5月18日、前年度までの講座Aは今年度より会員公開講座と名を改め、また新たなスタートを切りました。本公開講座では「東北から未来のまちを考える」と題し、東北に関わりの深い様々なゲストを招きながら、東北の復興を通して日本の未来のまちを考える可能性を探っていきます。その記念すべき初回の講義は伊東豊雄塾長自らがマイクをとり、神谷町スタジオにはこれまでで最多の100名を超える参加者が集まりました。レクチャーのテーマは『ライフスタイルを変える』です。
冒頭に今年度のカリキュラムについての説明があった後、講義が始まりました。
ブログ: 公開講座
2月26日の伊東建築塾は、アーキグラムの活動などで世界的に有名な建築家のピーター・クック氏を講師としてお招きし、特別講義を開催しました。ピーター・クック氏の講演ともなれば、通常でしたら大きなホールが一杯になるほどの人気だと思います。今回のように小さなスケールでピーター・クック氏のお話をうかがえる機会は、滅多にないことでしょう。それに見合うように参加者側も、伊東塾長を始め、長谷川逸子さん、小嶋一浩さん、妹島和世さん、西沢立衛さん、手塚貴晴さん、難波和彦さんなどそうそうたる顔ぶれで、そのような貴重な場に居合わせることが出来たことを非常に嬉しく思います。
2月24日、今年度最後となる講座Aは、写真家の畠山直哉氏を講師にお招きして開催しました。畠山さんは岩手県陸前高田市のご出身。伊東塾長がコミッショナーを務めた第13回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館では、畠山さんの撮影した「みんなの家」を中心とする震災前後の陸前高田の姿が展示され、そして見事金獅子賞の座を射止めたことは記憶に新しいでしょう。震災から間もなく2年が経ち、そしてビエンナーレの帰国展も開催されているこの時期に畠山さんのお話を伺えるのはとても貴重な機会であったと思います。
11月2日に開催した講座Aは、講師として菅原みき子さんにお越しいただきました。
菅原さんは、陸前高田市在住の民間人として、現地で精力的に復興活動を行っていらっしゃいます。そして、伊東塾長がコミッショナーを務め、建築家の乾久美子さん、藤本壮介さん、平田晃久さんと写真家の畠山直哉さんの協同作業によってつくられた「みんなの家」の管理人となる方でもいらっしゃいます。
9月13日、伊東建築塾神谷町スタジオにて、講座A 特別講座「アキッレ・カスティリオーニの展示デザイン」を開催しました。
今回は、現在ローマを拠点に、演出家、アーティストとして活躍中の多木陽介さんを講師にお迎えし、アキッレ・カスティリオーニの『誘導の科学』に基づいてデザインされた展示空間について、写真や動画を交えながら、レクチャーを行っていただきました。
日時:2012年 8月 5日(日)14:00~16:00
ゲスト:乾久美子氏(建築家)
藤本壮介氏(建築家)
平田晃久氏(建築家)
畠山直哉氏(写真家)
特別ゲスト:多木陽介氏(演出家、アーティスト)
5月19日、神谷町スタジオにて、今年度の講座Aがスタートしました。
本講座では、建築外の様々な分野から講師を招き、建築の外側から現代建築の可能性や問題点を探ります。


昨年の3.11以降、伊東先生が自問自答されてきた非常に難しい問題を取り上げ、現代建築が前提としてきた近代主義の問題点、
そして被災地での活動を通して見えてきた今後の建築の在り方について、お話がありました。
神を祀るための「神のやかた」の2つがありました。西洋の歴史では、建築家の仕事は様式を用いて
「神のやかた」を設計することであり、「人のすみか」は建築家の手によらずに、
気候などの厳しい自然環境に対応して、実用性を重視して建てられていました。
時とともに2つの家の区別はなくなってゆき、建築家は「人のすみか」をも手掛けるようになりました。
近代以降、建築家の仕事は「外部に対して、内部をつくりだすこと」になりました。
ここで重要となるのが、デカルトの唱えた、自我の発見です。人間を個として捉えて自然から切り離し、
市民社会における経済活動を優先するために個が分化し、人間や自然を機械のように取り扱う。
その結果、建築家は混沌とした自然の一部を切り取り、そこの記憶を消し去り、抽象的な空間とした上で、建築を設計するようになりました。
まさに、近代建築の縮図であることが分かります。
そして、仮設住宅での暮らしを余儀なくされた東北の人々はこうした環境を嫌い、庇や緑のある、自然と共存する暮らしを求めています。
自然から切り離された、抽象的な空間を良しとする近代主義の思想は、東北の人たちには受け入れられない。
こうした状況の中で、現状の仮設住宅を批判することはいくらでもできますが、それでは何も問題は解決されてゆきません。
批判するのではなく、現地で新たな仮設建築の在り方を提案していこう。こういったスタンスのもと、伊東先生は被災地での活動を展開してゆきました。
今回の発表では、現在進行中のプロジェクトも含め、これまで手がけてきた「みんなの家」が紹介されました。

しかし、宮城野地区の既存の集会場は人々が話す場所もなく、うまく機能していない状態でした。
そこでその隣に、新たな集会場として「みんなの家」が計画されました。
住民の方々の意見を聞き、それを受けて模型を制作し、提案するといったプロセスを経て、設計が進められました。

こうしてできあがった「みんなの家」は、12坪の木造建築で小さい建築ですが、住民の方々の思いがつまった建築となりました。
「自分の家より、みんなの家にいる時間の方が長い」という声も多く聞かれ、おしゃべりをしたり、ワークショップが行われたり、
花壇が造られたりといったように、常に人々で賑わう場所となりました。


遠く離れた熊本と宮城との間で交流が生まれました。搬出が終わった後も、熊本から様々な物資が送られているそうです。



