会員公開講座 桂英昭さん、千葉学さん、岡野道子さん 「災害が新しいコミュニティを生む」

2021年07月08日

2021年4月17日、コロナ禍により延期されていた2020年度第5回目公開講座が、建築家でくまもとアートポリス(KAP)アドバイザーの桂英昭さん、建築家の千葉学さん、建築家の岡野道子さんをお招きして開催されました。御三方とも、「建築家は災害を経た地域に対してどのようなお手伝いができるのか?」という問いに向き合い、様々な実践に携わってこられました。今回の講座では、2016年の熊本地震後の実戦例として、桂さんからはKAPアドバイザーとして応急仮設住宅と「みんなの家」を計画されたお話を、千葉さんからは各地域に公民型の「みんなの家」を設計されたお話を、岡野さんからは被災後の生活の中で生まれるコミュニティやその継続性についてのお話をお伺いしました。

[桂さん] 地域に合わせた”公平さ”で創造的復興を図る

「1枚目のスライドはどうしようかと悩んだのですが、」という言葉とともに、桂さんは地域の伝統的手法で「みんなの家」を移築している写真を示しました。2016年熊本地震の後に建設された「みんなの家」は95棟。そのうち、9割以上が移築・再利用されています。なぜ、熊本で、これだけたくさんの「みんなの家」が実現し、現在でも再利用されるほど地域に愛され根付いてきたのでしょうか。

その要因の一つは、熊本県の応急仮設住宅団地計画が既存のものと一線を画すという点にあります。蒲島郁夫知事が提唱した、①「創造的復興:長期的展望の計画」②「痛みの最小化:不公平感の緩和」という2点を計画の柱に据え、「熊本型D」という初期設定条件を適応することで、110もの応急仮設住宅団地を実現させました。「県庁職員との合言葉は、どこに住んでいる人にも嫌な感覚がない、どこに行っても同じ配慮がされている」だったと桂さんが説明する通り、被災者の不公平感を軽減するための”デフォルト”として設定される「熊本型D」は、それぞれの敷地・条件を精査した上で、調節しつつ適用されます。

[桂さん] 「熊本型D」の適用例と「みんなの家」の計画

計画例として、〈甲佐町白旗仮設団地〉では、既存案から住戸数を大幅に減らしたほか、長屋形式住戸を2棟に分けてその間に小道を挟み棟間隔を広げる工夫によって、団地内の圧迫感を軽減することが意図されました。路地には、ハイバックの木製ベンチを設置し、プレハブ鉄板の冷たさを和らげつつ住人のコミュニケーションを促進する配慮がなされました。そのほかの団地においても、住民の要望でドッグランを設けたもの、野球場に配置したもの、UD福祉木造住戸で構成されたもの、敷地にあった石畳を残すために試行錯誤したものなど、各地や住民の要望に合わせて労力を惜しまず計画されています。

さらに、団地の多くには、建築家と住民の皆さんとがディスカッションを重ね、本格型「みんなの家」が実現されました。九州の学生らで組織されたKASEIプロジェクトと協力し、工事中の棟上げ・庭造り・ワークショップなど、コミュニティの核としてソフト面の充実も図られています。

このような配慮を重ねることで、「自分たちのために一棟ずつ作ってくれた!と感じてもらえる、熱意が伝わる」と桂さんはおっしゃいます。このように、「『熊本型D』とは、みんなでバリエーションを考えながらやっていくその仕組み、次の計画を育てていくサイクルのこと」なのだそうです。

[千葉さん] 公民館型「みんなの家」の基本方針を住民と煮詰める

熊本地震後、千葉さんは、塚本由晴さん・貝島桃代さん・玉井洋一さん(アトリエ・ワン)とともに、公民館型「みんなの家」の設計に尽力されました。設計プロセスの中で大切にされたことは、それぞれの地域に出向き、立地環境の調査と住民の方々へのヒアリングを徹底的に行うこと。その事前調査の中で、千葉さんは、従来の公民館も自分達の家の延長のように捉えられ愛されていたこと、「みんなの家」の用途・メンテナンス方法を熱心に議論するほど住民の当事者意識が強いこと、に気がついたそうです。そのような「住民の方々の想いに応えたい」という思いで、プロジェクトはスタートしました。

加えて、千葉さんが常に大切にされている「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す」(寺田寅彦、1934年「天災と国防」)という言葉を念頭に置き、「みんなの家」の基本方針2点が設定されました。

  • 懐かしさと新しさ:自分の家の延長と思えるよう在来の木造を使いつつ、誰の家にもない空間を
  • 素朴な技術と美しさ:どんな状況下でも使える素朴さと、地域の人が誇りに思える美しさを兼ね備えたもの

その上で目指されたのは、誰でも気軽に来れる大きな軒下と大きな空間を持ち、なるべく光や風が抜ける形を持ち、いつどんな時も住民が気軽に立ち寄れる、というものです。これらの方針を実現するために、「屋根・軸組をどういうふうに作るか」ということに集中した膨大なスタディが繰り返されました。

[千葉さん] 地域の人々が”自分の居場所”だと思える空間づくり

担当した5地域いずれにおいても、立派な木や地域の畑など、その敷地ならではの魅力的な場所があります。

千葉さんは、「土地の魅力を活かしつつ、周囲の木造住宅を踏襲して設計をした」とおっしゃいます。《嘉島町北甘木のみんなの家》(設計=千葉学、2019)では、当初は切る予定だった敷地南側の立派な木を活かすために、建物の配置や材の大きさが丁寧に検討されました。

撮影:Vincent Hecht

また、《嘉島町上六嘉のみんなの家》(設計=千葉学、2019)では水害への懸念や将来的な増築の可能性への配慮、《大津町新小屋のみんなの家》(設計=千葉学、2019)では登下校する子どもたちを見守れるようにとの配慮によって、配置プランが決定されています。

撮影:Vincent Hecht

建物内のプランニングについても、住民の方々の意見が丁寧に反映されています。メンテナンスや改築方法について熱心に質問された出来事が印象的だった《大津町高尾野のみんなの家》(設計=千葉学、2020)では、地域の方々の「カラオケがしたい」という要望に応えて小上がりを設置しました。比較的若年人口が多い《西原村大切畑のみんなの家》(設計=千葉学、2021)では、もともと飲み会が開催される場としても利用されていた消防車庫と合築する工夫がなされました。

撮影:Vincent Hecht

撮影:Vincent Hecht

撮影:Vincent Hecht

タイトな予算計画の中で、様々な方々の寄付や協力でプロジェクトは成功に導かれました。加えて、テキスタイルデザイナーの安東陽子さん、家具デザイナーの藤森泰司さんに、子供達の成長を見守る温かいインテリアづくりをお手伝い頂く等、随所にこだわりが見られます。千葉さんは、今回の設計を通して、「地域の人々の思いに応え、どこにでもあるけれど特別な空間を作ることが大切」だと感じられたそうです。

[岡野さん] 被災してからのコミュニティ

岡野さんは、益城町で「みんなの家」を設計されたほか、甲佐町では、災害公営住宅15棟30戸・子育て支援住宅20戸・みんなの家・都市防災公園を一体的に整備する「甲佐町住まいの復興拠点施設」を設計されました。その中で、気づいたのは、「地域の被災と復興の状況に合わせて、住民の住居やコミュニティが断続的に変化する」ということ。今回の講座では、プロジェクトに携わられたご経験の中で、被災後のコミュニティ形成に対して建築家がお手伝いできるのでは、と感じた点についてお話しくださいました。

岡野さんは、被災してからの主なコミュニティ形成の場として、①避難所・②仮設団地・③災害公営住宅の3点を取り上げました。例えば、益城中央小学校避難所では、NPO法人「益城だいすきプロジェクトきままに」の吉村静代さんを中心として、居住スペースの床高を上げる等の生活空間改善、居住スペースのカーテンを開放することによる孤立防止、喫茶コーナーや食堂の設置、といった取り組みがなされました。このような明るく見通しの良い雰囲気作りが功を奏し、その後の益城町仮設団地への移動の際には、避難所でできた知り合い同士が近隣住戸に住むための配慮も可能になったのだそう。

②仮設団地では、団地中央に「地域支え合いセンター」の拠点も兼ねた《益城町テクノのみんなの家》(設計=岡野道子、2016)が設けられ、住人同士の交流が生まれるよう趣向が凝らされました。団地と繋げることで人が滞留する工夫がなされたテラス、ワークショップ等のイベント、夜のバー運営などによって、住人が外に出てきやすい雰囲気作りに成功しました。

また、《甲佐町住まいの復興拠点施設》(設計=岡野道子・ビルディングランドスケープ・ライト設計共同企業体、2019)では、入居する多世代間の交流を積極的に促すために、災害公営住宅・子育て支援住宅に囲まれる公園とみんなの家が、交流の拠点となることが意図されています。

撮影:新建築社写真部

さらに、屋外に近いところに居場所を作ることで入居者同士が簡単に立ち寄り交流できるよう、各住戸には土間スペースが設けられています。岡野さんは、「土間が住戸を外に開いている。生活の様子が外に溢れ出て、孤立防止になっている」と住民の生活の様子を説明してくださいました。

[岡野さん] 災害が生む新しいコミュニティの継続可能性

避難所や仮設団地では共同生活が強いられる分、コミュニティが生まれやすい環境です。一方で、孤立化や孤独死がしばしば問題になる、という現状もあります。ただし、これは「被災地だけでなく都市郊外住宅団地などで起こっていることとも問題の根は同じ」だと岡野さんはおっしゃいます。自分が被災して大切な人を失っても自分の居場所がある街をどうしたら作れるか?どうやったら災害で生まれたコミュニティを継続していけるか?という問いの答えを考え実践に落とし込むこと。「ここから日常のまちづくりもよりよくしていくことができるのでは」という岡野さんの問題提起は、災害大国日本において特に示唆的であると感じました。

岩永 薫