先週の土曜日、第6回目の子ども建築塾が行われました。
いよいよ作業は佳境にはいり、みんなでプレゼンボードを作っていきます。
この日は最初に伊東さんからプレゼンボードというものについて15分程度のレクチャーがありました。そもそもプレゼンテーションとは何なのか、それを一枚の紙にまとめるということは何なのか、それを理解するところからはじめなければなりません。
伊東さんは当日、岐阜県で勝ち得た図書館のコンペの為に制作したプレゼンボードを持参くださり、それに関して、本番さながらのプレゼンテーションを披露してくださいました。

その中で伊東さんが繰り返し強調していたことは、プレゼンテーションとは相手に伝える為の手段であり、とにかくわかりやすくあること。そしてこの提案がこんなに楽しいんだということを相手に伝えること。プレゼンボードに書いてある文章をただただ読み上げるのではなく、その瞬間に自分が伝えたいと思ったことを的確に伝えること。伊東さんはプレゼンテーションの練習は、プレゼンそのものをつまらなくさせるからしないと言います。
以上のアドバイスは非常に単純なことですが、同時にプレゼンテーションにおいてこれほどまでに重要なことはないだろうと思われる、大変的確なものです。
僕が個人的に聞いていて楽しかったり、惹き込まれたりするようなプレゼンテーションは、プレゼンターが聞き手と会話をしているかのような話し方をする場合がほとんどです。内容を伴ってこその伝達方法であるのはもっともですが、話し方一つ、プレゼンボードの彩り一つで同じ用な案でも印象が全く異なって見えてしまう。
どれだけ鮮やかな建築を造っても、どれだけ緻密な計画をしても、結局それを実現させるためには、その優れている点を自分の思想をよりどころとして相手に伝えるしかありません。伝え方が悪ければその良さを完全に享受することはできないでしょう。
恐らくこれは子ども達にとっては今まで以上に難しい課題だと思います。これくらいの年齢の子達は大勢の人前で話をするということ自体に慣れていません。当然照れを感じたり、しくじることへの恐怖を感じる。大学生ですら、緊張のあまり言葉を失ってしまうこともあるのですから。プレゼンテーションの巧さというのは滑舌の良さでも、話の巧さでもなく、伊東さんが述べたように、相手に伝えたいことが明確にあり、それを必死に伝えようと努力することに尽きるのだと思います。それは本来プレゼンターの中核にあり、その言葉によってその案は構築されていると言っても過言ではない。だからこそ余計な練習なんてしなくても、スラスラと言いたいことが出てくるはずなのです。
その後、ボランティアのお兄さんお姉さんと一緒にA1サイズのプレゼンボードの中にどのようなものを、どのように配置していくか、話し合いを行いました。模型写真をつかおうとしている子や、絵をたくさん配置しようとしている子、また配置方法も人それぞれで、段々状の建物を計画している子は写真の配置が段々状の建物の立面になるように計画したり、中心の模型写真から矢印をひいて広がりをもたせていたり。伊東さんが見せてくださった岐阜のプレゼンボードは内容物がグリッドにそっておらず、流れるように配置されていました。写真の大きさもまちまちで、一見まとまってはいないように見えるのですが、プレゼンテーションの流れにそっていたり、目立たせたいと思っている箇所を大きく使ったりと、実は細かく計画されています。線がカチッとひかれ、境目が明確なありきたりなボードとは違って、流動的なものだったからこそ、子ども達の自由な発想を殺さない見事な手本になっていたように思います。
何人かの子達は途中で伊東さんのボードを見に席をたって、確認しては、また席に戻るを繰り返していました。
下の写真は子ども達が自分で撮影したものです。プレゼンボードに使いたい写真を、自分たちでアングルを決めて撮影しました。どうすれば迫力がでるのか、どんな構図がかっこいいのかをみんな思案しているようでした。

前期は模型を造るというところが最終到達点でしたが、後期は敷地の規定された土地での模型作りに加え、スケッチ、そしてプレゼンボードの制作、発表と非常に要求が厳しくなっています。それでも恐らく皆さんが思っている以上に子ども達は積極的にそして見事に一つ一つの課題をこなしています。
今期の最後で、なんらかしらのかたちで皆様に子ども達の成果を発表できる機会があればと思っております。
是非楽しみにしていてください。
2月4日土曜日、約1ヶ月ぶりの子ども建築塾が行われました。
この日は休みの間にみんながそれぞれにテーマにあわせて作ってきた1/100の模型のお披露目です。休みの間にみんな一生懸命考えてきた模型は、前期からさらに飛躍して、一人一人の個性や特徴が表れていました。

模型の作り方が前期に比べてみんな自由になっていった一方、敷地の形や大きさが明確に決められていたがために、その制約に拘束されてしまった子もいたようでした。
特に目立ったのは、敷地の形にあわせて建物の形態を決めているというパターン。敷地とは、土地の所有者の領土を規定するものにすぎず、それによって建築が規定されるというのは、都市そのものの面白さを半減してしまうものです。土地という概念をより明確にし、それについて学ぶことは確かに必要ですが、そこからさらに一歩進んだ建築を提案してもらいたかったというのが正直なところです。

敷地と建物の平面を同形にするというのは、ある意味で土地のコンテクストを読み解いているともいえます。しかしそれは、その建築が周囲にとってどのような意味をなすかということに自覚的になっている場合にのみ、成立します。
そこでこの日は1/500サイズの模型を新たに制作し、それを敷地模型の上に並べることによって、他の子達と自分の建物との関係性について考えてみるという試みを行いました。
すでに作ってきた1/100の模型を参考に、1/500へと縮尺をおとしていきます。この模型の縮小化、つまりは単純化というプロセスは非常におもしろく、ある意味ではその建物のダイアグラムを制作しているとも言えます。1/500ということは、だいたいの子がわずか4cm四方の範囲の内側に模型をつくることになります。それだけ作り込める規模は小さくなるわけですから、その建物の形態的なシンボルがよりあらわになるわけです。それを自覚してかどうかはわかりませんが、みんな自分の建物の形態的な特徴をよく把握しているようでした。

途中で伊東さんと太田さんが子ども達の模型や提案について重要なことを言っていました。それはもっと機能について考えること、そして周辺環境について考えること。建築をつくるということは、やっぱり多くの人たちにとって、まだまだ形態を作ることにすぎません。しかし、本来はその内側で何が行われるかという機能的側面を計画するのも、その周辺環境を建築によって変革させるのも、全て建築家の役目です。今回1/500模型をつくって、他の子達の建物と自分の建物が意外に近いことや、それぞれがゆるやかに関係し合っていることに気がついて、伊東さん太田さんの言葉にもさらなる深みがましたのではないでしょうか。
来週からはいよいよプレゼンボード作りに取りかかります。
文章をあつかって、自分の案を説明したり、その案をより魅力的に他人に伝達するために、いろいろなことを考えていかなければいけません。そうなってくると必然的に形のことだけではすまなくなります。そのとき、彼等がどのように自分達の提案を説明するのか、今から楽しみです。
ブログをご覧くださっている皆様、遅れましたがあけましておめでとうございます。伊東建築塾の活動に興味を持っていただき誠にありがとうございます。
伊東建築塾が始動してから、9ヶ月近くがたちました。去年は拙いことも多々あったとは思いますが、今年はよりいっそうの飛躍を目指して参りますので、暖かく見守っていただければ幸いです。
最近は子ども建築塾の活動に終われ、養成講座に関して執筆する時間があまりなかったのですが、年もあけ、養成講座もかなりの進展を見せています。
建築家養成講座では、岩手県釜石市に新たな「みんなの家」を設計する計画を進めています。震災から早くも9ヶ月経ち、奇しくも伊東建築塾の進展と震災復興とはシンクロしています。釜石市に限らず、どの被災地もまともな復興はまだ到底実現できてはいません。仮設住宅、避難所で生活している人は当然のことながらまだ沢山います。
そんな人々に対して今私たちにできることはなんなのか。
それを養成講座という場を介してみんなで議論し合った結果が、少しずつ形に反映されはじめようとしています。
養成講座では、学生達みんなで一棟の「みんなの家」を提案することになりました。建物の機能を既存の職種や要素で規定したくはないのですが、表向きには「みんなのインターネットカフェ」を作ることが決まりました。しかしそれは、いわゆる現代都市に蔓延る個室型のネットカフェではなく、いろいろな交流や行為が交錯する場としてのネットカフェである必要があります。
建物を建てることは、そう容易ではなく、そこに到達するまでには様々な障壁を通過していかねばなりません。例えばお金のこと、誰がお金を出し、それをどう集めるのか、例えば機能のこと、そこで何をし、そのための維持費はどうするのか、などなど。そうした諸々の要因を話し合いながら設計がなされます。
形としても、なるべく容易でローコストに、しかし震災のことを考えるとある程度の耐久性が欲しい。ただそれを追求するがために、従来の仮設住宅のような、利用者の感覚を高ぶらせるような味わいの一切無い、無個性なものになるのも避けなければならない。そこで塾生の吉岡さんの提案で、RCの壁を2枚向かい合わせに建て、そこを様々な工夫によりインフィルしていくことになりました。2枚の壁にかけられる屋根や、内部空間を生み出すためのもう2枚の壁の素材をどうするかなどは現在議論中です。
このように、困っている人々のために何かをしたい、そしてそのための建築を生み出したいという衝動は、建築家が建築家であるための最も純粋な動機である気がします。というのも、そもそも住宅が自然発生的に生産されては壊されて行く現在、あえて個人の建築家として生計をたてていこうという背景には、現在の社会構造を変革してやろうという意気込みがないはずがないのです。(現実には残念ながらそうでない人も沢山いるようですが。)それはすなわち、現在の社会に不満を持ち、それを変革する、つまりはそこから迫害されている人を救済する道標ともなりえるわけです。
建築家は宗教祖ではないし、権力者でもありません。そのことに自覚的になりすぎた建築家は、他者を変革することに怯えています。
しかし他者を変革させること、それは服従させることとは本質的に違います。
「みんなの家」が進展を見せて行くにつれ、塾生達にもそんな意識が増したように、端から見ていると感じます。
この日は麻布十番に子ども達が自分で選んだ敷地上にどんな建物を建てるか、計画をたてました。
子ども達はそれぞれ、対象敷地の1/100スケールと1/200スケールの図面を手渡され、その上に自分のなんとなく思い描くプランを重ねていきます。前期までは敷地という拘束がなく、好きなように建築をそれ単体として設計するだけでしたが、今回は敷地という条件の中で設計することに苦心している子も多いようでした。
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この日は久しぶりに神谷町スタジオでの授業を行いました。村松伸先生からの宿題である2つの絵を壁に張り出し、それぞれが5分程度で説明し、太田先生、村松先生からの講評をうけました。
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先日の土曜日、子ども建築塾、後期1回目の授業がありました。
21人の子ども達が5グループにわかれ、それぞれに設定されたテーマに沿って街歩きに行きます。テーマはA.境内、B.崖・坂道、C.水・緑、D.路地・空地、E.商店街です。それぞれの班にはボランティアの中からグループリーダーと称して、グループを先導してくれる人がつきます。彼等が提案してくれたルートを子ども達と移動しながら、その途上で、「まち」というものを考えるきっかけになりそうな断片を探し出します。
私は「水・緑」がテーマであるCグループと共に街歩きに繰り出しました。グループリーダーの鈴木ますみさんが見事なルートを提案してくださり、非常に充実した街歩きとなりました。
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10月31日に横浜赤煉瓦倉庫近くの新港ピアで伊東建築塾のレクチャーがありました。新港ピアで行われている「新・港村展」はヨコハマトリエンナーレ2011の特別連携プログラムです。その会場をおかりして、レクチャーは開催されました。大空間に講演者を取り巻くように大きなソファがランダムに配置された光景は、堅苦しい講釈とは違い、穏やかなものでした。

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10月29日、30日の二日間にかけて、神谷町スタジオで「子ども建築塾前期制作展覧会」が行われました。
週末ということもあってか、沢山の思いがけない人たちが訪れてくださいました。
それが仮に子どもの作品であったとしても、こうして公式に発表されたものは、それなりの力強さを持ちます。

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26、27日にかけて、養成講座の塾生たちと東北へ再び行ってきました。
今回の目的の一つは伊東さんが仙台に設計した「みんなの家」を見に行くこと、二つ目は塾生達が釜石に提案する「みんなの家」の参考にするためのフィールドワークを行うことでした。
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先日の10月22日に前期最後の子ども建築塾がありました。
その日は29、30日に控える子ども建築塾の展覧会のための準備をしました。模型を手直しする子はし、展示の為の案の説明文を描きました。文章だけで、説明を構成する子もいれば簡単なスケッチで説明する子、驚くことに設計を簡素なダイアグラムで見事に表現する子もいました。
自分の造った案を論理的に説明することは非常に難しいのですが、それをいとも容易く行うことができたのは、この8回の授業のあいだに、子ども達が建築というものの意義をある程度読み解くことができたからでしょう。
普通、ある建築を子ども達に闇雲に提案させ、それの説明をさせようとしても、おそらくは形態的な特徴だの、「ロケット」がついているといったような付加機能の説明に終止してしまうのではないでしょうか。
それを超えて、これらの案が「どのように住むか」という人間生活への提案ができているのは、子ども達が建築というものを、ただの「箱」ではなく、「機能の集積」として捉えることができている証だと思います。
最後はお楽しみ会と称して、みんなでお菓子を食べながら歓談しました。余裕を持ってかなり多めにお菓子を買ったはずなのに、会の終わる頃には一袋も残ってはいませんでした。
今回でひとまず前期のテーマである「いえ」が終了し、これから後期のテーマ「まち」がスタートします。建築というものが単体としてどのような機能を持つかを知った今、それが街にたいしてどのように影響をあたえるかを学ぶのはそう難しいことではないのかもしれません。
