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皆様こんにちは。千葉工業大学大学院、橋本都子研究室 修士2年の野坂京子です。

子ども建築塾第3回目の6月16日は、「いえのまわりには何がある?」をテーマに、
子ども達が描いてきた住みたい「いえ」の外側について考えました。

はじめに、前回の宿題である「いえ」の内側について発表し、その後に太田浩史先生から
「いえ」と環境についてのレクチャーを受けた後、TAのみなさんの指導のもと「いえ」の外側の絵を描きます。

 

「いえ」の中はどうなっている?

前回の宿題として、住みたい「いえ」の中でおこなう「食べる、寝る、遊ぶ、集まる」という4つのアクティビティについて考えてきた絵を発表します。

 

従来とは異なった、新しい提案も含めて描かなければなりません。
大人顔負けの難しい宿題ですが、子供たちは各々新しいライフスタイルを想像してきました。

特に「遊ぶ」という行為は、子どもたちの本領が発揮された提案でした。
例えばクローゼットの上に『いっぱい遊んでも大人に怒られない部屋』がある点などは、
鋭い視点をもっていなければ、空間のどこがみつかりにくいか考えられないでしょう。

子ども達は無意識の内に空間と行為の相性を見つけているようです。

 

太田先生のレクチャー「みんなの家はどこにある?

私たちが普段住んでいる「いえ」のまわりには、人や建物などの「まち」の要素や、光や熱(温度)・風などの自然の要素があります。
住みたい「いえ」のまわりを描く前に、さまざまな環境と「いえ」の関係性について事例を交えながら勉強します。

まず、自然とかかわる「いえ」の事例として、パプアニューギニアの集落を紹介しました。

太田浩史先生が20年前に調査に行った時の写真を見ながら、川や山にある「いえ」の形について
『なぜこうなっているのかな?』と問いかけながらレクチャーを進めます。
同じ写真を見ていても、子ども達は『これはトイレじゃないかな?』『食べ物の貯蔵庫かも!』『キッチンだよ!』とさまざまな回答を考えだします。

電気やガスのない自然の暮らしに子供たちも釘付けになっていました。

最後は光や風、熱と「いえ」の関係について、さまざまな建築家が建てた「いえ」の事例を紹介します。
伊東先生のシルバーハットは海風が気持ちよさそうです。

太田浩史先生のレクチャーを受け、子ども達は改めて「いえ」のまわりの大切さに気づき、環境について興味を持ち始めた様子でした。

子ども達の住みたい「いえ」は、どんな場所に建っているのでしょうか?

 

「いえ」のまわりにはなにがある?

レクチャーの影響により、「いえ」のまわりの自然に注目しながら絵を描く子が増えました。

そのなかでも、孤島や森などの自然の中に「いえ」をおくタイプと、「いえ」の中に木や芝生などの自然を取り入れる2つのタイプに分かれます。

両者に共通していたのが、自給自足を目標としていることでした。

孤島のまんなかに「いえ」を描き、季節の野菜を食べられる提案をする子ども、
「いえ」のなかに実のなる木が生えており、ジャムをつくる提案をする子どもなど、
自然によりそう色々なライフスタイルが提案されました。

 

今回、子ども達の住みたい「いえ」の内側と外側を見て、子ども達の「いえ」には家族のライフスタイルが強く影響していることに気づきました。

例えばリビングは『お父さんが帰った時にあったかい食事をだしてあげること』ができ、
ダイニングは『おばあちゃんが立ちやすいダイニングチェア』が置いてあることが提案されています。

子ども達が普段から家族の様子をよく見ていることが伺えます。

彼らの考える『住みやすさ』はいったいどんな形であらわれるのでしょうか。

 

次回は、今度見学会に行く住まいの図面をなぞります。

実際の図面を見て、子ども達がどんな反応を示すのかとても楽しみです。

 

みなさま、こんにちは。
東京大学大学院修士課程、太田浩史研究室1年の山本至です。

子ども建築塾第2回目の6月2日はみんなで「いえ」の中でおこなう「食べる、寝る、遊ぶ、集まる」という4つのアクティビティについて考えました。

はじめに伊東先生、太田先生からの説明を受けた後、子ども達はAからDまでの4つのグループにわかれ、
TAのみなさんの指導のもと「いえ」の中でおこなう4つのアクティビティを絵に描きます。
ただし自分の住みたいいえの内側で、従来とは異なった様相でこれらの活動が行われたら楽しいのではないかという提案も含めて描かなければなりません。

「食べる、寝る、遊ぶ、集まる」

私たちは普段、これらの活動を「いえ」の中で当たり前のようにおこなっています。
しかし私たちは「いえ」の内側で行われている活動の一つ一つを注視することはありません。
「いえ」というのは元来、非常にプライベートな空間で、他者の目を気にしなくてよいあまり自分の行動に自覚的でないことも要因の一つかもしれません。
自分の住みたいいえの中でこれらの活動をどのように体現するか。普段当たり前におこなっていることだからこそ、深く考えるのは逆に難しいのかもしれません。
すんなりと課題に取り組む子もいれば、課題そのものについて深く悩んでしまう子もいました。

その違いは恐らく彼等が初回に描いてきた「自分の住みたいいえ」にどこまでストーリーを投与していたかに依拠しているのだと思います。
ただ単に、こんな外観ならおもしろいとかこんなデザインならかっこいいといったことだけで建築を設計すると大人も子どもも限らずに内側のことを忘れてしまいがちです。
そのおもしろい空間に対して、それが誰に、どのように使われているかというイメージが重なり合うことで、空間はさらなる彩りを増します。
そのことに子ども達が自覚的であったかどうかはわかりませんが、この課題に取り組んでゆくにつれ、彼等が抱く意識にある種の変化が見られたことは確かです。

寝るという活動は囲われた部屋のベッドの上で行われることが当然のようにイメージされますが、屋根の上で寝たっていいわけです。
そうするとただのトタン屋根よりも、芝生の屋根のほうがやわらかくて寝心地が良い。そこから建築の形が変わってしまいます。
1人の男の子は実際にそのようなプロセスを経て芝生の屋根を描いていました。

それは単純なイメージにすぎないかもしれませんが、建築の空間を劇的に変えてしまいます。
誰とどのようにすごすか。一つの現象が形態に大きな変化を及ぼす。これは私にとっても大きな発見でした。

 

さらにこの課題について、子ども達の様子を見ていくともう一つおもしろい事実に気がつきます。

それは「食べる」「寝る」「遊ぶ」という3つのアクティビティを描くことに比べて「集まる」という課題を難しく感じていたということです。
現代社会において「いえ」の中というのはプライベートな空間として隔離されており、そこに他者の存在をあまり感じさせません。
家族はそれ自体が一つの単位として認知されているためその構成員は他者とは見なされない。
だからこそ集まるというときにうける他者が入り込んでくるイメージと、「いえ」というのが結びつかないのかもしれません。

「集まる」という言葉に戸惑ってしまい、「いえ」の中で集うということに対してイメージがつきにくい。
ただ子ども達は一概に「いえ」を極端なプライベート空間と捉えているわけでもないようです。
中には友達とご飯を食べている絵を描いていたり、全く知らない人と遊んでいる絵を描いていたり、無意識のうちに人が集まっているのです。
ただそれが「集まる」という言葉に換言されるとよくわからない。集まること自体が明確なアクティビティではないからです。

これから「自分の住みたいいえver.2」を描くにあたってどんな言葉で表す事もできないような人の集まり方を表現できたら、
それはとてもおもしろい「いえ」になるんじゃないかなと思いました。

 

今回は「いえ」の内側について考えましたが、次回は「いえ」の外側について考えていきます。
その両方に自覚的になったとき、いろいろな人が集う新しい「いえ」の姿が見えてくるのではないでしょうか。
 

こんにちは。伊東豊雄建築設計事務所の高池さんからの現場レポートを元に「釜石商店街のみんなの家」の現場の様子をお知らせします。

 

おかげさまでいよいよオープニングまであと10日を切りました。

内装工事がほぼ完了しました。

残された外構工事や器具の取付などが終わると竣工となります。

 

 

 

 

 

ボランティア塗装作業

 

7日から8日までボランティアのメンバーで内壁と木部の塗装作業を行いました。

当初9日までの予定でしたが,たくさんの方が参加してくださったお陰で,2日で終えることができました。

東京から来た伊東塾の8名,神戸から来た神戸芸工大の学生さん1名と共に釜石の住民の方5名が参加してくださりました。

 

 

職人さんにご指導いただきながら,通常は23回塗りのところを4度重ね塗りをして,非常にきれいに仕上がったと思います。

 

塗装の手順としては以下の通りです。

 

(1) 養生

 

塗装する部分以外をマスキングテープで覆います。

 

(2)下地調整

 

合板の継ぎ目の部分とタッカー跡のへこみのある部分をパテ埋めして,

塗装面の下地を平らに整えます。

 

(3)下塗り

 

コンセントの開口部廻りや幅木など細かい部分ははけで,

その他の大きな面の部分はローラーで塗ります。

 

 

 

 

 

(4)やすりがけ

 

乾いた面にやすりをかけて,表面をなめらかにします。

 

(5)上塗り

 

(3)から(4)の手順を壁全体のむらがなくなるまで何度か繰り返します。

 

(6)養生外し

 

塗装が終わり次第すぐに養生を外します。

 

 

 

花壇作り

 

7日に増田さん(昨年度伊東塾スタッフ)が千葉から8時間かけてお花を運んできてくださりました。

到着された時,車の中は花で一杯でした。

 

 

旬のアジサイやローズマリーなどのハーブ系の草,アイビーなどのつる植物,

繊細な茶花など,見ているだけで元気になるようなたくさんのお花をみんなで植えました。

 

 

 

ボランティアのご協力をいただいた皆さんありがとうございます。大変お疲れ様でした。

 

 

ベンチ取付,照明器具・キッチン取付

 

12日に家具監修のイノウエインダストリィズの井上さんがベンチの取付をしてくださりました。

 

塗装を終えた直後は真っ白壁に囲まれた少し静かな印象だったのですが,ラワン合板の

ベンチと手作り家具が入ると楽しい雰囲気が出てきたと思います。

 

照明器具やキッチンも取り付きました。

 

 

 

釜石からドイツへ送られたガレキのメッセージ

 

伊東事務所では,6/99/16までドイツのカッセルで行われている「ドクメンタ」http://d13.documenta.de/

というアートの展覧会に,震災復興とみんなの家をテーマにした作品を出展しております。

 

@リアスなど釜石市民の皆さんにご協力いただいて,「釜石商店街のみんなの家」に

あったガレキに復興への思いをかいていただきました。

無事にそのガレキがドイツに送られ,ブースの角に展示されました。

 

 

 

これはとても反響があったそうで,照明設備の都合上実現しなかったのですが,

展示会場の真ん中に置きたいという声もあったそうです。

 

この展示はドイツでの展示の後,韓国にも巡回する予定です。

 

 

以上長文失礼しました。

 

ここまでこれたのは本当に皆さんの暖かいご支援とご協力のお陰です。

 

通常の建築においては,設計・施工監理という立場上,私からの現場レポートは今回で最後ということになります。

しかし,「みんなの家」はできてからが始まりの建築です。

今後も実際に使われている様子などを皆さんと共有したいと思い,引き続きこの勝手なレポートを続けさせていただきます!

 

23日のオープニングには,ぜひお誘い合わせの上,お越しいただければ幸いです。

 

皆様にお会いできるのを楽しみにしております。

 

伊東豊雄建築設計事務所
高池 葉子

 

 

講座B 第3回目の講義のテーマは、「都市の再生、東北の復興」です。

講師に仙台市長・奥山恵美子さんをお招きし、3.11以降進められてきた仙台市の復興についてお話を伺いました。

奥山市長はせんだいメディアテークの初代館長でもあり、当塾の伊東塾長と縁のある方です。
平成21年の市長就任以降、政令指定都市初の女性市長として、その政治手腕を発揮されてきました。

復興を中心となって進めている奥山市長のお話を伺う非常に貴重な機会ということで、会場には塾生だけでなく、
被災地で活動をなさっている妹島和世さんや西沢立衛さん、北山恒さん、小嶋一浩さん、赤松佳珠子さん、平田晃久さんら建築家の方々を始め、
写真家の畠山直哉さんなど大勢の方々がおいでになりました。

まずは、東日本大震災の被害に関して。仙台市では、震災の直接的な被害により797名の方が亡くなりました。
関連死も含めると死亡者数は1000人に達すると言われ、第二次世界大戦の仙台空襲に次ぐ大惨事となりました。
人的被害のみならず、仙台平野に津波が押し寄せたため、浸水被害も広範囲に及びました。
そして道路や鉄道、水道、電気といったインフラ設備が断たれ、都市機能は完全に麻痺しました。
スーパーは3、4時間並ばなければ店に入ることすら出来ず、中に入っても目当ての商品が手に入らないことも多々ありました。
また、全国各地から給水支援隊が駆けつけましたが、それでも市民1万人に対して給水車1台という状況で、水を求めて長蛇の列ができました。
こうした被災状況をいかにリアリティをもって想像できるか。
便利な生活に慣れきってしまっている私たちが、今後災害に備えてゆく上で常に心に留めておかねばならない課題です。

次に、被災後の住まいの問題についてお話がありました。震災直後、仙台市では全人口の約1割にあたる、
10万人もの人々がぼ避難所生活を余儀なくされました。その際予想外だったのが、仙台市民ではない人々の多さです。
仕事や旅行で来た人、見舞いに訪れた人・・・。普段から付き合いのない、全くの他人同士が極限状態をともにすることとなり、
避難所では様々な問題が生じました。そして、市が最も苦労したのが避難所の閉鎖です。インフラがひと通り復旧したら即閉鎖、という訳にはいきません。
避難所の環境は劣悪だと言われていますが、独りで生活することに不安を抱えるお年寄りなど、帰宅を望まない人々は意外と多いのです。
市役所ではそうした人々の一人一人に事情を聞き、帰宅の手助けをしました。こうして震災発生から4ヶ月半を経て、7月31日ようやく避難所の全閉鎖が完了しました。

その後は応急仮設住宅へと移り、最終的な住まいの確保へと進みますが、そこで大きな課題となるのが集団移転の問題です。
防災集団移転促進事業により、仙台市では約1,700世帯が移転されることとなりました。戦後日本でこれほど大規模な集団移転の事例はなく、
事業の遂行は困難を極めることが予測されます。被災住民の意向を充分に把握し、国や県とも協議してゆく必要があります。

そして、今後の復興計画に関して。例えば、環境の良い敷地に仮設住宅を建ててしまうと、
後に災害復興公営住宅の建設用地に充てられなくなってしまうといったように、復興計画では長期的な視野を持つことが重要です。
そのため、仙台市では震災から1ヶ月も経たない初期の段階で基本方針を立て、説明会や意見交換会を通して市民の意見を取り入れながら、
復興計画を組み立ててきました。先ほどお話のあった住宅確保から地盤工事、産業復興まで、取り組むべき課題は山積みであり、
その全てにおいて完璧な対応をすることはほぼ不可能です。
数十年後、最終的に皆が良かったと納得できるような復興を目指したい、と奥山市長は胸の内を語られました。

 

重たいテーマの話が続きましたが、講演の最後には、震災復興の中で発揮されている仙台の「受援力」が話題となりました。
日本全国から様々な支援の申出があった際に、それを受け入れる体制が整っていることは非常に重要です。
伊東塾長が被災地で最初に取り組んだ宮城野地区の「みんなの家」も、受援力がある仙台だからこそ実現したプロジェクトです。
そういった周囲の協力に支えられながら、震災を経て、仙台はより力強く進化しています。
奥山市長は「今後の仙台市の復興まちづくりにご期待ください」と力強くおっしゃって、講演会は終了となりました。

今回の講演会を通して、被災地の復興はきれいごとばかりではなく、様々な矛盾や葛藤を抱えながら進められていることを知りました。
とくに印象的だったのは、復興を進める上で日本の法律には限界があるというご指摘です。
現行の規定では全国一律な支援が重視されるため、各地域の気候や風土に応じた応急仮設住宅を建設することはできません。
東日本大震災の教訓を生かし、国や県の根本的な思想を変えてゆく必要があると感じました。

 

こんにちは。伊東豊雄建築設計事務所の高池さんからの現場レポートを元に
「釜石商店街のみんなの家」の現場の様子をお知らせします。

昨日まででコンクリートブロック積が終わりました。
写真は週の前半のものでまだ途中なのですが,次回号では積み上がった写真をお届けします。
 
 
 
本日から大工さんが入り,内装工事が始まりました。
内装工事が終わると,塗装工事に入ります。
 
 
 
さて,時間がさかのぼりますが,28日に伊東が現場視察に来て,現場で以下のような内容を打合せました。
 
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・鉄部の色/木部の色 
・室内壁仕上げの確認
 
・カーテンサンプル確認
 
・ピアノとテレビの配置決め
 
・電気引き込み位置の確認
 
・手作り家具の確認(場所:市営ビル)
 
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●鉄部の色/木部の色 
 
木部の色について,現場の方に白,グレー,オリーブ,イエローの4種類の色サンプルを用意していただきました。
この中から,木の色を感じさせて明るい色ということで,イエローに決定しました。
 
 
鉄部の色は,外観のコンクリートブロックに対して少し際立つ色ということで,ダークグレーとなりました。
 
●手作り家具の確認
 
市営ビルにて,皆さんの力作である家具を見て,とてもきれいにできていると伊東も感心しておりました。
ボランティアの皆さん,本当にお疲れ様でした!
 
 
●使われ方ミーティング
 
現場確認の後,釜石のNPO法人@リアスサポートセンターの鹿野さん,横澤さん,
復興ディレクターの小野田泰明先生(東北大学)、遠藤先生(工学院大学)、
釜石市役所の川崎さん,伊東,伊東事務所のメンバーで,みんなの家ができた後の使われ方についてに話しました。
 
 
市役所の外のまちの人たちの動きを含めて,ここに行けば,釜石の復興の全貌が
わかるような場所としての「まちづくりカフェ」,こどもたちのまちづくり教室,
コミュニティシネマ,プ レゼン・バー,などいろいろなアイディアが出ました。
 
こうした活動が別の地域につくられた「みんなの家」の活動ともリンクして,
被災地の復興ネットワークがつくれれば素敵だという話も出ました。
 
まずは近くを通った人がふらっとお茶を飲みに入ってくるような
気軽な居場所にしたいという話もあがりました。
 
 
本当に小さな空間ですが,ここをきっかけとしていろいろな物語が生まれてくるような,
可能性をつくっていきたいと思います。
 

 

5月19日、神谷町スタジオにて、今年度の講座Aがスタートしました。 
本講座では、建築外の様々な分野から講師を招き、建築の外側から現代建築の可能性や問題点を探ります。

 
 
記念すべき初回講義は、当塾の塾長・伊東豊雄先生による「建築ってなんだろう」をテーマとしたレクチャーを行いました。
昨年の3.11以降、伊東先生が自問自答されてきた非常に難しい問題を取り上げ、現代建築が前提としてきた近代主義の問題点、
そして被災地での活動を通して見えてきた今後の建築の在り方について、お話がありました。
 
まずは、現代建築が前提とする近代主義思想について。その昔、家には人が住むための「人のすみか」と、
神を祀るための「神のやかた」の2つがありました。西洋の歴史では、建築家の仕事は様式を用いて
「神のやかた」を設計することであり、「人のすみか」は建築家の手によらずに、
気候などの厳しい自然環境に対応して、実用性を重視して建てられていました。
時とともに2つの家の区別はなくなってゆき、建築家は「人のすみか」をも手掛けるようになりました。
近代以降、建築家の仕事は「外部に対して、内部をつくりだすこと」になりました。
ここで重要となるのが、デカルトの唱えた、自我の発見です。人間を個として捉えて自然から切り離し、
市民社会における経済活動を優先するために個が分化し、人間や自然を機械のように取り扱う。
その結果、建築家は混沌とした自然の一部を切り取り、そこの記憶を消し去り、抽象的な空間とした上で、建築を設計するようになりました。
 
ここで、伊東先生が映し出されたのは被災地の仮設住宅の写真。工業生産による均質な空間、簡潔な形態、そして外部と切り離れた環境。
まさに、近代建築の縮図であることが分かります。
そして、仮設住宅での暮らしを余儀なくされた東北の人々はこうした環境を嫌い、庇や緑のある、自然と共存する暮らしを求めています。
自然から切り離された、抽象的な空間を良しとする近代主義の思想は、東北の人たちには受け入れられない。
こうした状況の中で、現状の仮設住宅を批判することはいくらでもできますが、それでは何も問題は解決されてゆきません。
批判するのではなく、現地で新たな仮設建築の在り方を提案していこう。こういったスタンスのもと、伊東先生は被災地での活動を展開してゆきました。
今回の発表では、現在進行中のプロジェクトも含め、これまで手がけてきた「みんなの家」が紹介されました。
 
 
まず、宮城県仙台市宮城野区に建てられた「みんなの家」です。仮設住宅が50戸以上集まると、集会場がつくられることとなっています。
しかし、宮城野地区の既存の集会場は人々が話す場所もなく、うまく機能していない状態でした。
そこでその隣に、新たな集会場として「みんなの家」が計画されました。
住民の方々の意見を聞き、それを受けて模型を制作し、提案するといったプロセスを経て、設計が進められました。
 

こうしてできあがった「みんなの家」は、12坪の木造建築で小さい建築ですが、住民の方々の思いがつまった建築となりました。
「自分の家より、みんなの家にいる時間の方が長い」という声も多く聞かれ、おしゃべりをしたり、ワークショップが行われたり、
花壇が造られたりといったように、常に人々で賑わう場所となりました。

 
 
また、伊東先生がコミッショナーとして関わっているくまもとアートポリスの繋がりで、遠く離れた熊本県から資材が提供され、
遠く離れた熊本と宮城との間で交流が生まれました。搬出が終わった後も、熊本から様々な物資が送られているそうです。
 
 
このように、「みんなの家」を建てる過程で次々とストーリーが生み出され、竣工後もここを起点として、様々な活動が展開されています。
 
 
 
2番目に計画されたのが、「釜石商店街のみんなの家」です。
この商店街は岩手県釜石市の中心地に位置し、津波により1階にある店舗部分の大部分が全壊する、という甚大な被害を受けました。
こうした厳しい状況の中でも、商店街を再興させ、ふたたびこの地で商売をしたい、という方が多くいらっしゃいます。
「釜石商店街のみんなの家」は、昨年度の伊東建築塾の若手建築家養成講座の塾生らが中心となり、復興を目指す地元の方々と協力しながら、
伊東豊雄建築設計事務所と共に計画を進めてゆきました。室内に設置する家具も、ワークショップを開催して手作りで制作しました。
 
 
 
そして間もなく、竣工を迎える予定です。(最新の進捗状況は、建築家養成講座のブログからご覧いただけます。)
 
 
 
他にも、現在計画中の二つの「みんなの家」の紹介がありました。
どちらのプロジェクトも、地元の人をはじめ多く方とコラボレーションしながら作業が進められています。
さらに、実際にできあがった「みんなの家」を見て協賛を申し出る企業が増えているそうで、今後も様々な「みんなの家」が増えてゆくことが期待されます。
 
こういった被災地での活動を継続させながら、伊東先生は「建築ってなんだろう」と、常に自分に問い続けていらっしゃいます。
被災地をベースに、これからの建築の可能性について考えてゆくことができるのではないだろうか。そうおっしゃって、講演会は終了となりました。

 
本日の講義では、被災地に建てられた「みんなの家」がどれも生活感にあふれ、その場所ごとに全く違う性格の建築となっていることが非常に印象的でした。
そこには、抽象的で均質な現代建築とは違う、新たな建築の姿が示されているように感じました。
今後建築はどのように変わってゆくのか、これから一年間の講義を通して、じっくり考えてみたいと思います。
 
 

 

こんにちは。
現場レポート第8弾が、釜石の現場に滞在中の伊東豊雄建築設計事務所・高池さんより届きました。
以下にご紹介していきます。
 
 
本日朝から土間コンを打ちました。
 
 
明日一日養生をして、あさってからは中に入ることができます。
金ゴテ押さえの作業に、職人さんが夜21時頃までかけて仕上げてくださりました。
 
 
床の仕上げはこれで完成で、テラス部分から中まで連続したコンクリートのたたきとなります。
 
 
また、コンクリートブロック壁が二段まで積みあがりました。
全部積み上がるのに、あと一週間かかるそうです。
当初ボランティアでやる予定だったブロック積ですが、
我々でやると何週間もかかっていたかもしれません・・・。
 
 
ブロックを縦横共にそのまま積んでいく「芋目地」に対して、
今回は一段ずつ横方向にずらしていく「馬目地」としています。
この方が構造的に圧倒的に強いためですが、その分施工は大変です。
 
 
さて、伊東塾塾生と地元住民ボランティアの方で取り組む予定の塗装の日程ですが、
工事の工程がやや押してきており、以前に予定していた6月頭から少し後になりそうです。
もう少しすると日程が決まってくると思いますので、改めてお知らせしたいと思います。
 

「子ども建築塾は、勉強をするところではありません。自分の思っていることを表現するためのところです。」

塾長の伊東豊雄先生のあいさつで、2012年度「子ども建築塾」がいよいよ開講しました!
10人の子ども達(今日は1人お休み)はそれぞれ緊張の面持ちで、伊東先生、太田浩史先生と机を囲み、
これから半年間、「いえ」についてどのようなことを学び、どのように考えていくのか、真剣に聞いていました

 

先生方のお話しの後は、子ども達の番です。
一人一人が〈自分の住みたい「いえ」〉について、描いてきたスケッチを見せながら説明しました。

 

驚いたことに、スケッチは数枚であっても、子ども達はそれぞれの頭の中に、その「いえ」で誰がどのような暮らしを送るのか、
たくさんのイメージをもっているようでした。それを、伊東先生や太田先生の質問に沿って、スラスラと説明して見せました。
周りで見ていたお父さん・お母さん、TAのお兄さん・お姉さんも、子ども達の説明に感心して、聞き入りました。

 

最後に、伊東先生が「いえ」とは何かをテーマに授業を行いました。

子ども一人で住みたい夢はあるけれど、「いえ」とは家族のいるところ。「いえ」は、家族を守り、自然や社会とつながっています。
「いえ」には家族の夢、家族の暮らしが詰まっていて、それに見合った大きさをしています。
津波で家をなくしてしまった人のための「みんなのいえ」、様々な考え方をもった建築家のつくる「いえ」。
伊東先生の1時間弱の授業には、「いえ」の中の暮らし、外の環境とのつながり、スケールについて、
他の人の設計した「いえ」を視ることについて、等々、前期の授業のヒントがたくさん詰められていました。
子ども達は集中力を保たせるのに一生懸命になっていましたが、これから経験を増やしていくにつれて、
その一つ一つをじっくり身につけていくことでしょう。

 

これから半年間、子ども達は自分の内にあるイメージと、授業で扱う「いえ」の様々な側面をつき合せながら、
〈自分の住みたい「いえ」〉ver. 2を考えていきます。その完成像がどのようになるのか、今からとても楽しみです。

東京大学 生産技術研究所 村松研究室 博士課程
田口純子

 

5/13(日)は講座Bの第2回目の授業「江戸から昭和にかけての東京を知る」が江戸東京たてもの園にて行われました。

江戸東京たてもの園は、現地保存が難しくなった江戸・東京の建物が移築し、一般公開している施設で、小金井公園の中にあります。
講師は、園の創設に携わり、移築される建物の選定にも関わってきた、藤森照信先生です。今回の見学会では、「日本の建築家が、どのようにして西洋でうまれたモダニズム建築に日本の伝統建築を取り込んできたのか」が見所となりました。

最初に見学したのは、前川國男邸です。

前川國男(1905〜1986)は、ル・コルビュジェやアントニン・レーモンドに学び、戦後日本の建築界を牽引した建築家として知られています。
この住宅は、昭和17年に前川氏によって設計され、戦前は自邸として、戦後は前川國男建築設計事務所として使用されました。
藤森先生によると、前川氏は戦前に設計した自邸をあまり好まず、世間に公表することなく取り壊そうとしていたのですが、それを大高正人氏といった弟子たちが「先生の最高傑作なのに勿体ない」と言って説得し、解体して軽井沢の別荘に保管されることになりました。
その後、部材の存在は忘れさられていたのですが、それを藤森先生が約20年ぶりに探し出し、たてもの園への移築が実現したとのことで、なかなか波瀾万丈な建物のようです。

まずは、じっくり外観を眺めました。

切妻屋根の木造建築で一見すると民家のような佇まいですが、庭にむかって大きな窓があり、その外側で屋根を支える柱がとても印象的です。
これは材料不足のために電信柱を削って転用したもので、実は伊勢神宮の棟持ち柱が意識されています。
また、当時は戦時体制下で建築規制があったために建坪は約30坪で住宅としてはだいぶ狭いのですが、藤森先生によると「モダニズムはマゾだから、小さければ小さい程ほど頑張って良い作品になる」とおっしゃったので、みな期待してさっそく中に入りました。

内部は、居間を中心としてその両側に寝室や書斎、水回りが配置されており、いたってシンプルで合理的な構成です。
たしかに床面積は小さいのですが、居間の天井が高く、庭にむかって開かれていることもあり、非常に広々と感じられ、
それでいてとても寛げる空間です。
また、階段や窓周りにおける木材の組み方や形状などに目を向けると、細部まで気を配って設計されていることが分かります。

 

藤森先生によると、実はこうした前川邸の繊細なディティールは、レーモンドの影響が大きいそうです。
コルビジェが提案したコンクリートの打ち放しでは細部が荒々しいのですが、レーモンドは日本の木造技術を用いることによって、
その問題を解決しました。モダニズム建築と日本の伝統技術の融合を、外国人であるレーモンドが一早く試みたというのは、非常に興味深いです。

全体を見終わって、藤森先生のおっしゃった通り、戦時体制下で金属が思うように使えず、限られた面積だったからこそ、木造のモダニズムが威力を発揮したのだと感じました。

続いて、堀口捨己設計の小出邸に訪れました。
堀口捨己(1895〜1984)は、ヨーロッパのセセッションやアムステルダム派の動向をいち早く紹介し、日本の先駆的なモダビズム建築家であるとともに、庭園や茶室の歴史研究においても優れた業績を残した、多彩な人物です。
この小出邸は、ヨーロッパ留学から帰国して間もない大正13年に堀口氏が設計したもので、彼の処女作にあたります。

先程同様、まずは外から眺めると、大屋根はアムステルダム派、窓の部分はデ・スティルの影響を受けており、それでいて縁側など和風の要素も見られます。さらに、今庭に置かれている宝珠のような飾り、本来は宝形屋根の上に載せるはずだったそうで、設計当初の姿は一層特徴的な外ものであったようです。

 

内部に入り、とくに1階応接室の内装には驚かされました。
天井と壁に走る立体格子を木材はまさにデ・スティルの様式で、まるでモンドリアンの絵の中に入ったような気分になります。
さらに、金と銀の壁はセセッション、格天井や吊り戸棚は日本の伝統様式、といったように和洋が折衷した、非常に斬新な空間が拡がっています。

2階に登ると和室があり、一見よくある和室のようですが、セセッションの影響かと思われる薄緑色の壁を採用したり、床の脇に襖を配置したりと、若き日の堀口捨己が、新しい和室の在り方を模索していたであろうことが伺えます。

 

大正期に建てられた小出邸は華やかで、様々な様式の融合が実験的に試みられており、非常に冒険心に富んだ建築だと感じました。

見学会の最後に質疑応答があり、藤森先生から「日本はモダニズムと木造建築が結びついた、世界的に見て極めて特殊な国」であり、「日本の建築家は、西洋で生み出されたモダニズムに日本の伝統様式を取り込むという応用問題に取り組んできた」というお話がありました。
今回見学した前川邸と小出邸では、前川國男と堀口捨己という二人のモダニストの、それぞれ違った解法を見ることができたように思います。
現在日本建築が世界的に評価されるようになった背景には、モダニズム建築と日本伝統建築の融合に取り組んだ、多くのモダニストらの奮闘があったのだと、改めて感じました。そして、藤森先生の説明の中で何度か名前のあがった、藤井厚二や吉村順三、清家清、そして丹下健三らによる建築も、そういった目線で改めてじっくり見学したくなりました。

それにしても、建築家の秘話やお弟子達の話、解体移築の苦労話など、藤森先生しか知らない裏話をたくさん伺うことができ、本当に充実した見学会となりました。藤森先生、どうもありがとうございました。

 

こんにちは。

伊東豊雄建築設計事務所の高池さんからの現場レポートより、
「釜石商店街のみんなの家」の様子をお知らせします。
 
昨日、屋根がかかりました。
母屋・垂木掛けと断熱材設置,野地板と防水シート貼りまで終わりました。
 
 
今日からその上に葺く屋根板金工事をしています。
 
 
屋根がかかると,いよいよ場所ができてきたような感じがします。
 
断熱材をサンドイッチする形で,野地板と天井仕上げ材には
ハーベストパネルを使用しています。
壁は全面が白く仕上がるのに対して,天井は木の温かみを残すような仕上げと
しています。
 
三角形の欄間にはアルミサッシが入りました。
 
 
少しずつ家の形が見えてきました。
引き続きよろしくお願いします。