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10月29日、30日の二日間にかけて、神谷町スタジオで「子ども建築塾前期制作展覧会」が行われました。
週末ということもあってか、沢山の思いがけない人たちが訪れてくださいました。
それが仮に子どもの作品であったとしても、こうして公式に発表されたものは、それなりの力強さを持ちます。

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釜石フィールドワーク

2011年10月29日

26、27日にかけて、養成講座の塾生たちと東北へ再び行ってきました。
今回の目的の一つは伊東さんが仙台に設計した「みんなの家」を見に行くこと、二つ目は塾生達が釜石に提案する「みんなの家」の参考にするためのフィールドワークを行うことでした。

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第9回 子ども建築塾

2011年10月29日

先日の10月22日に前期最後の子ども建築塾がありました。
その日は29、30日に控える子ども建築塾の展覧会のための準備をしました。模型を手直しする子はし、展示の為の案の説明文を描きました。文章だけで、説明を構成する子もいれば簡単なスケッチで説明する子、驚くことに設計を簡素なダイアグラムで見事に表現する子もいました。
自分の造った案を論理的に説明することは非常に難しいのですが、それをいとも容易く行うことができたのは、この8回の授業のあいだに、子ども達が建築というものの意義をある程度読み解くことができたからでしょう。
普通、ある建築を子ども達に闇雲に提案させ、それの説明をさせようとしても、おそらくは形態的な特徴だの、「ロケット」がついているといったような付加機能の説明に終止してしまうのではないでしょうか。
それを超えて、これらの案が「どのように住むか」という人間生活への提案ができているのは、子ども達が建築というものを、ただの「箱」ではなく、「機能の集積」として捉えることができている証だと思います。
最後はお楽しみ会と称して、みんなでお菓子を食べながら歓談しました。余裕を持ってかなり多めにお菓子を買ったはずなのに、会の終わる頃には一袋も残ってはいませんでした。

今回でひとまず前期のテーマである「いえ」が終了し、これから後期のテーマ「まち」がスタートします。建築というものが単体としてどのような機能を持つかを知った今、それが街にたいしてどのように影響をあたえるかを学ぶのはそう難しいことではないのかもしれません。

 

帰心の会(伊東豊雄、山本理顕、内藤廣、隈研吾、妹島和世)では、月1回程度被災地を訪れてこれからの建築やまちづくりを考えるシンポジウムやトークセッションを行っている。「みんなの家」という、人々がくつろぎ、語らう場所を被災地に提供したいと考え、“「みんなの家」をつくろう”という呼びかけを国内外に行っている。
このたび「くまもとアートポリス」東北支援による第1号「みんなの家」(設計: くまもとアートポリスコミッショナ-・伊東豊雄、同アドバイザー・桂英昭、末廣香織、曽我部昌史)が、仙台市宮城野区の福田町南一丁目公園に竣工する機を捉え、宮城野区並びに仙台卸商センターの協力を得て、トークセッションを行う。
出演:
帰心の会(伊東豊雄、山本理顕、内藤廣、隈研吾、妹島和世)予定
タイトル:  
東日本大震災から7ヶ月を過ぎて思うこと
定員:
約250名
会場:
仙台卸商センター産業見本市会館
http://www.sunfesta.or.jp/
参加料:
無料(先着順)
日時:
10/25/2011…14:00〜15:30
主催:
帰心の会

 

同日「みんなの家」の内覧会も予定されている。

◎みんなの家内覧会
日時:9:00~17:00
会場:
宮城県仙台市宮城野区福田町南一丁目7-1 福田町南一丁目公園仮設住宅地内
参加方法:
申込不要(内覧会時間内は自由に見学できます)
アクセス:
【バス】仙台駅西口パスプール4番乗り場より
①300系統「新浜・岡田車庫行き」または310系統「東部工場団地行き」便で「狐塚」バス停下車
所要時間は20分~25分(交通事情により異なります)
②330系統「鶴巻小学校行き」便で「福田町四丁目」バス停下車
所要時間は30分程度(交通事情により異なります)
バス時刻表 
http://www.navi.kotsu.city.sendai.jp/dia/route/web/exp.c…
【タクシー】
JR仙石線・陸前高砂駅より約10分

 

先日、後期の子ども塾の下見ということで、半年間通してグループリーダーとして子ども達のサポートをしてくださるボランティアの方々、そして塾スタッフと、後期の講師をしてくださる東京大学の村松伸先生、太田浩史先生と麻布十番の街歩きに行ってきました。私たちは商店街の一本となりの通りにある「パティオ十番」というとても魅力的な広場に集合しました。その一帯はまるで日本の都市とは思えないほどに、独特な雰囲気を持っており、東京らしいせせこましさはあるものの、その開放感は古代ローマのフォルムにも近かったです。
太田先生によるとその広場は石川栄耀という都市計画家によるものだそうです。石川は歌舞伎町の生みの親とも言われ、あの著名な「コマ劇場前広場」も彼の手によるものです。この「パティオ十番」は「コマ劇場前広場」以外では石川が手がけた広場の中で唯一現存するものだそうです。「コマ劇場前広場」は飲屋街として騒々しく、開けているくせに圧迫感があるといいますか、私にとってはあまり居心地のよい空間ではありませんが、「パティオ十番」はそれとは対照的により人間の自然な身体感覚に近いものを持っている気がします。俗っぽく言ってしまえば、「外国人の街、麻布十番」を代表するような風格があるということでしょうか。

私たちは、集合したあと、そのパティオ十番から、大黒坂をのぼり、暗闇坂を下って、これ以上言葉では形容できないようなルートを通って再び商店街へと戻ってきました。その途上には様々な魅力的な建物や空間がありました。東京の街というのは、それが都市の景観的に甘美であるとか、居心地が良いとかいったことは度外視に、魅力的な空間が発生しているような気がします。つまり都市全体としてというよりも、その一部だけを切り取ったときに面白さが見いだせる。極まれに、東京の都市は汚いが、そこに面白さがあり、それこそが魅力なのだと開き直ったようなことを言う人がいます。その猥雑さの中には魅力的なことも多々ありますが、その魅力はやはり都市全体が持つものではなく、そのうちの一部分を切り取ったときに得られるものであり、あくまでも都市の中の特権階級(それは金銭的な格差のことではなく)だけが享受できるものなのだと思います。例えば、麻布十番にはブラタモリというNHKの番組でも特集された「がま池」という池があります。それは明治から残る古い池で、住宅街の中に忽然と現れる不思議な池です。しかし、現在はマンションに囲まれ、ごく一部の人しかその池を眺めることはできません。都市の魅力というのは切り出すという作業の果てにあるものだけでなく、都市そのものが持つべき必要もあるのではないかと、麻布十番の街を見ていて改めて思い知らされたような気がします。

ともかく来期から、子ども達と「麻布十番」の街を散策するわけですが、彼等がこの街をどのように切り取るのか、それが今から楽しみでなりません。

第8回 子ども建築塾

2011年10月11日

10月8日土曜日、第8回目の子ども塾が行われました。
その日は前期をかけて作成した、模型と図面、スケッチを用いて、子ども達による発表会を行いました。

みんなの成果物を一堂に集め、一人一人が順番に発表を行います。いくら高学年とはいえ、小学生が人前で発表することは、私たちには想像もつかないほどのプレッシャーだと思います。
私事ですが、小学生のときに、清掃委員の委員長を担当しており、巨大なホールで全校生徒にむけて発表をさせられたことがあります。そのときは緊張のあまり下ばかりを向いてしゃべっていたので、設置されていたマイクが音を全く検知できないということがありました。後々になって聞いたのですがみんな私の口の動きから、何を言っているか推測しながら見ていたそうです。
今の話は余談でしたが、そんな経験を持つ私からすれば、あれだけの数の大人を前に堂々としゃべっている子ども達には驚かされました。基本的にはとなりにボランティアの学生がつき、順に質問をしていくのですが、人によってはプレゼンターさながら、一人で延々としゃべり続ける子もいます。やはり臆せずにしゃべれるのは、自分が何を考えてその作品を造ったか、子どもにとっても明確であったということの表れなのかもしれません。

みんな魅力的な作品を作り上げていましたが、特に印象的な作品を造った子達に共通していたのは、最初の曖昧とした模型の形が、最終的に予想もつかないような形体へと変貌していたことでしょう。一部の子達は、最初から最後まで一貫してある明確な形があり、それが紆余曲折はあったものの、あまり大きな変貌を遂げずに貫徹しました。しかし、最終的にちょっと人目を引くような形を生んだ模型群はどれも、模型を造っていく過程で多量の変化を経験していたものたちでした。
それは恐らく模型造りのプロセスの途上で、彼等の最終像が変化していったことにあります。当日の発表会で批評役をしたくださった西沢立衛さんも、一つの建築を造るときにスタディ模型をいくつも造るということで知られています。初めにどれだけいいと思った形でも、それを具現化していく過程のなかで新たな発見をし、より良いものへと変貌していきます。
そのプロセスを実際にたどっていた子ども達の作品には、わずかな差ではありますが人目を惹くようなものが宿っているのだと思います。

後期のテーマである「まち」でも、子ども達は自分自身の作品を造ることになります。そのときに少しでも意識的に発展過程をたどれるように誘導してあげることができれば、子ども達も予想しえなかった魅力的な風景を獲得することができるのではないでしょうか。

第7回 子ども建築塾

2011年09月13日

9月10日に第7回「子ども建築塾」がありました。

10日は前回の引き続きとして、模型製作が引き続き行われたのですが、それと平行して、模型が順調に進んだ人は図面を描いてみるという試みを行いました。図面といっても定規等で寸法を的確にわりだすというものではなく、スケッチのような感覚で自由に描きます。例えば上から俯瞰で見た平面図のようなスケッチを描いてきた子は、横から見た断面図などのように、自分がもともと描いてきたスケッチに無い構図を見つけ出し、それを描いてみます。

ただ子ども達の多くは、イメージが立体的に立ち上がる模型のほうが作業をしていて楽しいようで、模型製作の手がとまることはほとんどありませんでした。
子ども達の模型製作を手伝っていて非常に興味深いのは、こちらが何も教えていないのに、自分の作りたいものへと辿り着くための手順を意外にもちゃんと把握していることです。初めに自分が絵にしたイメージがどこまで立体として具現化できるのか、そのための試行錯誤には驚かされるものがあります。中には始めに描いてきたスケッチの実現性の厳しさに、模型を製作しながら案を修正する子もいました。修正する前の案も大変に面白いものでしたので、自由な発想で好きなように作っていけばよかったのかもしれませんが、少なくとも修正できるということはイメージがしっかりと構築されていることの表れでもあります。

模型製作の手順も人により様々で、平面プランを土台に貼付け、そこにスチレンボードで壁を立ち上げていくように作る子もいれば、建物全体を幾つかのボリュームに分割し、それを足し算するように作って子、また宮大工のように土台から順序だてて丁寧に組み上げていく子もいます。模型製作の手順は、彼等が最初に描いたスケッチと対応しており、平面プランを描いている子やパースだけの子、立面図のような絵で表現する子など、絵画の描写方法が模型再制作手順に影響しているのはおもしろいことです。

この先、これらの模型がどのように発展していくかが楽しみです。

5月から開催されている子ども塾ですが、夏休みを挟んで、いよいよ9/10から活動が再開されます。
10月までつづく前期テーマは「いえ」です。

子ども建築塾で開催されてきた「いえ」の具体的なプログラムを以下、簡単にご紹介しましょう。
(以下カリキュラムに基づくが、天候その他で変更があります)
http://www.itoschool.or.jp/article/36

一番最初に塾生に出された課題「じぶんの住みたい家」に対して、それぞれ描いてきたスケッチから始まりました。
以下のテーマに基づいて進めてきています。

・「じぶんの住みたい家」を描くこと
・スケッチに盛り込んだ夢と工夫を、人に説明すること
・建築や家の寸法と身体の寸法を理解し、断面図として描くこと
・森山邸(西沢立衛さん設計)見学を通して多くの人と住むことの楽しさ、外部空間の使い方、小さな空間や空間構成を体験・観察すること

・模型づくりを通じてスケッチを立体化、空間化すること

・建築図面を描くことを通じて、リアリティを考えること、人に説明すること

今後、発表会を挟んで「じぶんの住みたい家」の模型づくり、さらに図面作成に取りかかっていきたいと思います。

 

ホームページ等

2011年09月07日

先日、神谷町スタジオで、打ち合わせが行われました。
これから先の塾の運営形態や、カリキュラムについての議論が交わされました。また、ホームページ上でより近況がわかりやすいように、変更を加えることになりました。写真等をより多く掲載しようと思いますので、是非定期的に確認していただければ幸いです。

先日神谷町スタジオで、土曜講座特別講座が開かれ、思想家・人類学者である中沢新一さんが講義をしてくださいました。
中沢新一さんは「チベットのモーツァルト」でデビューされ、その後も沢山の著書をお書きになっています。特に宗教に関しての研究者として一般に知られており、仏教思想などを独特な切り口で紹介なさっています。

今回の講座は「建築の大転換」と題して行われました。様々な話が、いろんな派生の仕方をしながら展開されたので、順序立てて内容を記していくのがとても難しい。さらには、そこはさすがに宗教学者だけあって、空想的な物語や神話を自らの思想と照らし合わせながら話してくださったので、ますます本質がつかみにくい。
ですので、私が個人的に関心があった箇所をかいつまんで話をさせていただきます。

まずキアスムという思想の話から始めます。これは中沢さんの思想や、物事の見方を形成する非常に重要な要素です。キアスムとはそもそもメルロ=ポンティの生み出した言葉です。現象学で知られるメルロ=ポンティは精神と肉体、主体と客観という、デカルト以降の哲学における二元論を乗り越えようとした人です。そもそも現象学という学問そのものが、そういった要素を持ちます。キアスムとはそういった思想の中で生まれた用語であり、「交叉、絡み合い」と訳されます。説明が非常に難しい概念なのですが、要するに入れ替わりというか、混ざり合いというか、そういったものだと思ってもらえればいいのではないかと。主観と客観の融合した状態と考えてもいいのかもしれません。
中沢さんによると、宗教というのはキアスム的であり、例えば共産主義〜資本主義はその対極にあります。共産主義〜資本主義というのは基本的に市場経済であり、品物に見合った対価が払われることが絶対とされます。この場合の対価はほとんどの場合が金銭ですが、別に物々交換でもかまいません。人々の需要と供給から、その品物の価値がランク付けされ、同じランクにある別のものとの関係で経済が動きます。このような市場経済において、贈与という考え方は非常に矛盾したものです。一方的にものが動くのですから。これは中沢さんによればキアスムです。ものを渡す側と渡される側がある意味で混同するからです。贈与という行為は宗教に多く見られます。もちろん神に対する贈与も、人と人との贈与も、厳密には全くの一方向ではないのですが、少なくとも共産主義〜資本主義原理とは全く異なります。つまりこの贈与に見られる個人と個人の関係性がキアスムになるわけです。

さて話はやっと建築に移ります。中沢さんは建築を、線形と非線形の二つに分類します。線形建築とは機能主義時代のコルビジェを頂点とするモダニズム建築のことです。それは別に四角い建築という短絡的な意味ではないと私は理解しています。ザハの建築も、フランクOゲイリィの建築も、おそらく線形建築に分類されるのではないでしょうか。私の考えでは建築そのものの形よりも、その背後に潜む原理が線形、非線形を区別しています。ザハの建築もゲイリィの建築も共産主義〜資本主義社会によって形成されたモダニズム建築に変わりはないのです。
しかし現代では建築家も少し敏感になり、線形だけではなく、非線形の要素を内包した建築を生み出そうと苦心している人たちが多くいます。しかし、その結果彼らのたどり着く答えとは、ガラスで内と外の境界を開いたり、屋上緑化をしたり、ファサードに竹を使ってみたり、植物の形を参考にしたような建物を作ってみたり等等。中沢さん曰く本質的な取り組みをしている人はほとんどいません。それはつまりその解決の糸口が全て表装だけの試行錯誤で完結してしまっている、ということなのだと私は解釈しました。
中沢さんはこれまでのモダニズムを「大地の上に線形を添えたもの」と定義します。そして新しい建築として、概念的ではありますが、大地の中にある非線形のものが地表に出て、そのまま自己変異するものをイメージされています。それがどのようなものかはわからないそうですが。
では何が非線形かと問われると、そこで中沢さんは宗教建築を取り上げます。話の中で例としてあげられたのは伊勢神宮。中沢さんは、伊勢神宮は物語の蓄積によって出来上がっていると言います。それはスサノオノミコトの逸話などのことです。一つの建築が、資本の単純な原理によって出来上がっているのではなく、ある物語をなぞらえながらその形態を生成させている。その最も特徴的な要素として、千木の存在が取り上げられます。千木とは屋根の両端の垂木をそのまま延ばして交叉させたものです。もとは構造を補助する要素として用いられていたそうです。その天へと伸び上がるような形態に、地に横たわるモダニズムとは異なる、非線形の要素を中沢さんは見いだしたのではないでしょうか。

そこでまた話は新しい時代の非線形建築へと移ります。ではいったいどうすればそれが提案できるのか。さすがに、全ての建築を宗教ベースに計画するわけにもいきませんし、伊勢神宮のような形態にするわけにもいかない。結局最後までその答えははっきりとはしませんでした。次回の講演で、話がそこまで発展すると面白くなると思います。
中沢さんは最後に建築家というのはそんなに重要な職業じゃないと言います。磯崎新の本を読んでいると、まるで建築家が世界の一大事を背負っているかのように感じるが、そんなことを考えても非線形の建築にはたどり着かない。例えば伊勢神宮を建てた、当時の棟梁は世界における建築の役割などという小難しいことは考えていなかった。それでも彼らは非線形建築を作ることに成功していたのだから、建築家は小難しく考える必要はないと。
ただ私はハンナ・アレントが世界を構築する職業である仕事に建築が含まれていると信じていますから、建築家の担うべき仕事は本来あまりにも重大すぎて多くの建築家自身すら気がついていないほど、重要だと思っているのですが。

ここからは私の考えです。

吉本隆明が著書の中で面白いことを言っています。彼は宗教を「自然宗教」と「創唱宗教=理念宗教」に区分します。自然宗教とは文字通り自然発生的に生成した宗教。特定の個人がいるわけではなく、民族的な行事や集団意識の中で生まれたものです。「創唱宗教」とは明確な神の存在があり、その神の教えを誰かが授かりそれを伝達することによって広まるものです。それは自然宗教とは異なり明確な理念を持ちます。社会をこうしたいという理念です。従って基本的に、社会と平行に創唱宗教は生成されます。創唱宗教が良くする対象は人間社会ですので当然社会の生成とともにあります。
すると「創唱宗教」社会には何がおこるか。社会というのはいつの時代も刻一刻と変化し続けます。しかし創唱宗教には強い理念があるため、社会が変化してもその理念だけは残り続けます。したがって社会の中から生まれた宗教理念が、いつのまにか社会が変わっても、形をそのままに残り続けてしまうのです。それはキリスト教やイスラム教社会に強く見られます。
私はこれは結構建築においても重要なことではないかと思います。社会の変化とは切り離されて存在する理念。中沢さんの話と絡めて考えると、私たちが目指すべき非線形というのは、形のことでも空想の物語のことでもなく、その理念のことなのかもしれません。この場合の理念というのは宗教的なことでなくても良いのです。様々な人々が話し合い、このような社会を目指そうというものです。そのような社会の変化が要請するものに影響されない理念。例えばそれは中沢さんが言う第8次エネルギーをどのように考えるか、それに対する個々人の思想が生み出す新都市の形態であるかもしれません。それも十分立派な理念と呼べるでしょう。
だから私はこの線形、非線形の話を形とはいっさい関係ない概念として話を聞いていました。中沢さんが用いた抽象的な用語を現実的なものに置き換えたときに見えてくるもの。おそらく中沢さんがこれほどまでに建築家に対して語っているのは、建築家が現実的な非線形要素を彼の言葉から引き出すことを期待していたからではないでしょうか。