会員公開講座 有働由美子さん「テレビって何だろう」

2023年11月10日

6月3日、フリーアナウンサーとしてご活躍の有働由美子さんをお招きして、第2回目の公開講座が開催されました。有働さんは、NHKで27年間アナウンサーとしてご活躍され、「おはよう日本」「サンデースポーツ」「ニュース10」「あさイチ」等のキャスター、紅白歌合戦の司会、五輪パラ現地キャスター、アメリカNYの特派員など多様なお仕事を経験されてきました。フリーへの転身後は、アナウンサーとしてだけでなく、文藝春秋での対談連載、ラジオパーソナリティとしての活動、東京大学大学院CIDIRでの研究など、さらに活躍の幅を広げておられます。

今回の講座では、これまでのお仕事の内容や経験、それを通して見えてきた「テレビ」の役割について、お話を伺いました。

取材の基礎を叩き込まれたNHK新人時代
小学4年生の頃から新聞記者志望だった有働さんが、大学時代のマスメディア専攻を経て、NHKに入社したのは1991年のこと。“自分の言葉で話せる”アナウンサー育成をNHKが目指していた当時、新人記者と同じ研修を受けた有働さんは、実家のある大阪放送局に配属されました。

配属と同時に有働さんが取り組んだのは、放送企画の提案と取材です。毎日、新聞を読み、とにかく面白いニュース、NHKとして注目すべきニュースをかき集めます。何度も不採用を繰り返す中、ようやく通った企画案は、誰もが簡単に馬主になれたというバブル期ならではの時事「馬の養老院ができた」というものでした。その取材では、5W1Hの質問に対する取材相手の返答の裏に、どのような事情があるのか、というところまで綿密に調べるという、取材のイロハを学びました。そして、大阪での人脈が広がり、報道リポーターとして頑張っていこう!と力がみなぎってきた矢先に、東京への転勤が決まります。

「おはよう日本」キャスターへの抜擢と、阪神淡路大震災取材の経験
東京放送局への転勤で、有働さんは、NHKの朝ニュース番組「おはよう日本」のキャスターに大抜擢されます。“朝のニュースといえばNHK”という状況が、民放番組の台頭で脅かされている状況を打開する、という社の期待を背負った人事異動でした。

「『おはよう日本』を担当している間に、世間の注目を浴びたたくさんの事件がありました」と語る有働さんにとって、一番印象的だったのは、故郷で起きた阪神淡路大震災です。番組編集責任者に直談判して現地入りした有働さんは、テレビ越しに見るのとは違う地震被害の生々しさを目の当たりにします。「絶対に泣かない」と決めていた有働さんですが、棺が並べられた体育館で一人で菓子パンを食べるおじいさんの姿を見て、涙腺が崩壊してしまったのだそうです。また、この取材経験からは、発信すべき内容と、“見たことのないものを見たい”という視聴者心理とのギャップ(現地の方が常に困っていたのは、トイレと生理用品。これを繰り返し伝えたいけれど、視聴者は新しい情報が欲しいと思っている…)や、テレビ越しには一部の情報しか伝えられないというジレンマにぶつかったとのこと。この時の経験をもとに、現在は大学院で、防災情報の伝え方についてご研究されているのだそうです。

NHKキャスターとしての様々な仕事
有働さんは、NHK勤務時代には、様々な番組で、キャスターとしての多様な役割を担ってこられました。5年間担当した「サンデースポーツ」では、オリンピックへ7回取材に行きました。特に、女性アスリートが持つライフストーリーに取材の焦点を絞ることが多かったのだそうです。お昼のインタビュー番組「スタジオパークからこんにちは」では、生放送でフリートークをする難しさを体感しました。同様に、情報番組「あさイチ」でも、生放送の場で気取らない正直な姿を見せることが至難の業であることを痛感されたそうです。番組で取り上げるチャレンジングなテーマの数々やご自身の失言によって炎上してしまったことも度々あったとか。それでも、同世代の女性たちからの「話しづらいテーマだからこそ正しい情報を待っていた」という反響に後押しされつつ、生放送の楽しさを再認識しました。

アナウンサーというと、画面に映る仕事が目につきがちですが、有働さんはナレーションの仕事もなさってきました。大河ドラマ「真田丸」では、脚本家の三谷幸喜さんの意向を反映しつつ、シリーズの最初と最後ではナレーションの雰囲気を大きく変えたという裏話をご披露くださいました。

アメリカNYの特派員へ
そんなNHK勤務時代に特に苦労をした経験として有働さんが挙げたのは、ニューヨーク特派員の仕事です。「ハゲが二つもできました」というエピソードからも、その壮絶さが窺えます。「慣れた環境で、日本語で取材をしても、本当のことを聞き出すのに一苦労するのに、ましてや英語で取材をして日本語の記事にするというのは本当に大変だった」と有働さんはおっしゃいます。さらに、現地でバディを組んだアシスタント職員のサボり癖と早口英語が、苦労に拍車をかけます。こっそり仕込んだボイスレコーダーを夜な夜な何度も聞き返したり、取材先で居合わせた現地メディアの記者に会見の要点を聞き出したりといった工夫で、なんとか乗り切っていたそうです。

特派員時代の思い出深いエピソードとして、“ハドソン川の奇跡”を取材した経験をお話くださいました。“ハドソン川に飛行機が不時着したらしい”との一報が入った時、有働さんは“オバマ大統領就任で注目を浴びていたアフリカ料理レストラン”の取材中だったのだそう。取材先から一番乗りで現地入りし、中継が始まります。ところが、冬のハドソン川は流れが早く、不時着した飛行機はとっくに視界から消えている状態。現地からの最新情報を求める東京スタジオに対して、「何も見えません、わかりません」との返答を数回繰り返すしかありませんでした。「アシスタント職員からも、何も情報があがってこないな…」と不審に思っていた有働さんが中継所で目撃したのは、暖房が効いた暖かい部屋でコーヒーをすするアシスタントの姿でした。それを見た瞬間、怒りの英語が次から次に口から溢れ出たのだとか。それが、英語がわかるようになり、現地での仕事が楽しくなり始めたきっかけだったのだそうです。

英語が話せるようになった経緯として、もう一つ有働さんが挙げたのは、「現地では誰も有働由美子を知らなかった」ということです。取材に行くたびに、日本のこと、NHKのこと、ご自身の役割について一から説明し、取材のための様々な手続きもご自身でこなす必要がありました。有働さんの英語力の背景には、このような並々ならぬ苦労と努力があったのです。「英語は流暢になりましたが、結局、タドタドしい英語で頑張っている姿を見せる方が交渉がうまくいくことがわかった」とのことで、最終的には、あえて流暢な英語は封印していた、という裏話付きでした。

フリー転身とウクライナ取材から見えてきたこと
「もっと違う制作者にも会いたい」「もっとテレビを突き詰めたい」という思いから、有働さんは2018年にNHKを退職し、フリーアナウンサーとなります。最近の有働さんの関心ごとは、今の時代特有の、テレビがニュースを扱う難しさについて。「皆さんは、スマホでご自身用にカスタマイズされたニュースをご覧になっているし、下手すると我々よりも最新の情報を手にしている。視聴者の方が、現場に近いという時代にもなってきた」と、その真意を説明します。このテーマについて、有働さんなりの答えが見えてきたのは、ロシアの侵攻後、2022年8月にウクライナへ取材に行った時のことでした。

渡航制限はかかっていたものの、「現場にできるだけ近い情報を日本に伝える」という使命を持ち、外務省と大使館の全面バックアップを得てキーウやブチャで取材されたのだそう。特に印象的だったのは、戦時下にあるキーウで、人々が日常生活を継続していたこと。なるべく誠実にキーウの様子を伝えたいという思いから、日常生活を送る市民の方々の様子を日本へ届けました。しかしながら、視聴者から寄せられたのは、「そんなはずはない」という苦情のコメントでした。「テレビの役割は『これか』と思いました。今の時代、皆自分が見たいニュースしか見ない。ネットニュースで切り取れないリアルさ、平常時とは違う“兆し”を届けて、オーディエンスがその“兆し”に気付けるようにすることこそが、テレビの責任」だと、有働さんは気がついたのだそうです。

今回の講座では、有働さんが携わった番組で実際にお使いになった様々な台本をお持ちいただき、会場の皆さんと拝見する機会に恵まれました。加えて、番組制作の裏話や、NHKアナウンサーの読み方の工夫など、普段は触れることのできない情報てんこ盛りでした。テレビ離れが叫ばれて久しい昨今ですが、ネットとは性質を異とするテレビの魅力を知ることができ、「テレビニュース、つけてみようかな」と、自然に思えたひとときとなりました。

岩永 薫