2012年2月27日

子ども建築塾 後期第6回

Filed under: ブログ — タグ: — itojuku @ 4:34 PM

先週の土曜日、第6回目の子ども建築塾が行われました。
いよいよ作業は佳境にはいり、みんなでプレゼンボードを作っていきます。

この日は最初に伊東さんからプレゼンボードというものについて15分程度のレクチャーがありました。そもそもプレゼンテーションとは何なのか、それを一枚の紙にまとめるということは何なのか、それを理解するところからはじめなければなりません。
伊東さんは当日、岐阜県で勝ち得た図書館のコンペの為に制作したプレゼンボードを持参くださり、それに関して、本番さながらのプレゼンテーションを披露してくださいました。

その中で伊東さんが繰り返し強調していたことは、プレゼンテーションとは相手に伝える為の手段であり、とにかくわかりやすくあること。そしてこの提案がこんなに楽しいんだということを相手に伝えること。プレゼンボードに書いてある文章をただただ読み上げるのではなく、その瞬間に自分が伝えたいと思ったことを的確に伝えること。伊東さんはプレゼンテーションの練習は、プレゼンそのものをつまらなくさせるからしないと言います。
以上のアドバイスは非常に単純なことですが、同時にプレゼンテーションにおいてこれほどまでに重要なことはないだろうと思われる、大変的確なものです。
僕が個人的に聞いていて楽しかったり、惹き込まれたりするようなプレゼンテーションは、プレゼンターが聞き手と会話をしているかのような話し方をする場合がほとんどです。内容を伴ってこその伝達方法であるのはもっともですが、話し方一つ、プレゼンボードの彩り一つで同じ用な案でも印象が全く異なって見えてしまう。
どれだけ鮮やかな建築を造っても、どれだけ緻密な計画をしても、結局それを実現させるためには、その優れている点を自分の思想をよりどころとして相手に伝えるしかありません。伝え方が悪ければその良さを完全に享受することはできないでしょう。

恐らくこれは子ども達にとっては今まで以上に難しい課題だと思います。これくらいの年齢の子達は大勢の人前で話をするということ自体に慣れていません。当然照れを感じたり、しくじることへの恐怖を感じる。大学生ですら、緊張のあまり言葉を失ってしまうこともあるのですから。プレゼンテーションの巧さというのは滑舌の良さでも、話の巧さでもなく、伊東さんが述べたように、相手に伝えたいことが明確にあり、それを必死に伝えようと努力することに尽きるのだと思います。それは本来プレゼンターの中核にあり、その言葉によってその案は構築されていると言っても過言ではない。だからこそ余計な練習なんてしなくても、スラスラと言いたいことが出てくるはずなのです。

その後、ボランティアのお兄さんお姉さんと一緒にA1サイズのプレゼンボードの中にどのようなものを、どのように配置していくか、話し合いを行いました。模型写真をつかおうとしている子や、絵をたくさん配置しようとしている子、また配置方法も人それぞれで、段々状の建物を計画している子は写真の配置が段々状の建物の立面になるように計画したり、中心の模型写真から矢印をひいて広がりをもたせていたり。伊東さんが見せてくださった岐阜のプレゼンボードは内容物がグリッドにそっておらず、流れるように配置されていました。写真の大きさもまちまちで、一見まとまってはいないように見えるのですが、プレゼンテーションの流れにそっていたり、目立たせたいと思っている箇所を大きく使ったりと、実は細かく計画されています。線がカチッとひかれ、境目が明確なありきたりなボードとは違って、流動的なものだったからこそ、子ども達の自由な発想を殺さない見事な手本になっていたように思います。
何人かの子達は途中で伊東さんのボードを見に席をたって、確認しては、また席に戻るを繰り返していました。
下の写真は子ども達が自分で撮影したものです。プレゼンボードに使いたい写真を、自分たちでアングルを決めて撮影しました。どうすれば迫力がでるのか、どんな構図がかっこいいのかをみんな思案しているようでした。

前期は模型を造るというところが最終到達点でしたが、後期は敷地の規定された土地での模型作りに加え、スケッチ、そしてプレゼンボードの制作、発表と非常に要求が厳しくなっています。それでも恐らく皆さんが思っている以上に子ども達は積極的にそして見事に一つ一つの課題をこなしています。

今期の最後で、なんらかしらのかたちで皆様に子ども達の成果を発表できる機会があればと思っております。
是非楽しみにしていてください。

 

2012年2月13日

子ども建築塾 後期第5回

Filed under: ブログ — タグ: — itojuku @ 12:00 PM

2月4日土曜日、約1ヶ月ぶりの子ども建築塾が行われました。
この日は休みの間にみんながそれぞれにテーマにあわせて作ってきた1/100の模型のお披露目です。休みの間にみんな一生懸命考えてきた模型は、前期からさらに飛躍して、一人一人の個性や特徴が表れていました。

模型の作り方が前期に比べてみんな自由になっていった一方、敷地の形や大きさが明確に決められていたがために、その制約に拘束されてしまった子もいたようでした。
特に目立ったのは、敷地の形にあわせて建物の形態を決めているというパターン。敷地とは、土地の所有者の領土を規定するものにすぎず、それによって建築が規定されるというのは、都市そのものの面白さを半減してしまうものです。土地という概念をより明確にし、それについて学ぶことは確かに必要ですが、そこからさらに一歩進んだ建築を提案してもらいたかったというのが正直なところです。

敷地と建物の平面を同形にするというのは、ある意味で土地のコンテクストを読み解いているともいえます。しかしそれは、その建築が周囲にとってどのような意味をなすかということに自覚的になっている場合にのみ、成立します。
そこでこの日は1/500サイズの模型を新たに制作し、それを敷地模型の上に並べることによって、他の子達と自分の建物との関係性について考えてみるという試みを行いました。
すでに作ってきた1/100の模型を参考に、1/500へと縮尺をおとしていきます。この模型の縮小化、つまりは単純化というプロセスは非常におもしろく、ある意味ではその建物のダイアグラムを制作しているとも言えます。1/500ということは、だいたいの子がわずか4cm四方の範囲の内側に模型をつくることになります。それだけ作り込める規模は小さくなるわけですから、その建物の形態的なシンボルがよりあらわになるわけです。それを自覚してかどうかはわかりませんが、みんな自分の建物の形態的な特徴をよく把握しているようでした。

途中で伊東さんと太田さんが子ども達の模型や提案について重要なことを言っていました。それはもっと機能について考えること、そして周辺環境について考えること。建築をつくるということは、やっぱり多くの人たちにとって、まだまだ形態を作ることにすぎません。しかし、本来はその内側で何が行われるかという機能的側面を計画するのも、その周辺環境を建築によって変革させるのも、全て建築家の役目です。今回1/500模型をつくって、他の子達の建物と自分の建物が意外に近いことや、それぞれがゆるやかに関係し合っていることに気がついて、伊東さん太田さんの言葉にもさらなる深みがましたのではないでしょうか。

来週からはいよいよプレゼンボード作りに取りかかります。
文章をあつかって、自分の案を説明したり、その案をより魅力的に他人に伝達するために、いろいろなことを考えていかなければいけません。そうなってくると必然的に形のことだけではすまなくなります。そのとき、彼等がどのように自分達の提案を説明するのか、今から楽しみです。

2011年12月20日

子ども建築塾 後期第4回

Filed under: ブログ — タグ: — itojuku @ 4:18 PM

この日は麻布十番に子ども達が自分で選んだ敷地上にどんな建物を建てるか、計画をたてました。
子ども達はそれぞれ、対象敷地の1/100スケールと1/200スケールの図面を手渡され、その上に自分のなんとなく思い描くプランを重ねていきます。前期までは敷地という拘束がなく、好きなように建築をそれ単体として設計するだけでしたが、今回は敷地という条件の中で設計することに苦心している子も多いようでした。

(more…)

2011年11月29日

子ども建築塾 後期第2回

Filed under: ブログ — タグ: — itojuku @ 12:23 PM

この日は久しぶりに神谷町スタジオでの授業を行いました。村松伸先生からの宿題である2つの絵を壁に張り出し、それぞれが5分程度で説明し、太田先生、村松先生からの講評をうけました。

(more…)

2011年11月15日

子ども建築塾 後期第1回

Filed under: ブログ — タグ: — itojuku @ 3:35 PM

先日の土曜日、子ども建築塾、後期1回目の授業がありました。
21人の子ども達が5グループにわかれ、それぞれに設定されたテーマに沿って街歩きに行きます。テーマはA.境内、B.崖・坂道、C.水・緑、D.路地・空地、E.商店街です。それぞれの班にはボランティアの中からグループリーダーと称して、グループを先導してくれる人がつきます。彼等が提案してくれたルートを子ども達と移動しながら、その途上で、「まち」というものを考えるきっかけになりそうな断片を探し出します。
私は「水・緑」がテーマであるCグループと共に街歩きに繰り出しました。グループリーダーの鈴木ますみさんが見事なルートを提案してくださり、非常に充実した街歩きとなりました。

(more…)

2011年11月1日

新・港村レクチャー

Filed under: ブログ — タグ: , — itojuku @ 2:05 PM

10月31日に横浜赤煉瓦倉庫近くの新港ピアで伊東建築塾のレクチャーがありました。新港ピアで行われている「新・港村展」はヨコハマトリエンナーレ2011の特別連携プログラムです。その会場をおかりして、レクチャーは開催されました。大空間に講演者を取り巻くように大きなソファがランダムに配置された光景は、堅苦しい講釈とは違い、穏やかなものでした。

(more…)

2011年10月31日

子ども建築塾 前期制作展覧会を終えて

Filed under: ブログ — タグ: — itojuku @ 3:01 PM

10月29日、30日の二日間にかけて、神谷町スタジオで「子ども建築塾前期制作展覧会」が行われました。
週末ということもあってか、沢山の思いがけない人たちが訪れてくださいました。
それが仮に子どもの作品であったとしても、こうして公式に発表されたものは、それなりの力強さを持ちます。

(more…)

2011年10月29日

第9回 子ども建築塾

Filed under: ブログ — タグ: — itojuku @ 11:20 AM

先日の10月22日に前期最後の子ども建築塾がありました。
その日は29、30日に控える子ども建築塾の展覧会のための準備をしました。模型を手直しする子はし、展示の為の案の説明文を描きました。文章だけで、説明を構成する子もいれば簡単なスケッチで説明する子、驚くことに設計を簡素なダイアグラムで見事に表現する子もいました。
自分の造った案を論理的に説明することは非常に難しいのですが、それをいとも容易く行うことができたのは、この8回の授業のあいだに、子ども達が建築というものの意義をある程度読み解くことができたからでしょう。
普通、ある建築を子ども達に闇雲に提案させ、それの説明をさせようとしても、おそらくは形態的な特徴だの、「ロケット」がついているといったような付加機能の説明に終止してしまうのではないでしょうか。
それを超えて、これらの案が「どのように住むか」という人間生活への提案ができているのは、子ども達が建築というものを、ただの「箱」ではなく、「機能の集積」として捉えることができている証だと思います。
最後はお楽しみ会と称して、みんなでお菓子を食べながら歓談しました。余裕を持ってかなり多めにお菓子を買ったはずなのに、会の終わる頃には一袋も残ってはいませんでした。

今回でひとまず前期のテーマである「いえ」が終了し、これから後期のテーマ「まち」がスタートします。建築というものが単体としてどのような機能を持つかを知った今、それが街にたいしてどのように影響をあたえるかを学ぶのはそう難しいことではないのかもしれません。

2011年10月11日

後期子ども建築塾「まち」に向けて

Filed under: ブログ — タグ: — itojuku @ 4:35 PM

先日、後期の子ども塾の下見ということで、半年間通してグループリーダーとして子ども達のサポートをしてくださるボランティアの方々、そして塾スタッフと、後期の講師をしてくださる東京大学の村松伸先生、太田浩史先生と麻布十番の街歩きに行ってきました。私たちは商店街の一本となりの通りにある「パティオ十番」というとても魅力的な広場に集合しました。その一帯はまるで日本の都市とは思えないほどに、独特な雰囲気を持っており、東京らしいせせこましさはあるものの、その開放感は古代ローマのフォルムにも近かったです。
太田先生によるとその広場は石川栄耀という都市計画家によるものだそうです。石川は歌舞伎町の生みの親とも言われ、あの著名な「コマ劇場前広場」も彼の手によるものです。この「パティオ十番」は「コマ劇場前広場」以外では石川が手がけた広場の中で唯一現存するものだそうです。「コマ劇場前広場」は飲屋街として騒々しく、開けているくせに圧迫感があるといいますか、私にとってはあまり居心地のよい空間ではありませんが、「パティオ十番」はそれとは対照的により人間の自然な身体感覚に近いものを持っている気がします。俗っぽく言ってしまえば、「外国人の街、麻布十番」を代表するような風格があるということでしょうか。

私たちは、集合したあと、そのパティオ十番から、大黒坂をのぼり、暗闇坂を下って、これ以上言葉では形容できないようなルートを通って再び商店街へと戻ってきました。その途上には様々な魅力的な建物や空間がありました。東京の街というのは、それが都市の景観的に甘美であるとか、居心地が良いとかいったことは度外視に、魅力的な空間が発生しているような気がします。つまり都市全体としてというよりも、その一部だけを切り取ったときに面白さが見いだせる。極まれに、東京の都市は汚いが、そこに面白さがあり、それこそが魅力なのだと開き直ったようなことを言う人がいます。その猥雑さの中には魅力的なことも多々ありますが、その魅力はやはり都市全体が持つものではなく、そのうちの一部分を切り取ったときに得られるものであり、あくまでも都市の中の特権階級(それは金銭的な格差のことではなく)だけが享受できるものなのだと思います。例えば、麻布十番にはブラタモリというNHKの番組でも特集された「がま池」という池があります。それは明治から残る古い池で、住宅街の中に忽然と現れる不思議な池です。しかし、現在はマンションに囲まれ、ごく一部の人しかその池を眺めることはできません。都市の魅力というのは切り出すという作業の果てにあるものだけでなく、都市そのものが持つべき必要もあるのではないかと、麻布十番の街を見ていて改めて思い知らされたような気がします。

ともかく来期から、子ども達と「麻布十番」の街を散策するわけですが、彼等がこの街をどのように切り取るのか、それが今から楽しみでなりません。

第8回 子ども建築塾

Filed under: ブログ — タグ: — itojuku @ 4:02 PM

10月8日土曜日、第8回目の子ども塾が行われました。
その日は前期をかけて作成した、模型と図面、スケッチを用いて、子ども達による発表会を行いました。

みんなの成果物を一堂に集め、一人一人が順番に発表を行います。いくら高学年とはいえ、小学生が人前で発表することは、私たちには想像もつかないほどのプレッシャーだと思います。
私事ですが、小学生のときに、清掃委員の委員長を担当しており、巨大なホールで全校生徒にむけて発表をさせられたことがあります。そのときは緊張のあまり下ばかりを向いてしゃべっていたので、設置されていたマイクが音を全く検知できないということがありました。後々になって聞いたのですがみんな私の口の動きから、何を言っているか推測しながら見ていたそうです。
今の話は余談でしたが、そんな経験を持つ私からすれば、あれだけの数の大人を前に堂々としゃべっている子ども達には驚かされました。基本的にはとなりにボランティアの学生がつき、順に質問をしていくのですが、人によってはプレゼンターさながら、一人で延々としゃべり続ける子もいます。やはり臆せずにしゃべれるのは、自分が何を考えてその作品を造ったか、子どもにとっても明確であったということの表れなのかもしれません。

みんな魅力的な作品を作り上げていましたが、特に印象的な作品を造った子達に共通していたのは、最初の曖昧とした模型の形が、最終的に予想もつかないような形体へと変貌していたことでしょう。一部の子達は、最初から最後まで一貫してある明確な形があり、それが紆余曲折はあったものの、あまり大きな変貌を遂げずに貫徹しました。しかし、最終的にちょっと人目を引くような形を生んだ模型群はどれも、模型を造っていく過程で多量の変化を経験していたものたちでした。
それは恐らく模型造りのプロセスの途上で、彼等の最終像が変化していったことにあります。当日の発表会で批評役をしたくださった西沢立衛さんも、一つの建築を造るときにスタディ模型をいくつも造るということで知られています。初めにどれだけいいと思った形でも、それを具現化していく過程のなかで新たな発見をし、より良いものへと変貌していきます。
そのプロセスを実際にたどっていた子ども達の作品には、わずかな差ではありますが人目を惹くようなものが宿っているのだと思います。

後期のテーマである「まち」でも、子ども達は自分自身の作品を造ることになります。そのときに少しでも意識的に発展過程をたどれるように誘導してあげることができれば、子ども達も予想しえなかった魅力的な風景を獲得することができるのではないでしょうか。

« Newer PostsOlder Posts »