会員公開講座 野田秀樹さん「演劇って何だろう」
5月21日、劇作家・演出家・役者としてご活躍の野田秀樹さんをお招きして、第2回目の公開講座が開催されました。高校時代に演劇の世界に飛び込まれた野田さんは、1976年大学在学中に「劇団夢の遊眠社」を結成し、演劇ブームの火付け役となります。1992年に文化庁芸術家在外研修員制度で渡英されたのち、1993年にNODA・MAPを設立。これまでに、歌舞伎やオペラの脚本・演出、英語劇など、多彩な活動に取り組んで来られました。
今回の講座では、演劇と“偶然”(=accident, encounter, chance)との親和性について、野田さんご自身のキャリアとそれを支えた数々の“偶然”エピソードに沿って、お伺いしました。
役者として見舞われた偶発的事故と「Right Eye」
「さまざまな“偶然”の話の中でも、聴衆の皆さんが特に興味があるのは、役者の“事故”の話なんです」とおっしゃる野田さんは、実に多くの怪我をご経験されて来たそうです。骨折や内臓破裂の話となると、一般的には深刻な雰囲気になりそうですが、野田さんにかかれば喜劇を見ているかのように会場が沸き立つから不思議です。
中でも特に印象深い“事故”は、33歳の時の、網膜中心動脈血栓による右目の失明です。駒沢公園でのエクササイズ中に、突然、右目にカメラのシャッターが降りたような感覚があり、視力を失ってしまいます。その後、10年ほどは世間に公表せずに活動されていたものの、「病気や怪我の話を芝居にしたら面白いかも」というアイデアが生まれたのをきっかけに、このご経験を元にした演目を実現させることになりました。
この作品の実現には、もう一つの“偶然”が関係しています。それは、都内の古書店を覗いていた際にたまたま目に入った、戦場カメラマン一ノ瀬泰造さんの本との出会いです。これが決定打となり、“シャッターが降りたかのように視力が失われた右目の話”と“戦場でのカメラの目”との繋がりをテーマとした演目NODA・MAP番外公演 「Right Eye」(1998年)が生まれました。この題目は、“ライトアイ”=“見えなくなった‘右目’、戦場を撮り続ける’正義の目’”というかけことばになっており、左目を指す“レフトアイ”にも、“野田さんに‘残された’‘左目’”のニュアンスが込められています。
このように、野田さんの役者としての成功の陰には、それを支える“偶然”エピソードがいくつも存在しているのだそうです。
役者の身体性、演劇の一回生
「役者は体をコントロールすることで、“偶然”見つけたいい動きを毎回実現させる」というトピックでは、子ども建築塾のメンバーに協力してもらい、スローモーションで歩く難しさを会場全員で体感しました。動きに何らかの表情や意味合いを持たせるためには、特定の筋肉を意識的に使うなど、身体に対して鋭い意識を向けることが大切です。この意識の向け方について、「登場人物のテンションの高さ7段階」、「着地させる足裏のパーツごとの歩き方5種類」を例に、野田さんご自身がデモンストレーションをしてくださいました。
役者の職能が身体性に深く関わっているからこそ、身体を突き合わせた稽古の場では“偶然の相乗効果”がよく起こります。例えば、八月納涼歌舞伎 「野田版 研辰の討たれ」(2001年)では、稽古中にお囃子さんがふと鳴らしたシンバルのリズムをきっかけとして、歌舞伎特有の演出・暗闘(だんまり)がユーモア溢れたシーンへと発展しました。
加えて、「演劇の面白さは、身体を介したその“一回生”にこそある」と野田さんはおっしゃいます。観客と同空間・同時間を共有するからこそ“アクシデント”に出くわす可能性を常に孕むところに、面白みがあるというわけです。例えば、NODA・MAP第21回公演 「足跡姫~時代錯誤冬幽霊~」(2017年)では、野田さんが舞台上の戸板をうっかり倒してしまったかのような演技をするシーンが挿入されています。毎回事故のように見えるシーンによって緊張感とユーモアが場の空気を満たし、演劇の“一回きりの生”を引き立てています。反対に、1980年代、日本語で上演する海外公演を実施した時には、「自分のセリフ間違いにも観客は気がつかない」という事実に思い至り愕然としたとおっしゃいます。この「演劇の“一回生”にしっかり向き合いたい」という思いが、後の、留学をして英語でお芝居をしたり英語劇を作ったりする活動へと繋がっていくのです。
劇作家を支える偶然の出会いと思いつき
劇作家としての活動では、“偶然の思いつき”が功を奏します。NODA・MAP第18回公演 「MIWA」(2013年)では、野田さんご自身がとある喫茶店で耳にした、他のお客さんの“今朝見かけた普通でない鳥の話”を取り入れました。NODA・MAP第7回公演 「パンドラの鐘」(1999年)は、イギリス滞在時に大英博物館で見かけた“西アジアのボートが王様の棺に見える”という発想をきっかけとして、イギリス史に深く関わる“海賊の国の物語”として構想されました。さらに、同劇中の象徴的な鐘のシーンは、大英博物館で“中国館の鐘”を見た際に、歌舞伎の“京鹿子娘道成寺”や、長崎に投下された原子爆弾“ファットマン”を連想したことに起因しています。
劇作家の連想ゲームと壮大なでっち上げ
“偶然の思いつき”は、演劇の観客との交流を通してもたらされることもあります。当時20代の野田さんが、ファンの方から送られてきた手紙に“指紋”の話題を発見したときのことです。野田さんの頭に、蝶々の羽ばたきによって切られた指の指紋が空に舞い上がり凧になる情景と、個人のアイデンティティを示す指紋が傷ついたことで自分が消失する感覚が浮かび、「小指の思い出」(劇団 夢の遊眠社、1983年)に繋がりました。
「同作が上演された1980年代といえば、“本質と表層”をめぐる思想的対立が激化した時代」と野田さんは解説を加えます。軽々しい創作物ばかりだと表層批判の矢面に立たされた野田さんは、自作を通して、本質主義者たちに一矢報いることにしました。「小指の思い出」では、“本質/真実”の対極にある“妄想”という言葉から連想した、“もうそうするしかない一族”を登場させます。加えて、“こどもに当たり屋をさせる悪い母親の話”という野田さんのイメージに沿った人物“アタリヤ”を旧約聖書の歴代誌下22章に偶然にも発見し、作品の方向性に確信を持ちます。さらに、物語「50音の神話」では、“表層といえば皮膚”、“‘はひふへほ’の文字列に皮膚がある”、というように、50音の並びに対して言葉を連想していくことで、“愛に飢えた人間が、人間の存在にとって本質的な皮膚にたどり着く”という“壮大なでっち上げ話”を実現させました。
演出の工夫で偶然を狙う
演出家としての活動では、意図的に、“偶然”の出会いを期待する仕掛けを施します。「東京キャラバン」(2015年~)では、「いろいろな文化が混じり合うことで、そこに“偶然”の面白い出来事が現れるのではないだろうか」という考えのもと、国内外の多様な場所に、多様なジャンルのアーティストを集める“文化大サーカス”を演出しました。特に、“普段出会わない人々が居合わせる”ことがテーマに据えられた「東京キャラバン2017」(2017年、京都・二条城)では、悠久の時を感じる二条城と、携帯電話の操作音のリズムという異質な物事を掛け合わせることによる“偶然の相乗効果”が期待されました。
演出と素材性
演出家として演劇の“一回生”を際立たせる試みとして、野田さんは、多様な素材を利用した演出を手掛けてこられました。野田さん曰く「役者に常にピリリとした緊張感を与える上で、人間がうまく扱えない素材を利用することは効果的」なのだそうです。例えば、NODA・MAP 番外公演「表に出ろいっ!」(2010年)では、物語の場に3人の登場人物を拘束する物語の核として、鎖を利用しています。一人が動けば他の人物が動きを制限されるという仕掛けで、各シーンの“一回生”が際立っています。“布”を用いたNODA・MAP第1回公演 「キル」(1994年)や、NODA・MAP第25回公演 「Q:A Night At The Kabuki」(2022)では、布に風を当てて煽る際に毎回素材の表情が変わることで、出演役者は毎公演、緊張を強いられます。同様に、暴力的なシーンを文房具を用いて表現する演出がなされたNODA・MAP 番外公演 「THE BEE」(2006年)では、シーンの移り変わりに舞台美術の紙を破るシーンがあります。毎回異なる破れ方をする紙の存在によって、演技に緊張感が与えられています。「このような試みは映画にはできない、演劇にしかできない見せ方」だと、野田さんは演劇の特殊性について説明を加えました。
野田さんは、「好奇心を忘れず、“偶然”の出会いを求めて出掛けてほしい」と会場に語りかけました。本日の講座を通して、常に“偶然”をキャッチするアンテナを張り巡らせているからこそ、野田さんは世界の面白みに敏感に気づき、人や物事とのかけがえのない出会いを大切にして、魅力溢れる作品を生み出しながら生き生きと活動されているのだろうということを実感することができました。
岩永 薫