会員公開講座 藤森照信「縄文のこころと建築」

2014年08月21日

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7月12日、代々木八幡区民会館にて、今年度2回目の会員公開講座「縄文のこころと建築」が行われました。今回、講師としてお招きしたのは、建築家・建築史家の藤森照信さん。藤森さんが建築史家としてこれまで見てきた建築と、建築家として設計してきた作品を取り上げながら、ご自身のルーツである「縄文のこころ」についてお話しいただきました。

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藤森さんが建築家として初めて設計したのは、茅野市の『神長官守矢史料館』でした。江戸時代まで諏訪大社の神長官を務めていた守屋家の敷地内に建てられたこの資料館は、当初、藤森さんに設計者としてふさわしい人を紹介してほしい、という依頼から話が始まったそうです。しかし適切と思われる設計者が見つからなかったため、それならば自分で設計しようということになりました。設計当初、資料館を民家風につくることも考えましたが、民家というのは江戸以降にようやく立派な「建築」として現れるもので、それ以前はあばら家でしかありませんでした。長い歴史を持つ諏訪大社の資料館としては、民家では適切でないと考えた藤森さんは、思いきってファサードは自然素材を使いながらも、構造はRC造として現代技術を取り入れることにしました。これは資料館として建てる以上、防火などの諸条件を満たす必要があったことも理由のひとつです。

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こうして建築家として活動を始めた藤森さんには、二つのルールがあります。まず、みんなが知っているものと絶対似てはならないということ。次に、構造は現代技術を使いながら、ファサードは自然素材とすること。また、これらのルールの他に、伊豆大島に設計した酒蔵『ツバキの城』をとりあげ、「素人がつくったようなものをプロ的につくりたい」ともおっしゃっていました。この建築は「最大限の緑化」を施しており、これ以上の緑化は素人がつくったものになってしまうそうです。

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次に藤森さんが紹介したのは、サハラ砂漠に位置するジェンネの大モスクと旧市街です。この建築の最大の特徴は、何と言っても全体が泥で構成されていることです。通常の建築と全く違う印象を、藤森さんは「目地」というキーワードで解き明かします。通常の建築、つまり人工物は素材と素材の継ぎ目に目地を持ちます。一方、動植物などの生物はもとをたどれば一つの細胞が分裂してできたものなので、目地をほとんど持ちません。つまり目地があると無生物的に、目地がないと生物的に見えるということです。一方、この大モスクは一面が泥で覆われているため、目地が全くありません。そのために、人工物でありながら生物的な印象を受けるのです。これと似た例として、伊東塾長が設計した「台中オペラハウス」を挙げられました。こちらも無地の建築であり、生物的な印象を受けます。

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こうした経験をもとに藤森さんが設計したのが『Roof House』です。ここで土の中の空間というものを実現させたのですが、全体を土で塗った空間はうっとうしくないだろうかと、最初は不安だったそうです。しかし、後日住人に話をうかがうと、特に印象に残っていないという答えが返ってきました。土という素材は、人に印象を与えない、訴えかけない素材のようです。

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次に取り上げたのは、焼杉という材料についてです。藤森さんは2007年に長野県に『焼杉ハウス』を設計しています。焼杉は、木材というよりはむしろ炭に近い印象をうけ、藤森さんはこの材料に興味を持っていたようです。しかしながら、焼杉というのは特に関西では使われないものでした。何故ならば、焼杉は民家で使うような格下の材料だったためです。しかし、大きな材料を厚く焼くことで、それまでの安っぽい印象を取り払いました。また、この建築では洞窟のような空間をつくることも目指しました。一面のみの開口は大きくとり、それ以外の壁、床、天井を同じ材料で包むことで、洞窟的な場所を実現させました。

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茅葺は日本の伝統的な屋根葺の手法でありながら、日本では規制も厳しいために、現代において茅葺を実現するのには困難が伴います。しかし海外に目を向けてみると、オランダのあるグループでは茅葺を使用していることがわかりました。彼らは垂直の茅葺など、新しい利用法も試していました。日本では難しくとも、海外では可能性があるということで、藤森さんが茅葺を使用して設計したのがオーストリア、ライディングに位置する『鸛庵』です。これはライディングで10人の日本人建築家によって進められてきた『Raiding Project』の最初の建築物です。屋根の上方にはコウノトリの巣が設けられています。屋根は茅葺ですが、厚みが少なく、シャープな印象を受けます。内部は炭で描かれた模様が印象的です。

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後半の伊東塾長との対談の中では、藤森さんのいう「どこにもない」とは、どうすれば実現可能なのか、という問題があがりました。藤森さんは、自身が影響を受けるのは縄文以前かモダニズムであり、どちらも「普遍性」があると指摘します。モダニズム期にはインターナショナルスタイルという言葉が使われましたが、縄文期の建築も地域性を感じさせない、もう一つのインターナショナルスタイルとしてみることができる。逆に、竹・障子・畳はすぐに「日本らしさ」を意識してしまい、そこで思考停止してしまうために使わないようにしているそうです。「どこにもない」というとオリジナリティの追及と思えますが、藤森さんはむしろ、その奥にある普遍性を目指しているのではないでしょうか。

次に、素人問題があがりました。藤森さんの言葉のなかに「素人のようなものをプロ的に」とありましたが、素人とプロの境目はどこにあるのでしょうか。建築家はトレーニングを重ねているので「くさみ」を消すことができる。しかし素人はそのトレーニングをしていないので建築には「くさみ」が出てきます。しかし素人の建築にもくさみのないものは存在します。藤森さんが例としてあげたのは『シュヴァルの理想宮』です。ある日、シュバルが奇妙な石を見つけたことをきっかけとして、奇妙な石を見つけては積み上げるという日課が始まりました。その集大成がシュバルの理想郷です。この建築には自己顕示がないと藤森さんは指摘します。良いものを意図的につくろうとするのではなく、やむにやまれずつくっているものは「くさみ」をまとわないようです。

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最後に、藤森さんは歴史の知識は設計には役立たないと断言しながらも、建築の見方を鍛えることはできるとおっしゃいました。建築をみるとき、常に言語化、文章化することを心がけているそうです。それも詩的表現ではなく、客観的、論理的に分析する。言語化することができればその建築には「勝った」ことになる。このような経験を重ねることは設計の上でも大切です。藤森さんは学生に、建築を見るときは必ずスケッチでなく言葉で印象を説明しろと言うそうです。スケッチでは、そのときの感動、印象までは再現できません。

建築史家と建築家というふたつの立場からのお話が混ざり合うことで、藤森さんの建築に対する考えが垣間見えた講義でした。お忙しい中、講座にお越しいただいた藤森さん、ならびにご清聴くださった参加者の皆様に心より御礼申し上げます。

川副祐太