ブログをご覧くださっている皆様、遅れましたがあけましておめでとうございます。伊東建築塾の活動に興味を持っていただき誠にありがとうございます。
伊東建築塾が始動してから、9ヶ月近くがたちました。去年は拙いことも多々あったとは思いますが、今年はよりいっそうの飛躍を目指して参りますので、暖かく見守っていただければ幸いです。
最近は子ども建築塾の活動に終われ、養成講座に関して執筆する時間があまりなかったのですが、年もあけ、養成講座もかなりの進展を見せています。
建築家養成講座では、岩手県釜石市に新たな「みんなの家」を設計する計画を進めています。震災から早くも9ヶ月経ち、奇しくも伊東建築塾の進展と震災復興とはシンクロしています。釜石市に限らず、どの被災地もまともな復興はまだ到底実現できてはいません。仮設住宅、避難所で生活している人は当然のことながらまだ沢山います。
そんな人々に対して今私たちにできることはなんなのか。
それを養成講座という場を介してみんなで議論し合った結果が、少しずつ形に反映されはじめようとしています。
養成講座では、学生達みんなで一棟の「みんなの家」を提案することになりました。建物の機能を既存の職種や要素で規定したくはないのですが、表向きには「みんなのインターネットカフェ」を作ることが決まりました。しかしそれは、いわゆる現代都市に蔓延る個室型のネットカフェではなく、いろいろな交流や行為が交錯する場としてのネットカフェである必要があります。
建物を建てることは、そう容易ではなく、そこに到達するまでには様々な障壁を通過していかねばなりません。例えばお金のこと、誰がお金を出し、それをどう集めるのか、例えば機能のこと、そこで何をし、そのための維持費はどうするのか、などなど。そうした諸々の要因を話し合いながら設計がなされます。
形としても、なるべく容易でローコストに、しかし震災のことを考えるとある程度の耐久性が欲しい。ただそれを追求するがために、従来の仮設住宅のような、利用者の感覚を高ぶらせるような味わいの一切無い、無個性なものになるのも避けなければならない。そこで塾生の吉岡さんの提案で、RCの壁を2枚向かい合わせに建て、そこを様々な工夫によりインフィルしていくことになりました。2枚の壁にかけられる屋根や、内部空間を生み出すためのもう2枚の壁の素材をどうするかなどは現在議論中です。
このように、困っている人々のために何かをしたい、そしてそのための建築を生み出したいという衝動は、建築家が建築家であるための最も純粋な動機である気がします。というのも、そもそも住宅が自然発生的に生産されては壊されて行く現在、あえて個人の建築家として生計をたてていこうという背景には、現在の社会構造を変革してやろうという意気込みがないはずがないのです。(現実には残念ながらそうでない人も沢山いるようですが。)それはすなわち、現在の社会に不満を持ち、それを変革する、つまりはそこから迫害されている人を救済する道標ともなりえるわけです。
建築家は宗教祖ではないし、権力者でもありません。そのことに自覚的になりすぎた建築家は、他者を変革することに怯えています。
しかし他者を変革させること、それは服従させることとは本質的に違います。
「みんなの家」が進展を見せて行くにつれ、塾生達にもそんな意識が増したように、端から見ていると感じます。
この日は麻布十番に子ども達が自分で選んだ敷地上にどんな建物を建てるか、計画をたてました。
子ども達はそれぞれ、対象敷地の1/100スケールと1/200スケールの図面を手渡され、その上に自分のなんとなく思い描くプランを重ねていきます。前期までは敷地という拘束がなく、好きなように建築をそれ単体として設計するだけでしたが、今回は敷地という条件の中で設計することに苦心している子も多いようでした。
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この日は久しぶりに神谷町スタジオでの授業を行いました。村松伸先生からの宿題である2つの絵を壁に張り出し、それぞれが5分程度で説明し、太田先生、村松先生からの講評をうけました。
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先日の土曜日、子ども建築塾、後期1回目の授業がありました。
21人の子ども達が5グループにわかれ、それぞれに設定されたテーマに沿って街歩きに行きます。テーマはA.境内、B.崖・坂道、C.水・緑、D.路地・空地、E.商店街です。それぞれの班にはボランティアの中からグループリーダーと称して、グループを先導してくれる人がつきます。彼等が提案してくれたルートを子ども達と移動しながら、その途上で、「まち」というものを考えるきっかけになりそうな断片を探し出します。
私は「水・緑」がテーマであるCグループと共に街歩きに繰り出しました。グループリーダーの鈴木ますみさんが見事なルートを提案してくださり、非常に充実した街歩きとなりました。
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10月31日に横浜赤煉瓦倉庫近くの新港ピアで伊東建築塾のレクチャーがありました。新港ピアで行われている「新・港村展」はヨコハマトリエンナーレ2011の特別連携プログラムです。その会場をおかりして、レクチャーは開催されました。大空間に講演者を取り巻くように大きなソファがランダムに配置された光景は、堅苦しい講釈とは違い、穏やかなものでした。

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10月29日、30日の二日間にかけて、神谷町スタジオで「子ども建築塾前期制作展覧会」が行われました。
週末ということもあってか、沢山の思いがけない人たちが訪れてくださいました。
それが仮に子どもの作品であったとしても、こうして公式に発表されたものは、それなりの力強さを持ちます。

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26、27日にかけて、養成講座の塾生たちと東北へ再び行ってきました。
今回の目的の一つは伊東さんが仙台に設計した「みんなの家」を見に行くこと、二つ目は塾生達が釜石に提案する「みんなの家」の参考にするためのフィールドワークを行うことでした。
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先日の10月22日に前期最後の子ども建築塾がありました。
その日は29、30日に控える子ども建築塾の展覧会のための準備をしました。模型を手直しする子はし、展示の為の案の説明文を描きました。文章だけで、説明を構成する子もいれば簡単なスケッチで説明する子、驚くことに設計を簡素なダイアグラムで見事に表現する子もいました。
自分の造った案を論理的に説明することは非常に難しいのですが、それをいとも容易く行うことができたのは、この8回の授業のあいだに、子ども達が建築というものの意義をある程度読み解くことができたからでしょう。
普通、ある建築を子ども達に闇雲に提案させ、それの説明をさせようとしても、おそらくは形態的な特徴だの、「ロケット」がついているといったような付加機能の説明に終止してしまうのではないでしょうか。
それを超えて、これらの案が「どのように住むか」という人間生活への提案ができているのは、子ども達が建築というものを、ただの「箱」ではなく、「機能の集積」として捉えることができている証だと思います。
最後はお楽しみ会と称して、みんなでお菓子を食べながら歓談しました。余裕を持ってかなり多めにお菓子を買ったはずなのに、会の終わる頃には一袋も残ってはいませんでした。
今回でひとまず前期のテーマである「いえ」が終了し、これから後期のテーマ「まち」がスタートします。建築というものが単体としてどのような機能を持つかを知った今、それが街にたいしてどのように影響をあたえるかを学ぶのはそう難しいことではないのかもしれません。

帰心の会(伊東豊雄、山本理顕、内藤廣、隈研吾、妹島和世)では、月1回程度被災地を訪れてこれからの建築やまちづくりを考えるシンポジウムやトークセッションを行っている。「みんなの家」という、人々がくつろぎ、語らう場所を被災地に提供したいと考え、“「みんなの家」をつくろう”という呼びかけを国内外に行っている。
このたび「くまもとアートポリス」東北支援による第1号「みんなの家」(設計: くまもとアートポリスコミッショナ-・伊東豊雄、同アドバイザー・桂英昭、末廣香織、曽我部昌史)が、仙台市宮城野区の福田町南一丁目公園に竣工する機を捉え、宮城野区並びに仙台卸商センターの協力を得て、トークセッションを行う。
出演:
帰心の会(伊東豊雄、山本理顕、内藤廣、隈研吾、妹島和世)予定
タイトル:
東日本大震災から7ヶ月を過ぎて思うこと
定員:
約250名
会場:
仙台卸商センター産業見本市会館
http://www.sunfesta.or.jp/
参加料:
無料(先着順)
日時:
10/25/2011…14:00〜15:30
主催:
帰心の会
同日「みんなの家」の内覧会も予定されている。

◎みんなの家内覧会
日時:9:00~17:00
会場:
宮城県仙台市宮城野区福田町南一丁目7-1 福田町南一丁目公園仮設住宅地内
参加方法:
申込不要(内覧会時間内は自由に見学できます)
アクセス:
【バス】仙台駅西口パスプール4番乗り場より
①300系統「新浜・岡田車庫行き」または310系統「東部工場団地行き」便で「狐塚」バス停下車
所要時間は20分~25分(交通事情により異なります)
②330系統「鶴巻小学校行き」便で「福田町四丁目」バス停下車
所要時間は30分程度(交通事情により異なります)
バス時刻表
http://www.navi.kotsu.city.sendai.jp/dia/route/web/exp.c…
【タクシー】
JR仙石線・陸前高砂駅より約10分
先日、後期の子ども塾の下見ということで、半年間通してグループリーダーとして子ども達のサポートをしてくださるボランティアの方々、そして塾スタッフと、後期の講師をしてくださる東京大学の村松伸先生、太田浩史先生と麻布十番の街歩きに行ってきました。私たちは商店街の一本となりの通りにある「パティオ十番」というとても魅力的な広場に集合しました。その一帯はまるで日本の都市とは思えないほどに、独特な雰囲気を持っており、東京らしいせせこましさはあるものの、その開放感は古代ローマのフォルムにも近かったです。
太田先生によるとその広場は石川栄耀という都市計画家によるものだそうです。石川は歌舞伎町の生みの親とも言われ、あの著名な「コマ劇場前広場」も彼の手によるものです。この「パティオ十番」は「コマ劇場前広場」以外では石川が手がけた広場の中で唯一現存するものだそうです。「コマ劇場前広場」は飲屋街として騒々しく、開けているくせに圧迫感があるといいますか、私にとってはあまり居心地のよい空間ではありませんが、「パティオ十番」はそれとは対照的により人間の自然な身体感覚に近いものを持っている気がします。俗っぽく言ってしまえば、「外国人の街、麻布十番」を代表するような風格があるということでしょうか。
私たちは、集合したあと、そのパティオ十番から、大黒坂をのぼり、暗闇坂を下って、これ以上言葉では形容できないようなルートを通って再び商店街へと戻ってきました。その途上には様々な魅力的な建物や空間がありました。東京の街というのは、それが都市の景観的に甘美であるとか、居心地が良いとかいったことは度外視に、魅力的な空間が発生しているような気がします。つまり都市全体としてというよりも、その一部だけを切り取ったときに面白さが見いだせる。極まれに、東京の都市は汚いが、そこに面白さがあり、それこそが魅力なのだと開き直ったようなことを言う人がいます。その猥雑さの中には魅力的なことも多々ありますが、その魅力はやはり都市全体が持つものではなく、そのうちの一部分を切り取ったときに得られるものであり、あくまでも都市の中の特権階級(それは金銭的な格差のことではなく)だけが享受できるものなのだと思います。例えば、麻布十番にはブラタモリというNHKの番組でも特集された「がま池」という池があります。それは明治から残る古い池で、住宅街の中に忽然と現れる不思議な池です。しかし、現在はマンションに囲まれ、ごく一部の人しかその池を眺めることはできません。都市の魅力というのは切り出すという作業の果てにあるものだけでなく、都市そのものが持つべき必要もあるのではないかと、麻布十番の街を見ていて改めて思い知らされたような気がします。
ともかく来期から、子ども達と「麻布十番」の街を散策するわけですが、彼等がこの街をどのように切り取るのか、それが今から楽しみでなりません。
