子ども建築塾2020年度 第10回「透明ないえ」発表会 後編
後半グループの開始冒頭、「はじめに描いたスケッチと、今の模型の関係に興味がある」と伊東さんは周囲を見渡し語気を強めてそう話しました。
前半でも度々あがったこの話題。改めての宣言に塾生のみならず講師、TAみな気が引き締まる空気がたち込めます。
朝のさわやかな陽光のもと、蓮のつぼみが今まさにほころびはじめんとする一瞬をとらえたような、繊細かつ力強い作品。
初期のスケッチに目をやりながら「こんな単純なスケッチからこのような繊細な模型になり、素晴らしい」と伊東さん。
「うーん、ちょっとなんか感激する。一枚一枚の繊細な開け方が綺麗。美しい」とさらに唸ります。完成模型はもとよりそこにいたるまでの経緯も評価し、冒頭に掲げられたテーマに早くも一つの答えがみつかったようです。「まるで花びらがご飯にかけたカツオ節の揺らめきのよう」とお得意の食べ物の例えで太田さんも賛辞をおくります。
いえのすぐ横には水田が広がり、輝く稲穂のあいだから涼風がいえのなかまで駆けぬける、四季とともに歩むいえ。
「田んぼの稲穂の景色が居間にいながらのぞめるとよい」と視界の広がりについて太田さんはアドバイス。視界がつながることは メインテーマである「透明」の解釈の一つともいえます。 その土着的な視点に「ぼくらが考えつかないようなことを考えているんだろう」と伊東さんは思案。 テーマの解釈は一人一人が半年の長い期間を経て見い出すものです。それぞれの発想をつぶさにみつめていく過程で、発見や驚き がやがて共感にいたる瞬間まで、みな粘りづよく向き合いつづけます。
ストローの構造体で軽やかに組まれたたたずまいはまるで基地のよう。瞬く星に毎夜つつまれるいえ。
「ドッジボールや鉄棒など、好きなことをいれているのが素敵。いつまでも夢を見ているところがいい」とアストリッドさん。 一方「はじめに描いたクラゲのようなスケッチの案にこだわった方が、楽しいいえになったんじゃない?」と投げ掛ける伊東さ ん。前の案では床が斜めのため鉛筆が転がって困る、と変更のいきさつを話す理くんに、「鉛筆が転がったっていいじゃん。ぼく のつくった図書館は床が斜めだよ」と多摩美術大学図書館の例をあげます。そこでは傾斜する床に対応するため、家具の脚の長さ が調整されるなどの工夫がされています。
「逆立ちしてかんがえる」
この年代の子どもたちは知識を得ること、見識を身につけることの大切さをとてもよく知っています。そして、自分なりにかんが てみること、常識にとらわれないことの大切さにも大人たちはこだわります。 講座の当初は、そのベクトルの向きのちがいを知るところからはじまると言っても過言ではないかもしれません。 ほんのすこしの工夫や発想の転換でそれらは近づくことがわかると、ある頃から次第に広がりのあるその先をのぞみはじめます。 (もちろんそれぞれではあります。)
太田さんは授業後のまとめの際、「逆立ちしてかんがえてみよう」とよく話します。 以前、東アジア建築史家の村松伸さん(東京大学元名誉教授)がこの塾で教えられていました。集合写真を撮る際にはきまってお 得意の三点倒立を披露する「逆立ち先生」。子どもたちが答えに窮するようなスパイスの効いたコメントは、その逆立ちの視界か ら生まれていたのかもしれません。
コンコンと絶え間なくあふれ出る湧水がやがて滝となり、光に輝く宝器と化したような水々しい作品。
「イメージと建築」
「水がしたたる」というタイトルを評価したうえで、伊東さんは改まった口調で語りはじめました。
「自然のイメージを考えることがぼくらも多いけど、建築に置きかわっていくときに、水がしたたっていくイメージをそのまま水がしたたっているんじゃないような形で建築にしなきゃいけない。」「水がまわりの環境に溶けていく感じは、建築ではどういうふうにしたらできるか考えてほしい」
高学年だからこそそこにチャレンジしてほしかった、としめくくり、これからそこに向かう子どもたちも含めたメッセージとして印象づけました。
季節や天候でその表情を七変化させる部屋たちは、移りかわる「気分」も映しだす私だけのプライベート空間。
「気分と色をつなげて考えているのがとてもいい」と楽しげな「気分」が早速太田さんにも伝わります。 「コロコロな気分」というタイトルがツボにはまった伊東さん。「一個一個の中は気をつかってデザインされていて『気分』がそ のまま入っている。『気分』が建築にどういうふうに変わっていくのかこれから勉強してほしい」と、先ほどの作品につづき同様のアドバイスを重ねました。
「互いの視点」
塾生の年齢は4~6年生。学年により大きく表現にちがいがみられます。4年生はストレートで具象的な表現力が魅力です。そして 年齢があがるにつれ客観性も芽生え、表現方法に苦戦する姿もみられてきます。高学年ほど見識に埋没しかねないこともしばしば。それぞれの目指すことろはどこなのか。グループ内で互いがよい影響を及ぼすような関係性もポイントとなります。
春はお花見、夏は池の観賞、と一年を通じて肌で自然が感じられる、まさに「自然」のテーマパーク。
興道くんお気に入りの池がのぞめるステージに、太田さんもおもしろい場所だと共感。 当初のメインテーマは力強い「大きな木」でしたが、その後「タワー」に置きかわったことに対し、「『木』のスケッチがいい。 『木』にこだわって欲しかった」と伊東さんは語りかけました。そしておもむろに周囲を見渡し「スケッチの方がみんないい」と切り出しました。「その方が夢がある」と。 アストリッドさんも講評中にいく度か「最後まで夢をなくさないでね!」と笑顔で激励しています。 夢をあたためつづけることの大切さとそれを表現することのむずかしさ。 塾生、TA、講師の三者がどれだけイメージを共有できるか、という延長線上にそれは結ばれるのでしょうか。 大人にとってもそれはいつまでも課題です。
小高い丘のような屋根がメッシュ状に編まれているのは、手足を掛けて山登りができるようにとのこと。少しでも星空に近づきたいという思いが結実した作品。
「外と中がつながって、何が「中」で何が「外」かわからないような透明度がよかった」とアストリッドさん。
「メッシュを編みながら面白い形が生れたのもいい」と試行錯誤の大切さにも触れます。
「それぞれの空間の開き方と周りのつくり方がよくできている」と太田さんは模型に近づき場所性を読み解きます。
伊東さんは「公園の中にいるみたいですごく楽しそう」と話しました。
シンボルの桜の木を中心に、いつも桜とともにあることと周りの風景に溶け込むことにこだわりぬいた作品。
「元気でしっかりつくられた模型」と感動するアストリッドさん。
「画面いっぱいでなく余白があると一つ一つのアイデアが生かされる」と式地さんはアドバイスを送ります。
伊東さんは「公園に住む」というタイトルにとても興味をしめしました。毎朝青山墓地を散歩していると、ある人がその日ごとに場所変えながら新聞を読んだり朝ごはんを食べているのを見かけるというエピソードを話しました。
昨秋みなで訪れた「daita2019」の山田妙子さんのお話しも思い出します。ジャングルに住むゴリラは移動しながら生活し、居心地のよい茂みなどを探してはそこに寝転がったり食事をするとのこと。「daita2019」ではそのような自由さを再現したとのことです。
「公園」は、伊東さんのかんがえる「公共性」の概念に通じそうです。
青柳 ルークくん「ザ・テレポーテーションハウス ー森海炎ー」
青白く冷たい「海」、燃え盛る「炎」、静まりかえった「森」という異なる世界が隣り合わせに共鳴する広大なスケールの作品。
「スケッチも面白く、模型も次第に近づきよかった」とアストリッドさん。
「『炎』と『海』が隣り合う矛盾したような不思議な組み合わせ。だれもみたことがないアイデアが素晴らしい」と太田さん。
「単純だけどやりたいことがはっきり表現できている」とその力強さに伊東さんも感心しました。(発表会最後の総括の際にも、その完成度の高さを改めて評価しました。)
副賞として台湾のオペラハウスの写真と、できたばかりという構造のミニュチュア模型(オペラハウスにて発売予定)が贈られ会 場もどよめきます。また、塾生自らが企画、執筆、発行までおこなう「こども建築新聞」の活動に触れ、その制作に力を発揮する佐藤楓夏さんらに感 謝の意を表しました。楓夏さんはこの春塾を卒業しますが、今後は一般対象である公開講座へ参加予定とのことで、塾内でサー キュレーションが生まれはじめていることの意義を訴えかけます。 最後に伊東さん直筆の「桜」の絵が描かれた缶バッヂと、塾のロゴ入りのペンが全員に手渡され、「それぞれの想像力で豊かになっ た」と拍手のもと閉会となりました。
「絵を描くこと、模型をつくること」
「『絵』の方がよかった」今回幾度となく繰り返された伊東さんのこの問題提起。 今年は開講10年目にあたりますが、スケッチを描くことは3年前から大きくとりあげています。それまでは早い段階から制作にか かりアイデアも手を動かしながら練りましたが、わかりやすい形や作りやすさに甘んじ、アイデアを展開しにくいという側面があ りました。そこで「自由」な発想をあたためるには、と構想をスケッチで行うよう舵を切ります。
今年の初回授業、スケッチに取りかかる塾生を前に「ぼくは絵はうまくない。うまく描こうとしなくていい」と伊東さんは話して います。相手に伝わるものが描けることが大切、だと。 技術や統合といったかんがえは、広く建築デザインにおいて重視されます。 一方、試すこと、見つめ直すことを絶やさず循環させることも、次へつながります。 絵を描き、模型をつくり、統合と挑戦を繰り返し、やがて両脚でゴールテープを切れるよう、カリキュラムはこれからも再編され つづけます。
今年はこのような社会情勢のもと異例の開講となりました。子どもたちは小学校などでも様々な制約を受け、「つくること」もそ の対象の一つだったと思います。塾も同様に人的、時間的な対応を余儀なくされました。そのようななかで改めてともに考えるこ と、ともにつくることの貴重さに気づかされました。
また、カリキュラムはシンプルに立ち返ったことで、より一人一人の個性がストレートに表れました。 「『透明』という意味には『素直』という意味もある」とアストリッドさんはカリキュラムの会議中に印象的なコメントをされま した(構成がそのまま表れる、構成的である、という意味の発言)。みなのえがくイメージが、いつも以上に素直に表現されたと いう点で、「透明」というテーマに通じたと言えるかもしれません。
「むずかしい時代のむずかしい課題」
「むずかしければ難しいほど、乗り越える意味がある」と以前アストリッドさんはキッパリと言われたことがありましたが、半年、 一年を経ると、視界が広がった子どもたちの姿にむしろこちらの背中が押される瞬間は少なくありません。 例年以上に互いにとって意味のある経験だったのではと、感謝の思いととともにまた次へ向かいます。
柴田 淑子