東塾長ですが、”地方”と比べた東京の利便性に譲歩する反面、食品ロス・人口の集中生産・新幹線や飛行機での輸送量を例に挙げつつ、生産・開発・移動が過剰となっている現状に危機感を抱いています。そして、毎年本州の半分ほどの熱帯雨林が減少している事実や、地球温暖化で増加する自然災害などを取り上げ、”コロナ”もまた、過剰さを追求してきた人間活動が引き金となった自然災害なのではないか、という考えを強調します。同様に、生物学者の福岡伸一さんも、「ウイルスは高等動物が発生してから初めて生じたもので生命の進化に不可避とする説があり、常に変化するという性質ゆえに壊滅状態にすることはできず、一緒に生きていく必要がある」(朝日新聞記事2020年4月3日)との考えを示されているそうです。

近代の誕生とその限界
人々を”過剰”の追求へと駆り立てているのは何なのでしょうか。伊東塾長は”近代”という言葉に注目をします。その特徴を、今村仁司さんの『近代の思想構造(1998)』から次の4つに要約して説明します。

①人間は自我を備えた個である(自立した個)

②自立した個が集まって市民社会を形成する

③人は技術によって自然を克服できると考える

④科学思想を信奉し、機械論的世界観を形成する

近代主義建築も同様に、効率的な最適解としての人工環境内で、機能によって分割された空間を組み合わせることで成立してきました。このような建築により形成された”近代都市”ではモノの生産により利潤が生み出されていた一方、1970-1980年代にはさらに大きな利益を生み出すために消費を中心とした都市へと移り変わっていきます。このような社会状況を背景に、伊東塾長は、食品用ラップフィルムが商品を包む陳列方法が主流となった当時の都市を、消費を促進させる新たな”新鮮さ”を提示するものとして”サランラップシティ”と形容し、消費社会の拡大と住宅機能の都市への流出を、インスタレーション『東京遊牧少女のパオ』としてシニカルに表現しました。

さらに、このような状況は、現在の渋谷に代表される巨大な再開発事業に繋がっていると説明します。アイコニックな200m級のビルが立ち並び、それがブリッジ等により空中で接続されて形成された”アーバンコア”について、「地面に特徴があったといえる渋谷で人々が空中を歩く様を生み出し、果たしてそれが本当に人々のためになるのか」と疑問を呈しました。

伊東塾長は、以上にみてきた問題意識を踏まえ、”近代社会”を考える上で示唆的な他分野専門家の言説を紹介しました。経済学者の水野和夫さんは、”近代社会”について、資本主義の枠組みが地理的拡大の限界を迎えた1970年代に、消費による利潤追求のシステムから金融システムへと移行したと同時に、経済格差が極端に広がり資本主義自体が立ち行かなくなってきた現状を指摘しています(管付2018, 水野2014, 水野2020)。また、社会学者の三田宗介さんは、生物の個体数が急激な増加後に飽和状態となることを示す数理モデル「ロジスティック曲線」を取り上げ、近代は大増殖期であり今まさに飽和の段階に差し掛かっていると指摘しています。

現代の社会のあり方とは
”近代社会”が育んできた以上の点を踏まえ、“コロナ”の問題に直面した現状況下にある私たちはこれからの社会をどのように方向付けていくべきなのでしょうか。伊東塾長は、次の5つの観点を起点に考えてみることを提起します。

①自然観を変える

②オフィスだけが働く場所ではない。働く場所はいくらでもある。

③シェアリングライフは地方にも拡がっていく

④都市と地方を住み分ける生活が可能となる

⑤公共建築は「みんなの家」となる

「人は技術によって自然を克服できるという価値観を脱却し、人は自然の部分であると考え”動的平衡”たる存在であるべきだ」と伊東塾長はいいます。このような問題意識から誕生したのが『せんだいメディアテーク(2008)』や『台中国家歌劇院(2016)』です。そして、このような価値観によって自然から切り離された”高層都市”が、かつての江戸のように「水と緑と建築がフラクタルな関係を持った美しい街」(陣内秀信さん)になり得るのではないかといいます。

さらに、『RYOZAN PARK(2012)』のようなシェアハウス・シェアオフィス、ヤマハ発動機株式会社の電気自動車『05GEN』『06GEN』のような新たなモビリティ、都市住民の2割が希望するなど近年人気が高まるUターン・Iターン・Jターン・2地域居住の推進によって、冒頭で言及した地方と都市の2項対立の解消が可能となるのではないか、というのが伊東塾長の考えです。そして、現代都市に地方のコミュニティを彷彿とさせる人々の交流・滞留を促進するデザイン例として『みんなの森 ぎふメディアコスモス(2015)』や『座・高円寺(2008)』を取り上げ、「広場のように自分の心や体を解放することができる自由で平等な場所」、「場所に根付いており街全体で家族のように触れ合い子育てができる」といった現場の声を紹介しました。

以上の伊東塾長によるレクチャーを踏まえて、前回登壇していただいた伊東史子さん(デザインマネジメント・ジュエリー職人)、川上純子さん(翻訳者・編集者)、 柳澤潤さん(建築家)の応答と、ウェビナー・会場参加者も交えたディスカッションが行われました。

経済活動が再開しつつあるものの、まだまだ緊張を強いられる日々が続いております。皆様におかれましては、どうかくれぐれもご自愛ください。伊東建築塾職員一同、一刻も早く平穏な日常が戻ってくることを心から願っています。

岩永 薫