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前回のレポートに引き続き、伊東建築塾 講座B 夏期合宿(3日目)7月30日のレポートをお届けします。

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7月13日に行った講座B、第6回目の講義のテーマは「大震災から未来のまちを考える」です。

伊東塾長が復興計画に携わっている釜石から旅館「宝来館」女将の岩崎昭子さんと、
釜石市近郊にある吉里吉里でApeというcafé&barを営むミュージシャンの大砂賀宣成さんと奥様の里亜さん、3名の講師をお招きし、震災から1年4カ月を経た被災地の現状をお話しいただきました。

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先日行われた講座B 第4回・第5回「建築はどのようにつくられるか|座・高円寺」のレポートを
塾生の牧野恵子さんからお送りいただきましたので、下記にご紹介させていただきます。

この「座・高円寺」の講座を通して感じたこと、学んだことをご報告いたします。

  • コンセプトの実現
  • 技術の活かし方
  • まちとのつながり

 

コンセプトの実現

「芝居小屋」をつくる、その思いがそのまま建築になっていると感じました。
説明が無くても、ここがそうした思いをもってつくられているということが直感的に伝わるのではないでしょうか。 
“ 小屋 ” や “ テント ”が持つ視覚的なイメージだけでなく、仮設的であることや、庶民的な親しみ、そして秘めやかさといったコンセプトが言葉を介在せずに実感できます。

それを可能にするためには沢山の仕掛けというか工夫があって、それを考えるのが建築家の仕事なんだと改めて確認することができました。

コンセプトの実現のために必要で大切なことが何なのか、たとえそれが一般的な建築計画でなかったとしても、
その見極めとそれを信じてやり遂げる力がこのような建築を実現させるのだと思います。

 

技術の活かし方

技術というのはこのように活かされるべきものだということを教わりました。
ホールを上下に配置するというのは、一般的にはご法度とのことです。
しかし、そこを不可能と捉えずに新しい可能性を追求していくことが大切で、その際に技術が最大限の力を発揮してそれを実現していく。
建築を構想するとき既成の考えにとらわれ過ぎず、技術の力を信頼して様々な可能性の中から考えていかなければいけないことと、
またそうした新しい試みに際しては、丁寧な検証や検討が不可欠であることも学びました。

 

先日、まつもと市民芸術館で「立川志の輔独演会」を観賞しました。
そのとき、志の輔さんがこのホールの音響についてお話をされました。
落語向けの会場でないことはご本人も充分承知されており、したがって音響のチェックを入念にされるのだそうです。

ところが、向いていないどころか本当にちょうど良い響き方をするのでとても話しやすいのだとおっしゃっていました。
さすが伊東先生だと大きく頷いていました。

 

まちとのつながり

そのまつもと市民芸術館は、レストランは私自身一度しかいったことがないですし、伊東先生のおっしゃるとおり決して評判の良いものとはいえません。
また、市民にとっての身近さもこの座・高円寺ほどの親しみがないようにも思います。
せっかくこんな素晴らしいホールですから、もっともっと良い使われ方をしていくはずです。
これから、何か積極的にかかわっていけることがないか探ってみたいと思います。

座・高円寺では、館長の桑谷さんのお話ぶりからも本当にこの劇場を愛しておられるのだなあと感じました。
ご夫婦の特別な日のディナーに、カフェ「アンリ・ファーブル」が利用されているなど、地元の方々にとっても身近で大切な場所になっているとのことです。
広場のように街とつながっていくというコンセプトがやはり実現されていました。

 

2回の講座を通して伊東先生の建築ができる過程を教えていただき、それまでは自分の仕事と何から何までまったく違う方法で
つくられているのではないかと考えていましたが、共通する部分も見出せて少し安心しました。「ああ同じ人間なんだ、良かった」というような。
ただし決定的に違うことも実感し、田舎で建築雑誌を見ながら、表面的な意匠性だけを取り扱っているような状況を何とか変えなければならないと実感いたしました。

 

7月2日は、講座B 第5回目「建築はどのようにつくられるか|座・高円寺」の後編で、
「座・高円寺」の現地見学に行ってまいりました。

前回の講座では、伊東豊雄建築設計事務所のチーフ・東建男さんから詳しい解説がありましたが、
今日は、実際の建築を見ることができる貴重な機会です。


© Manami Takahashi

午後7時、見学会が始まりました。ロビーに集合後、まずは1階にある「ホール1」を見学します。
こちらはブラックボックスと呼ばれるプロ対応の形式となっており、舞台と客席の位置や形、
大きさを自由に組み合わせて、作品の内容に応じた空間をつくることができます。
ただ、舞台を解体してすべて平土間にするには、10人がかりで半日かかるそうですが、
「スタッフが力を合わせてつくるのが楽しい」と、「座・高円寺」館長の桑谷哲男さんがご説明くださいました。


© Manami Takahashi 

普段は上がることができないすのこの上も、特別に見学させていただきました。隙間からは下が見えています。

 
© Manami Takahashi

続いて、2階のカフェ・アンリファーブルへ。
昆虫学者の名前にちなんだこのカフェは、子どもたちにも遊びに来てほしい、という願いをこめて名づけられたそうです。


© Manami Takahashi

今日は休館日だったため、私たちの他にお客さんはいませんでしたが、ふだんは子連れの若いお母さんがランチやお茶をしに来たり、
近くの会社で働く方、劇場を使う役者さんたちが打合せやお食事に利用したり、地元に住むご夫婦が記念日にコースディナーを食べに来たり、
毎週日曜日には子ども向けの絵本の読み聞かせがあったりと、平日休日問わず、昼から夜まで、さまざまな方でにぎわっているそうです。

また、1階ロビーの階段から仕切りのない空間となっており、オーダーしなくても座れる席もあるので、
人の出入りも自由で、とても開放的な雰囲気だそうです。
今度は営業している日に、ぜひ訪れてみたいものです。

そして、カフェの奥にある階段で一気に地下まで下がり、「ホール2」を見学します。
こちらのホールはエンドステージ型と呼ばれ、舞台と客席は固定して使われる形式のホールです。
ふだんは貸ホールとして、主にアマチュアの方にご利用いただいているそうです。

 
© Manami Takahashi

続いてやってきたのは「阿波おどりホール」というユニークな名称のホール。
名前の通り、阿波おどりの練習や普及事業に優先的に使用するホールですが、阿波おどりの予約が入っていない時には、一般貸し出しも行っているそうです。
奥行きのあるこの空間は、ダンスやパフォーマンス、体操の練習や発表会などにも対応でき、開放的な気分が味わえるシンプルなスペースとなっています。


© Manami Takahashi

地下2階を見学した後は、地下3階までおりて、稽古場や作業室の見学をさせていただき、見学の行程は終了。

最後に、桑谷館長から、館の使われ方などのお話と、参加者からの質疑応答がありました。

 
© Manami Takahashi

桑谷館長からは「欠点のない劇場はない。ここは公演中にもロビーや街の音が聞こえたり、お客さんの足音が響いたりするけれど、
それらを欠点とみなすのではなく、お客さん、キャスト、スタッフが一体となって時間を共有できる。そんなふうにポジティブに捉えたい。
訪れた人とのコミュニケーションを楽しみながら、オープンなスペースとして、大勢の人に使ってもらいたい」と、お話くださいました。
そして、「今度は、演劇や公演を観に、ぜひ再びいらして下さい。」とあたたかい笑顔で締めくくりのお言葉をいただき、本日の見学会は無事に終了となりました。

見学に際して、ご案内いただいた桑谷館長をはじめ、お世話になった座・高円寺スタッフの皆様、本当にありがとうございました。

 

 

講座B第4回目と第5回目の講義は、伊東豊雄建築設計事務所が設計した公共劇場「座・高円寺」を取り上げます。

まずは神谷町スタジオにて、建築の設計や施工、運営に関する講義を行ったあと、実際に現地にて見学会を行います。
 
6月29日に実施した第4回目はその前半部分、「座・高円寺」を担当した
伊東豊雄建築設計事務所のチーフを務める東建男さんによる講義が行なわれました。

 

コンペから実施設計、施工、そして竣工後の運営に関して、メディアでは知ることのできない現場での裏話を含めて、詳細にお話くださいました。

敷地は、杉並区・高円寺の東の端に位置し、南北方向の環状7号線と東西方向の中央線とがちょうど交差する附近にあたります。
そのため、車の交通量は非常に多いのですが、高円寺の駅からは離れているので人通りは少なく、敷地としてはあまり恵まれた環境とは言えません。
もともと、この場所には旧公民館が建っていたのですが、老朽化のため建て替えられることになりました。
その際、新たな施設には、旧公民館を引き継いだ公共劇場だけでなく、演劇専用のホール、さらに地域の名物である阿波踊りの練習場などの機能も盛り込むことになり、
2005年にその設計者を選ぶための設計競技が開催されました。
 
伊東豊雄建築設計事務所はこの設計競技に参加し、「芝居小屋をつくる!」をテーマに、
①庶民的な親しみやすさ、②仮設的な軽さ、③秘めやかさ、④フレキシビリティ、の4つに重点をおいた提案を行いました。

具体的には、公共建築によく見受けられる町にむやみに開くのではなく、あえて閉じることにより秘めやかさを演出し、
それでいて1階部分の平面をフラットにして、そのまま外部に出てゆくことのできる、まるで展示場のような劇場を設計しました。
そして、7割以上の面積は地階におくことで、熱負荷の少ない地下空間を有効利用するとともに、地上のボリュームを極力小さくし、
まるで仮設の小屋のようなキューブ状の建築を提案しました。

そして、この案が見事コンペを勝ち抜き、事務所は基本設計、実施設計に取り組むこととなりました。

コンペの仕掛け人である演出家・佐藤信さんの後押ししもあり、「街と連動する劇場」をテーマとして、
1階の平面をよりフラットにし、街の中の広場がそのまま室内化したような、「空地」のような劇場を目指すことにしました。

まずは、屋根の形状が問題となりました。
コンペ案ではフラットな形状をしていましたが、佐藤信さんから1階のホールの天井高をより高くしたいというアドバイスと、
住民説明会の際に、住民の方から「鉄の箱はいやだ」という意見が出たために、実施設計ではより親しみやすさを重視して、
屋根型を取り入れることになりました。日影規制、内部の天井高、構造の3点を考慮しながらスタディを重ね、
最終的にはキューブに楕円錐や円柱を重ね併せて削り取ることにより、7つの一次曲面を持つ屋根形状が生まれました。
一次曲面は一枚の鉄板を曲げて作ることができるので、施工性にも意識しています。

そして、ホールA(座・高円寺1)、つまり1階に設ける演劇専用のホールは正方形の平面とし、方向性のないものとしました。
天井高は9m確保して充分な設備を収納し、さらに床も90cm下げることできるといったように、様々な演出に対応できるよう、仮設性の高い設計としました。

一方、区民ホールとして使用するホールB(座・高円寺1)は地階に設け、定形型のエンドステージを持つワンボックス型にして、使いやすさを重視しました。

また、2階にはカフェとオフィスが入りますが、劇場など市民が使うスペースと一体感を持たせるため、1階のホワイエからひと繋がりの空間となるよう設計しました。

このように、「座・高円寺」は狭い敷地面積の中に劇場をはじめとする諸機能がコンパクトに集約されているのですが、
その際、重要になってくるのが遮音・防音といった音響技術です。
とくに、ホールAとホールBが上下階で隣り合っているため、ホールBは駆体と切り離して
ホール同士の音が伝搬しないようにするなど、永田音響設計に協力していただき、万全の対策を施しました。
 
では、実際の設計はどのように行われたのでしょうか。設計期間は1年強でしたが、色々と変更がありました。

まずは、外壁です。計画の初期段階では、MIKIMOTO GINZA2と同様に、
2枚のスチールプレートの間にコンクリートを充填するハイブリッド構造を採用する予定でしたが、
予算や、性能上の問題などから、結局スチールプレートは屋外側一枚のみとなりました。
しかしながら、外壁、屋根とも建物の表面は全て鉄板となり、「鉄の小屋」というイメージは実現しました。

工事期間は2年強でしたが、ゼネコンの努力もあり、無事に進行しました。
 
ホワイエの階段は、現場で回転方向が逆さに変更したり、傾斜を微調整したりと、苦心したそうです。
 

その他、ホワイエには東海林弘靖さんが設計したプロジェクターライトを応用した照明器具を設置し、藤江和子さんが設計した移動できる家具が置かれました。

 

こうして、2009年に「座・高円寺」は竣工しましたが、建築のみならず、その運営においても、
「指定管理者制度」をうまく利用して、これまでにない新しい形式を採用しました。
指定管理者制度とは、従来地方公共団体が行っていた公共施設の運営を、企業やNPO法人に代行させる制度であり、
「座・高円寺」のケースでは、杉並区の住民が多い日本劇作家協会が結成した「NPO法人劇場創造ネットワーク(CTN)」が
劇場を含め、カフェやアートスクールを運営し、アーカイブ作業も行っています。
また、「NPO法人東京高円寺阿波踊り振興協会」や「座・高円寺協議会」といった地元団体も運営に参加し、
町を巻き込んだイベントを企画しています。
さらに、地元企業の協賛によりチケットの価格をおさえたり、子供を呼ぶイベントを催して次世代の観客・演劇人を育てる活動もさかんです。

このように、「座・高円寺」は演劇、そして地元を愛する人々によって運営され、
新しい演劇の創造の場であると同時に、地元に密着した公共建築となりました。
 
レクチャーの後には、塾生からの質疑応答を行い、伊東塾長も様々な質問に答えてくださいました。

 

 

今回の講義では、実際に担当スタッフとしてコンペから設計、施工まで現場で関わった東さんのお話を通じて、
設計や施工作業は試行錯誤の連続であり、ひとつの建築ができあがるまでには様々な物語があることがよく分かりました。

そして、次回はいよいよ現地での見学会です。二つのホールやカフェなどをはじめ、
普段は訪れることのできない場所にも入れていただけるとのことで、今から非常に楽しみです。
 
 

 

講座B 第3回目の講義のテーマは、「都市の再生、東北の復興」です。

講師に仙台市長・奥山恵美子さんをお招きし、3.11以降進められてきた仙台市の復興についてお話を伺いました。

奥山市長はせんだいメディアテークの初代館長でもあり、当塾の伊東塾長と縁のある方です。
平成21年の市長就任以降、政令指定都市初の女性市長として、その政治手腕を発揮されてきました。

復興を中心となって進めている奥山市長のお話を伺う非常に貴重な機会ということで、会場には塾生だけでなく、
被災地で活動をなさっている妹島和世さんや西沢立衛さん、北山恒さん、小嶋一浩さん、赤松佳珠子さん、平田晃久さんら建築家の方々を始め、
写真家の畠山直哉さんなど大勢の方々がおいでになりました。

まずは、東日本大震災の被害に関して。仙台市では、震災の直接的な被害により797名の方が亡くなりました。
関連死も含めると死亡者数は1000人に達すると言われ、第二次世界大戦の仙台空襲に次ぐ大惨事となりました。
人的被害のみならず、仙台平野に津波が押し寄せたため、浸水被害も広範囲に及びました。
そして道路や鉄道、水道、電気といったインフラ設備が断たれ、都市機能は完全に麻痺しました。
スーパーは3、4時間並ばなければ店に入ることすら出来ず、中に入っても目当ての商品が手に入らないことも多々ありました。
また、全国各地から給水支援隊が駆けつけましたが、それでも市民1万人に対して給水車1台という状況で、水を求めて長蛇の列ができました。
こうした被災状況をいかにリアリティをもって想像できるか。
便利な生活に慣れきってしまっている私たちが、今後災害に備えてゆく上で常に心に留めておかねばならない課題です。

次に、被災後の住まいの問題についてお話がありました。震災直後、仙台市では全人口の約1割にあたる、
10万人もの人々がぼ避難所生活を余儀なくされました。その際予想外だったのが、仙台市民ではない人々の多さです。
仕事や旅行で来た人、見舞いに訪れた人・・・。普段から付き合いのない、全くの他人同士が極限状態をともにすることとなり、
避難所では様々な問題が生じました。そして、市が最も苦労したのが避難所の閉鎖です。インフラがひと通り復旧したら即閉鎖、という訳にはいきません。
避難所の環境は劣悪だと言われていますが、独りで生活することに不安を抱えるお年寄りなど、帰宅を望まない人々は意外と多いのです。
市役所ではそうした人々の一人一人に事情を聞き、帰宅の手助けをしました。こうして震災発生から4ヶ月半を経て、7月31日ようやく避難所の全閉鎖が完了しました。

その後は応急仮設住宅へと移り、最終的な住まいの確保へと進みますが、そこで大きな課題となるのが集団移転の問題です。
防災集団移転促進事業により、仙台市では約1,700世帯が移転されることとなりました。戦後日本でこれほど大規模な集団移転の事例はなく、
事業の遂行は困難を極めることが予測されます。被災住民の意向を充分に把握し、国や県とも協議してゆく必要があります。

そして、今後の復興計画に関して。例えば、環境の良い敷地に仮設住宅を建ててしまうと、
後に災害復興公営住宅の建設用地に充てられなくなってしまうといったように、復興計画では長期的な視野を持つことが重要です。
そのため、仙台市では震災から1ヶ月も経たない初期の段階で基本方針を立て、説明会や意見交換会を通して市民の意見を取り入れながら、
復興計画を組み立ててきました。先ほどお話のあった住宅確保から地盤工事、産業復興まで、取り組むべき課題は山積みであり、
その全てにおいて完璧な対応をすることはほぼ不可能です。
数十年後、最終的に皆が良かったと納得できるような復興を目指したい、と奥山市長は胸の内を語られました。

 

重たいテーマの話が続きましたが、講演の最後には、震災復興の中で発揮されている仙台の「受援力」が話題となりました。
日本全国から様々な支援の申出があった際に、それを受け入れる体制が整っていることは非常に重要です。
伊東塾長が被災地で最初に取り組んだ宮城野地区の「みんなの家」も、受援力がある仙台だからこそ実現したプロジェクトです。
そういった周囲の協力に支えられながら、震災を経て、仙台はより力強く進化しています。
奥山市長は「今後の仙台市の復興まちづくりにご期待ください」と力強くおっしゃって、講演会は終了となりました。

今回の講演会を通して、被災地の復興はきれいごとばかりではなく、様々な矛盾や葛藤を抱えながら進められていることを知りました。
とくに印象的だったのは、復興を進める上で日本の法律には限界があるというご指摘です。
現行の規定では全国一律な支援が重視されるため、各地域の気候や風土に応じた応急仮設住宅を建設することはできません。
東日本大震災の教訓を生かし、国や県の根本的な思想を変えてゆく必要があると感じました。

 

5/13(日)は講座Bの第2回目の授業「江戸から昭和にかけての東京を知る」が江戸東京たてもの園にて行われました。

江戸東京たてもの園は、現地保存が難しくなった江戸・東京の建物が移築し、一般公開している施設で、小金井公園の中にあります。
講師は、園の創設に携わり、移築される建物の選定にも関わってきた、藤森照信先生です。今回の見学会では、「日本の建築家が、どのようにして西洋でうまれたモダニズム建築に日本の伝統建築を取り込んできたのか」が見所となりました。

最初に見学したのは、前川國男邸です。

前川國男(1905〜1986)は、ル・コルビュジェやアントニン・レーモンドに学び、戦後日本の建築界を牽引した建築家として知られています。
この住宅は、昭和17年に前川氏によって設計され、戦前は自邸として、戦後は前川國男建築設計事務所として使用されました。
藤森先生によると、前川氏は戦前に設計した自邸をあまり好まず、世間に公表することなく取り壊そうとしていたのですが、それを大高正人氏といった弟子たちが「先生の最高傑作なのに勿体ない」と言って説得し、解体して軽井沢の別荘に保管されることになりました。
その後、部材の存在は忘れさられていたのですが、それを藤森先生が約20年ぶりに探し出し、たてもの園への移築が実現したとのことで、なかなか波瀾万丈な建物のようです。

まずは、じっくり外観を眺めました。

切妻屋根の木造建築で一見すると民家のような佇まいですが、庭にむかって大きな窓があり、その外側で屋根を支える柱がとても印象的です。
これは材料不足のために電信柱を削って転用したもので、実は伊勢神宮の棟持ち柱が意識されています。
また、当時は戦時体制下で建築規制があったために建坪は約30坪で住宅としてはだいぶ狭いのですが、藤森先生によると「モダニズムはマゾだから、小さければ小さい程ほど頑張って良い作品になる」とおっしゃったので、みな期待してさっそく中に入りました。

内部は、居間を中心としてその両側に寝室や書斎、水回りが配置されており、いたってシンプルで合理的な構成です。
たしかに床面積は小さいのですが、居間の天井が高く、庭にむかって開かれていることもあり、非常に広々と感じられ、
それでいてとても寛げる空間です。
また、階段や窓周りにおける木材の組み方や形状などに目を向けると、細部まで気を配って設計されていることが分かります。

 

藤森先生によると、実はこうした前川邸の繊細なディティールは、レーモンドの影響が大きいそうです。
コルビジェが提案したコンクリートの打ち放しでは細部が荒々しいのですが、レーモンドは日本の木造技術を用いることによって、
その問題を解決しました。モダニズム建築と日本の伝統技術の融合を、外国人であるレーモンドが一早く試みたというのは、非常に興味深いです。

全体を見終わって、藤森先生のおっしゃった通り、戦時体制下で金属が思うように使えず、限られた面積だったからこそ、木造のモダニズムが威力を発揮したのだと感じました。

続いて、堀口捨己設計の小出邸に訪れました。
堀口捨己(1895〜1984)は、ヨーロッパのセセッションやアムステルダム派の動向をいち早く紹介し、日本の先駆的なモダビズム建築家であるとともに、庭園や茶室の歴史研究においても優れた業績を残した、多彩な人物です。
この小出邸は、ヨーロッパ留学から帰国して間もない大正13年に堀口氏が設計したもので、彼の処女作にあたります。

先程同様、まずは外から眺めると、大屋根はアムステルダム派、窓の部分はデ・スティルの影響を受けており、それでいて縁側など和風の要素も見られます。さらに、今庭に置かれている宝珠のような飾り、本来は宝形屋根の上に載せるはずだったそうで、設計当初の姿は一層特徴的な外ものであったようです。

 

内部に入り、とくに1階応接室の内装には驚かされました。
天井と壁に走る立体格子を木材はまさにデ・スティルの様式で、まるでモンドリアンの絵の中に入ったような気分になります。
さらに、金と銀の壁はセセッション、格天井や吊り戸棚は日本の伝統様式、といったように和洋が折衷した、非常に斬新な空間が拡がっています。

2階に登ると和室があり、一見よくある和室のようですが、セセッションの影響かと思われる薄緑色の壁を採用したり、床の脇に襖を配置したりと、若き日の堀口捨己が、新しい和室の在り方を模索していたであろうことが伺えます。

 

大正期に建てられた小出邸は華やかで、様々な様式の融合が実験的に試みられており、非常に冒険心に富んだ建築だと感じました。

見学会の最後に質疑応答があり、藤森先生から「日本はモダニズムと木造建築が結びついた、世界的に見て極めて特殊な国」であり、「日本の建築家は、西洋で生み出されたモダニズムに日本の伝統様式を取り込むという応用問題に取り組んできた」というお話がありました。
今回見学した前川邸と小出邸では、前川國男と堀口捨己という二人のモダニストの、それぞれ違った解法を見ることができたように思います。
現在日本建築が世界的に評価されるようになった背景には、モダニズム建築と日本伝統建築の融合に取り組んだ、多くのモダニストらの奮闘があったのだと、改めて感じました。そして、藤森先生の説明の中で何度か名前のあがった、藤井厚二や吉村順三、清家清、そして丹下健三らによる建築も、そういった目線で改めてじっくり見学したくなりました。

それにしても、建築家の秘話やお弟子達の話、解体移築の苦労話など、藤森先生しか知らない裏話をたくさん伺うことができ、本当に充実した見学会となりました。藤森先生、どうもありがとうございました。

 

講座B 開講式

2012年05月15日

 

 いよいよ、今週末から2012年度の伊東塾講座Bが始まることとなり、神谷スタジオにて開講式が催されました。

 ゴールデンウィークから引き続き大気が不安定で、外はあいにくの悪天候となってしまいましたが、集合時刻の30分以上前から参加者が続々と集まり始め、予定開始時刻の19時にはほぼ全員の方が揃い、開講式がスタートました。

 伊東豊雄先生が挨拶をした後で、まずは会場に集まった塾生と賛助会員による自己紹介が行われました。建築家や建築学科の学生だけでなく、土木、都市計画、さらにはジャーナリストや弁護士の方まで、本当に幅広い分野の方々がいらしたことに驚かされました。また、3.11をきっかけに建築について考え、今回の受講を決めたという受講生が多かったことも印象的でした。

 

 つづいて、伊東塾長より講座Bの趣旨とスケジュールに関して説明がありました。当講座は一年制で、授業は全18回( 基本隔週、月2回開催)で、その内容は大きく分けて3つのテーマから編成されています。

 ひとつめは、「建築はどのようにつくられるか」。授業では、伊東豊雄建築設計事務所設計の作品を具体的に取り上げ、アイディア段階から竣工に至るまでの設計過程や施工過程、その他構造や設備、ランドスケープも含めて講義するととともに、実際に建築や建設現場に訪れることにより、建築に対する理解を深めます。

 ふたつめは、「江戸から昭和にかけての東京を知る」です。日々慣れ親しんだ場所も、よくよく観察すると、様々な時代の断片を読み取ることができます。講座では、歴史に詳しい専門家とともに実際に庭園や下町を訪れて、東京の近世から今日に至るまでの歴史を学びます。

 最後は、昨年度の若手建築家養成講座において正面から取り組んだテーマである、「大震災から未来のまちを考える」です。震災から約一年を経て、被災地では復興事業が具体的に動き出しています。今年度は、実際に現場で尽力している市長や住民を招いてお話を伺い、今後のまちについて議論します。

 これら3つのテーマを通じて建築や都市について考えるにあたり、塾生同士のコミュニケーションが非常に重要です。伊東塾長は、講座Bでは少人数だからこそ気軽に互いの意見を交わすことができる、「文化的サロン」のような集まりにしたい、とおっしゃりました。

 

 今年度の講座Bの概要がわかったところで、昨年の若手建築家養成講座がどういった内容であったか、具体的な説明がありました。昨年は開講前に起きた3.11を受けて、まずは6月に被災地である釜石でのワークショップを行い、住民の人々の声を聞きながら塾生同士で話し合い、今後どうしてゆくべきかを議論しました。秋以降は、実際に「みんなの家」の設計に取り組みました。「みんなの家」は被災地の人々が気軽に集まるための場所であり、住民や様々な企業の協賛を得て、現在も竣工に向け着々と工事を進められています。今年度の講座Bは講義と見学会がメインですが、もし塾生から積極的に行動を起こしたいと要望があれば、昨年のように被災地と関わったり、何か情報を発信していく可能性もあると伊東塾長からの言葉もありました。

 一通りの説明が終わると、質疑応答の時間です。初めはやや緊張した雰囲気だったのですが、途中でお酒が入ると会場内は一気に打ち解けて、被災地の状況や「みんなの家」、子供塾などに関して様々な疑問が寄せられ、伊東塾長を囲んでみなで議論しました。その後は、料理とお酒を片手にそのまま懇親会の流れとなりました。年齢も分野も幅広い方々が集まっていたこともあり、会場内では様々なテーマが話題にのぼり、多いに盛り上がりました。こうして、あっという間に時間が過ぎ、講座B最初の顔合わせは和気藹々とした雰囲気のなかで解散となりました。

 いよいよ13日から初回の授業が始まります。伊東塾長のいう「文化的なサロン」を目指し、これから一年間、講座Bの雰囲気づくりを大切にしてゆきたいと思いました。1年間の講座を通じて、塾生で多いに議論して、建築に対する考えがどのように変化してゆくのか、今からとても楽しみです。