第二回建築家養成講座
先日神谷町スタジオで第2回目の養成講座が行われました。初回には参加できなかったアメリカ帰りの高木智子さんもおこしになられ、よりいっそうにぎやかになったように思います。今回の講座は、太田浩史さんの講義の後に、塾生達が各自釜石に関して調査してきたことを発表しました。発表では、塾生の有志によって製作された釜石と鵜住居の模型が用いられました。
太田さんの講義はご自身が東京大学で行われている港町調査プロジェクトのことでした。これがとてもおもしろく、ポルトガルのLisbonやPortoなどの海辺の都市形態と、日本の今治等の都市形態とを比較し、そこにどのような相違点があるかを考察されていました。街全体の構成がどうなっているのか、またそこに新しい建築が一つできあがることによってどう変化するのか。その変化を他の都市と比較しながら考察したときに発見できる、都市の普遍的な構図には興味があります。
太田さんの話によるとPortoという街はもともと自動車インフラのための鉄橋だった「ドン・ルイス1世橋」を開放し、それをメトロと歩行者のためのものとしました。「ドン・ルイス1世橋」は1880年代の名作の一つで、鉄が構造体として信頼を得るようになったばかりの頃に設計されました。それ以前にもパクストンがロンドン万博で実現した「クリスタルパレス」や、アンリ・ラブルーストの「パリ国立図書館」等、鉄骨によって実現された作品は既に数多く存在していました。しかし1889年に開催されたパリ万博における「エッフェル塔」、そしてコンタマンによる「機会館」で、鉄の構造体としての可能性はさらなる広がりを見せます。そのような時代背景があったからなのか、この時代に設計された鉄骨構造は、その可能性を証明するかのように威厳ある体裁をしており、「ドン・ルイス1世橋」もその例に洩れません。
そんな美しい橋には、近代文明を象徴する車よりも、人間や列車の動きのほうがしっくりくるように思います。しかし、近代文明が車社会であることからも、それまで自動車インフラの要であった幹線をただ封鎖してしまうわけにもいきません。そこでPortoの街がすごいのは、そのためにわざわざ車の動線として、新たな橋をかけ、迂回するルートを作ったのです。
これはPortoの人々がいかにインフラストラクチャーを重要視しているかを示唆しています。現代都市はインフラによって支配されています。建築もその仕組みに組み込まれ、その中でのみ簡潔しながら生成されます。それほどまでにインフラがもつ拘束力は強い。日本の都市が街を開発しようと考えるとき、そこにインフラを変化させるという発想はありません。インフラによって区切られた街区の中をどうするかということばかりが考慮されます。それはインフラが不動なものだと信じ込んでしまっているからかもしれません。
講義の中で塾生の行武さんが、被災地復興に関して興味深い提案をされていました。それは津波がきたときに家そのものが浮くという提案で、水に浮くことによって移動できるというものです。実際、多くの戸建住宅が基礎から切り離されそのまま浮いている光景を目にしましたし、その屋根によじ上って助かった人たちもいるということを考えると、住宅が浮くという発想に新規性があるかどうかはわかりませんが、少なくともそれはインフラを考える一つのきっかけにはなるような気がします。というのもインフラとは都市における幹枝、住宅は葉という考え方に当てはめることができ、葉は枝から枯れ落ちたときその生命を失います。つまり現代の多くの住宅はインフラ抜きには自立できません。
ところが、バックミンスター・フラーが提唱した「ダイマクシオン・ハウス」のようにインフラフリーの建築は提案されてはいたのです。しかし[近代化=インフラの充実]という発想はいつの時代も変わらず、国土全体がインフラの波に飲み込まれて行きます。インフラの重要性は強く実感しますが、それに強く縛られている状況は果たして好ましいものでしょうか。インフラを否定するというよりは、どうやって現行のインフラをよりよいものに変えて行けるか、それを模索することは、建築を考えることと同義な気がします。